昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

能動的な夏と無花果

頭も少しずつ割れてきたのだ。ただずるがしこいから、頭は割れるものだ、と罪深いあこがれに燃えたぎる空が憐憫を放ち、追憶に瀕するだけの形にもだえるにんげんの形をしただけの時代的な猶予に閉じこもる夏などが大嫌いだから、アドレスに価値を引きずるような運命に朦朧としていくだけの人混みからエクソダスし、演奏の隙間にエクスタシーや、垂涎しているだけの獣たちの群像や、軍国主義的な汚い奴らが君臨する麻痺したジレンマや、ずっと歌い続けるディーバは誰にも会わずに、単に詩の中での幻想を演奏し、その中で恋に落ちるようなメロディーの中で破壊される自己を危惧し、鮮明な過去を今にフリーズさせるだけの些細な出来事に戦争を引き起こすだけの大恐慌などが迫り来るセンチメンタリズムに尖鋭な理論を構築する連綿たる様相をクリアにすべく、この呈する理論こそが、姑息なメディアを打ち砕くのだ、とかなんて左翼的な理想論なのだ、と陥る右傾化から、陥没していく母なる山々や、ギャングがうごめく死後硬直の夜だとか、ドメスティックバイオレンスが泣き叫ぶ重縁の日々を超え、輪唱する時折に嘆き苦しむ過程に、来る日も来る日も苦しむなどは、今に苦しみを体感するだけにひどい苦痛を背負う物語を超えた辺りに、君の希望は生まれるわけであるし、そこで諦観しても、指定されるだけに思考停止し、同調圧力が棚引く環境などが正論かされ、あたかも正しい、とされている事に隷属していて、幸せばっかりを謳うだけで日々はふさわしく無く不幸せで、ああ無情で無限大の価値に至るだけの創造に至らないから、求める欲に引き出される価値に悲観していくだけの卑賤な形に価値を生み出すだけに堕落するのだ、とまたもや左翼的ルサンチマンから緻密な密度と、陰鬱に帰還する差異化とドラマチックな邂逅から、予言者がさすらう奴隷化する過失から、感覚を失い、創造性に浸るだけの芸術性こそが、この世を翻し、この時間に囚われず、統合するだけに徴収される税や、関連に生み出される状態に孤立するだけの複製的な思春期や、青年たちや少女たちは、帰る場所を探すばかりで、自分を変えずに、場所を変えれば、何かを得られ、その場で変化するように思えるような高揚感を終えたら最後、ただ堕落するだけに短絡的な普遍性に飲まれ、誰かに流され、みずから流れる事を知らないのだ、と説教じみたリズムも腐りきった官僚制から、契合されるだけの軋轢に瀕するだけの婚礼に浸るだけの季節から波状に生み出され、放射される端々に変遷を経るだけに飼い慣らされるだけに至らせられる事が普通と呼ばれるだけに打算されるだけの数理に利得が生まれ、危篤な者から排除される荒野にひれ伏す純度や、純情に張り裂ける恋路に至るだけの原料を集める旅路です、と青年はカタルシスを繰り返し、からを破り、繭を引き裂き、新たな生命に変貌するだけに問いただす理由も突然変異し、偏向する意識が革命思想を手に入れた、と新たな試みに叫ぶ頃には、関連する状態に事業を生み出さず、ただ採算を合わせるような日々に曖昧な価値は、役所を通じて、終わらない引き継ぎから、終わらない状態をこじつけるだけに遅延していく状態に至らせる行為が、官僚支配化しては、甚大な被害を生むのです、と母なる宇宙に帰還する私は、抽象的な構造から、排除されるだけに絵画の中に消え去り、些細な出来事を飲み込むブラックホールと恋に落ち、みずからの落ち度に飛躍するだけに何にも囚われず、すぐさま忘れるからこそ、形あるものの終わりも見事に散りゆく一途な動機も透徹していくだけに完全性を求めるだけに関係から逸脱し、離れるほどに求める愛こそが秘密裏に求める行為に純真さを授けるのであるし、やがてアナーキズムも杜撰なかゆみに変わり、儒者として典麗な時に幽遠を生み出すほのかな永遠回帰の間にドライブする状態に自我がフロイトによりねつ造され、自我こそが、最もな器官なのだ、と蝉蛻していく時に勇断するリズムから、固執しない過激な理想論者がしゃにむにテロリズムに陥るから、この命は鈍磨な暴力により摩耗され、弱者から排除されるような哲学を生み出し、あたかも正義が謳われるだけの正義が跋扈し、悪がねつ造されるのです、と促す先に神は編み込まれた生死に食い込み、精神そのものを飲み込むだけに家畜化する人類を嘲笑するだけに卑劣な愛憎が飛散しては、この身体は残り物を食するだけに衝動的な遷移を繰り返し、誰かの身体や、どこかの土地や、どこかの木々に憑依し、貧相な形から抜け出し、自分では無くなるからこそ、エクスタシーを生み出し、だんだんと迫るセンチメンタルな遷延から、愚鈍な輩が解除法を探す奴隷化した夜から、かばい合う愛から、離れ合うひとときに至るまでに流れる時間などは不必要だから、不意に食い込む君の形や、懐古にひしめく過去の顔などは要らないから、この揺動される今にいじける事無く羽ばたく。