昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

ながめに、わたしのはなしをしよう。

生きるための着付け薬的なものが、お菓子だったりする昨今、唯一の発散がゲームだったりするわたしの幼児的な思考との対立が、母体回帰しながら、さながらを幻想的に変え、惑溺する今にセレナーデが響き、荒ぶる魂を鎮魂していく。結合していく真っ黒な世界との結節点すらいらず、句読点が降る夜に、嘆きすら届かないから、とどのつまり、テクノロジーを批判し、自然へ帰れ、とうながす東洋思想に統合される訳にもいかず、わたしの哲学は、反することを反芻し、みずからを批判的に乗り越え、確かな問題に想起するイメージなどが雪崩のように迫る文字を一心不乱に休み無く綴る拙さにも、弾け飛び、襤褸な文言が盛り込まれ、もぞもぞとわたしは、何もかもに耽溺してみたものの、そこで完成されたものは、何もなく、悶えるほどに、得たものや、得るものとは、空虚になるばかりか、重たくみずからを抑圧するだけに至る痛みが散文と化し、今に至る原理を超克するヘゲモニーが連なり、拙い思いを確かな意味に変え、重なれば、些細な出来事も軽々しく今に迫り、わたしを狭い価値で囲うたちまちを翻すべく、わたしは命を授かったの、だ。 「苦衷に嬲られる君に投げキッスしては、段階を踏まえる愛を超越するようなエッセンスをなびかせる軌跡が、形跡を踏まえず、遠慮無く入り込み、混み合う意識のモコモコに乗りながら、分泌される永遠から疎外される乖離した感情と結ばれては、諦観していくだけの現状に閉鎖的になるよりも、なれ合いに浸る文明から逸脱し、孤独を教える教師たるわたしの独り言がイデオロギーに変わり、運動に転換される限りに渇望する未来は、すべてを取り込み、端的な革命を謳わず、うるさい輩は放っておき、とっておきな自分に帰るべきだ、と諭す今すらも無為に鎮座する。」 動向が端的なリズムを失い、誇張される原理に些細な距離を残し、譲られる雰囲気に閉じ込められるだけの孤独から、独奏していく真理がメロディーに変わり、数々の音を取り込み、同じ位置に意味を残さぬようなカーニバルに時代を変えていく。加速する時代は足かせになるだけで、セカイ自体を含まずに不満を垂れ流すだけの場面に展開される理想から共通していくだけにフラクタルに変わるだけの事実に疎外され続けるような痛みを旋回し続けるだけの精神性にセカイは奪われ、正解が褪せるだけに統合される事実に屈折していく自我論に閉じ込められるパーティータイムの孤独にこそ凍える文明の侮蔑的集約が備わるのです、と嫉妬心ばかりが乱立する慟哭するルサンチマンから敢行する意志は衰退するのです、とまじめに不文律を超克すべき著しい跳躍から渇する理由が根幹に備わり、敢行する意志に強度を授ける間に備わる今に意味を授けるのが、わたしの事業であるのです、と説明不足な今にはき出す論理から分岐点が備わり、多種多様な今に加速していく状態に時間すら廃れ、不必要に成り代わる間に対敵である自身に交換される悪の円環から拘束されるだけの文明的な解脱から、寛容な状態を生み出すだけの事柄に代価も無く、生まれた意味すらいじけたままに葬り、ただ達する間に生み出す意味すらすぐさま不潔に変わる。その場で生まれる思いとはどこに帰るのか、と促す君が束縛される彼方に荷担する状態を受胎し、それを産み落とすまでの苦しみに疎外感は迫り、孤独感を嬲るかのような季節感に幽閉され、出るも孤独、引きこもるも孤独だ、と対話する偶像的なヘルダーリンが産み落とす卵を温めるような詩的なリズムに事実は、事務的な興味を失い、倒錯する原理に芸術的な創造性だけが各駅停車し、ゆっくりなリズムで風景を乗せひた走る面影が形に変わる事だけを価値と呼ぶわたしは、懈怠するだけのセカイを世界と呼ばず、ただ次元に閉じ込められ、倒錯するだけに至る定理に基づく答えに反し、背反し続ける通観に姑息な理由すら無く、卑賤な価値は、カタストロフに至るだけに収攬するような操作を淘汰すべく、この歌が延々となびく限りに帰り着く命に位置を持たせず、ただつながり続く事に置いていかれても尚、統治される事無く、断り続ける意志に断続する確かなに最低限の至福すら要らず、いたずらに敷衍していく思いを逍遙するような原因に疎外され続ける事に孤独は無く、孤独は思う事から敷衍し、その普遍性を狂わせるように加える出来事が外から迫る恐怖に震えるだけの経済的な伴侶になあなあの義務を放つ事に置かれる自己が負う恐怖が増殖する限りを恐怖を感じ、総和せずに、その場に生える事実すらにも恐怖を覚える限りに恐怖は不安を補うだけに至らせ、その場を思い、膠着するだけに至らせるような世界と世界と呼ぶためだけに時間を割き、有意義な日々を失う。