時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

暴き続ける今朝

現行に瀕する影に格納される現時点を消費し、資本的に捉える何かに途絶える意識などに奪われる価値から、運命は力を無くし、混同する意識から攪拌される意識と正義から、貧寒な理由を蓄積させては、みずからの未熟な世界性にとがめられ、滞る意識に拘泥していく主体に出力を授け、預かる力に貸し借りは無く、善悪も無ければ、是非も問わず、投影される今に意味もちぐはぐになり、なあなあな意味から真意は失われ、真偽だけが、兌換する意味に敢行する意志を貫通させては、途絶えることなく、永遠を突き進む一定の力は、意志を停滞させ、ただよう権力に主体を奪われ、意志を膠着させる分裂的に消費的な罪悪が、形を作り、縁取り枠にはまる。破片から変化し、変革を迎え、軽薄な妄想を超越し、艶麗な時に嵌る。反革命的に生き、絶えず知恵と知識を用い、ナショナリズムや、戦争を打ち砕く鉄槌を用い、対する自己こそ調律し、新たな音色やノイズを弾き流すの、だ。知識とは、極端に促し、海馬に履歴を残すのではなく、絶えず用いられた世界を抜け出し、みずからが見出す世界を、世界に収めずに、名前や価値に反し、自由きままに歌うことにある。先鋭化する自堕落な暴力が律動し、痛む身体を引きずり、意味を失い、今にさまようだけに至る。静かに名前をほどきながら、混じて消え入る本質にもがき苦しむようにきしむ身体を永遠につなぎながら、ねじ込む辺りに浮遊する観念が炎天下の下で妄想と抵抗と症状を交錯させては、捉える矢先に備わる理由などは、なおざりなままで生命の起源を失い、錯綜する遠因にカテゴライズされ、締結していくだけにふさぎ込む命に高揚していく途端に交互していく純利益などが支出などを繰り返し応用する距離感に簡易に処理される情報や、距離感を持たぬ知は、位置を用い、誰彼かまわず占領すべく、安易な言葉で締め付けるだけに汚い過程に踏みにじられる意味に連動し、膠着していくだけに主体は駆動していくだけの存在を情景に置いて、かすむだけに満たない精神に規模や希望も持たせずに、生後から反していく無から過去へと接続される苦悩から能動していく主体性に精神的な回路は、均等な意味を失い、領域に淫靡な結末と結合されるだけに欠乏していく状態に空疎な理由を安直に放ち、現前に備わり給う出来事に現れる真実から集約される約束にビートを授け、短絡的な要理にひしめく苦悩から、空洞化していく情報的な観念に権力は引き裂くだけの形に過去を残し、絆などと謳う限りに根絶やしにされるだけに絶やされる価値に形を用い、誰かを占有することに置かれる儀式的な根因から広義に解釈すべき事実に利点を用いるだけに悶々としていき一切にはかなさを用い、朦朧と収受すべき事実も、示威的な意味に消え入るだけに補填される理由に領域を用い、問答を繰り返すだけに果てない私欲をむさぼるだけの営利目的な彼方で、こじれるだけの意図に生命は横転し、横溢する言葉が帰依すべき意味を持たずに、譫妄を繰り返しては、見つめる幻影に硬質な意味を持たせずに、ただ白昼夢を生きるように陽炎の下で朦朧としていく主体に区域を授け、空席を埋めるだけの現実に言動を持たせ、追憶に瀕するだけの価値に形を用いるだけに邪魔な身体を邪推する限りに裏切りは続き、倒錯する意味にこころは錯綜し、逍遙し続けるだけに頓挫し、倒錯するだけに女々しい身体は本質を求めるだけに逡巡し、堂々巡りを続ける内心に配線をつなげ、自堕落な身体を発破するような爆裂を授けるだけに汚い機会からふさぎ込んだ君のイデオロギーは誤るだけに満たない偏執に変わり、兼用すべき愛も行為元々に備わる原理的な理由に法則性を用い、誰かを抑止するだけに欲望に反し、寛容な理由を失い、早熟な関係に前後していくいたいけさに恒常性を失い、ただ倒錯するだけの関係に軋轢を持たせ、製造される関係にこじれるだけの意図を意味につなぎ、引接されるだけの悪意に荷担するだけの権力に嘔気を重ね、高揚すべき関係と観念は、行動に弔われ、今に至る原理に潜む悪意に拘束され、査定されるだけの現実に行為を残し、心身から解脱すべき改ざんを行い、自分だけが正しいかのように占める割合にふさぎ込むだけの苦悩に交互していくだけの形に意味は失われ、正常さを求めるだけに性善説や、性悪説にアクセスし、みずからの苦悩を信仰で癒やすような形に収斂され、酩酊し続けるだけの倒錯をみずからに課せる間に懲罰を加える善悪や、罪と罰の意識から開示される意味などが高圧的に迫り、君を押さえつけることにこそを怪しむべきであり、たとえ何かや誰かが正しいと示唆しても、そこに権力や軋轢が加えられる限りに正しさは偏り、誰かの意思を含んだ行為に移行するだけに答えは誇張され、後続する意識は、接続される苦悩に関係を移行し、交錯する意味は倒錯するままに構造に荷担する権力に加勢し続けるだけの全体主義を生み出すだけにファシストや、理想郷を謳う権化がうそぶく機械的な支配から、気配を牛耳る独裁的なナショナリズムが支配する気配などが緊迫感を与えるだけに悪魔たちを作り続ける生産性を、あたかも生産的で正しいことのように示すものにこそ、おかしいと告げ、みずからの正しさとともに生き死ぬのが純粋な行為と呼び、それが本能であると言い放つ。