昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

全体主義への背反

私たちは、自らの思考で、自らの言葉は語らず、教わり、押し付けられた答えに導かれているだけに満たない答えを押し付け合っているだけに過ぎない。 すべて初めて受け取るものだ、と思い、先入観を抜き去った後から、確かな世界は自らの力で始まる。考えさせられただけに至る答えなどは、自ら生み出す驕りに至らせるだけに満たない答えを今につなぐだけに過ぎない。 確かな考えは、答えを突き抜け、考えを浸透させ、深淵で分散し、確かな考えが答えを超越した答えを自ら引き出すだけが、答えの本質に迫り、真実を分離させ、確かなものを自ら創造するに導く自らだけが、物事の正しさを知る。打ち込む言葉が頭に響いて、たじろぐ後から試練が生まれ、あらゆるジレンマに混ざり合う時折に帰任し、認可される間に去り行き、導かれる影から重なる過程に蓄積される秩序なんかを翻し、やがて躍動する身体が踊り出し、運命的に想起する先々にシンクロしては、進化する差額をすなどりながら、長らくにセンチメンタルな動機を埋め込みながら、痙攣する先々に心情を捧げては、横溢する瞬間に循環していく過程から固結し、瞬間はやがて卑賤な価値を捨て、優しい意図をたどりながら、長引く由縁を寄せ集めては、再起する時折に退きながら、深淵を覗き込みながら、混濁する幽遠に充溢する果てに行き過ぎた経過を追いかけ、形容される今にも隆起する意味を履き違えながら、かき乱す瞬間にジレンマを与え、尊い命を遡り、権威を持たずに、権力を否定し、我々はつながる今にも朽ち果て、はだける今に堕落しながら、寂れた意味を排斥しては、何も正しく無いからこそ、正義を裏切り、悪すらも超越し、遊離する果てに離散する過程から経過は破棄され、貸与する自由から飛び立ち、逍遥する先々に帆翔し、やがて配られたヒロイズムが傲岸不遜に迫る堕落した主体に空間的に躍動しながら、受理する理由に乾き切りながら、対象とされる時に疲労する瞬間に嫌疑ばかりが、場面を包み込み、満ち足りない余韻から、加勢する状態を授与される時を誘致し、退く合間から主体は不器用にくたびれ、省かれては、体たらくな日常のコアを抜き取り、蔑む今を超越し、集約する動機に理性すら残さぬ獰猛さ迫る世から超脱し、明晰たる自己に帰還し、確かな今に折り重なる言葉を挟み込み、やがて来る今に出会い咲き誇り、長引く今につながる動機を捨て去り、雑多に塞ぎ込む世界に吐き捨てられた言葉を掻き集め、硬質な今に書き換える。物事に風情が加わり、心は情緒に純化し、心情は、確かな言葉にまじわる。 ただ求めたのは、主義では無く、表面上の自由が促す思想的な自由にあらず、ただ思いを運ばせる軽々しさが、示唆する思惟にあらず、漂うままに明け暮れる流れの重きを知る事にあらず、ただ答えを求めるだけにあらず。 ?有する流れに肥大する価値を否定し、秩序を打ち砕く鉄槌にある。 自由とは共鳴し、得るものにあらず、有するものに飲まれるだけの世界に正しさなどは無い。 ただまっなりこのまま揺らぎ、余る意味を見つけ、身に余る今を排除し、大切な瞬間を紡ぐ。 行動に本質は無く、行き着く先に真実すら無い。 ただあるのは、その前に行き着く過去のみだ、と告げる先々に存在は彼方に儚く消える。健気に掌り、まさぐる今にもまじわり始め、悶える月日が先々に充溢し、あらがう隙間から永遠も伝わり、きわまりきらめく今に探るつくづくが、小さな意味を紡ぎ、あらゆる意図は、意味を収縮させ、収集される意味を披露し、やがて刹那も深まる情緒に労わり伝え、淵源に歯がゆく散らばる意志は、憤懣を超越し、逍遥する未来に深まる俯瞰をはめ込み、備えられた場面で渇望する今を境目に、退く今から取り込む軋轢や、執り行う意識を抑圧しては、牛耳る先々に凝固し、混濁する意識から歯がゆさが散らばり、緩和する思いにひしめき、浸透する意志に季節は破壊的な化け物を措置し、排出される今から脱兎すべく、名前や意味すら帰任させる場所を持たない、と殴り書きしては、関連する状態を受胎し、連綿たる瞬間に産み落とし、連動する自らの創造の強度が高まり、快活な動機に因子を加え、邂逅する意識に些細な言動を授け、曖昧な秩序を破棄し、ただ腐敗した管轄の中で保たれる権力が、官僚みずからがカタストロフを引き起こし、あらゆる論理を阻害し、金だけの馬鹿者を討ち取る先々に、端的な未来は渇望し、恐れを破棄し、ただ怯えるだけに保たれる心身に用いる意味などを破棄し、訪れる今に想起する理由に帰納する機関から逸脱し、あらがい孕む先々に新たな未来は、改革せずに、かくかくしかじかの模様をすなどり、たちまちに侵攻する意識は、革命を自らの内外に散りばめ、無辜な者を殺める信仰を超越し、人類愛的な尊厳を保つだけに理由される愛や言葉を破棄し、この命は、コネクトされず、去りゆく現状に形而上的な正義が打ち出す正義に尊厳は持たせず、ただ考え着く先にも、答えは善悪をモチーフに、対象とされる意思を意味にはめ込み、ただ配当される均一さに平衡を保たず、かたよる意志から瞬時に破壊的なニヒリズムを用い、とめどない闇を構築し、かたよるカタストロフィから、安逸な習慣に偽装され、構築されただけに膠着する意思を拘泥し、あらゆる方法に屠られ、嬲られた暁に宿す真理などが、陸地を持たず、ただ肥料として扱われ、浮遊する意識は、帰り着く意味を持たず、ただ機械的に示す行為に片付けられ、買い取られる喜びに不潔になり、気づいた頃には、ほとんど麻痺して、損得で示され、尊敬を持たず、統計される数理にかたより、解析されるデータの回路になり、端末になり、巨大な資本の器具の一部と化する現状にこぼす激情すら排除され、隔離され、疎外された社会から逸脱することを赦さぬように、と締め出す教育こそを、おかしい、と思わぬから、人間的なものから抜け出せず、超人に至るまでに満たない意識は、選ぶことにかたより、課せる今から意味は剥離し、表面の痛みと、内部の痛みが乖離し、傷は、どこにも行き着かず、ただ痛みだけを認識し、ただ労わることを忘れ、わずらわしい痛みに虐げられ、かさむ痛みに調和されるべき意識は景色を吸い取り、踏破すべき意志から記憶を巻き込ませ、惨憺たる常時に受理される愛などがドナーを探し、一切を端的で軽率な意識に帰り着かせるだけに至り、陰鬱な衝動に本質は焦土と化し、焼け付く思いは、この退屈さを巻き込ませている、と思わされているだけに満たない情報を鵜呑みにし、ただ飲み込まれることを喜び、発散されない痛みを含み、わずらわしい芝居を続ける三文役者や、猿芝居を続ける傀儡的な道理に含ませる、道化的な心理に基づく世界や社会から逸脱するからこそ、新たな意味をつかみ、ただ携えられる出来事を超越し、創造し続ける矢先に迫る改革に改竄されず、ただ成す者であるべく、でたらめに突き刺さすようで、確信を得ては、ただ突くことに意味を持たせず、些細な出来事に勝敗を当てこすり、誰が価値か、と促す畜群的な愚行を携えず、携わる意識に、意味など持たせず、ただかたよる先々に寄り添う御身すら儚く散り散り、行き先などは持たず、かさばる月日に傲岸不遜に威張り散らすカゴの中の鳥的な余裕の無さを卑下し、嘲笑するよりも、今に何を行うか、と尋ね、強請るだけに効力を保つ欲そのもののケダモノに陥らず、ただ我々は、良くも悪くも、空洞化した今にはめ込まれ、未来を見ずに、希望を持つことすら笑われるように示されたペシミズムを背負わされたように、示す意味に締め出され、打開し、介する矢先に悔悟を与えるだけに、憤懣を瀰漫させ、何かを恨むか、何かを羨むか、何かをうやむやにし従うか、何も知らずに否定し、自己批判に至らず、ただ批判に至り、自らを見失い、何かを受け入れ続け、自らすら無くすあたりから示される理由を知らずに、何もかもを否定することに、真実や、真意すら無く、驕りたかぶるだけに至る自らの卑賤さだけが周囲を背負い、撹乱するだけに至り、リロードされる意志は儚さを悲観に変え、拘う動機は迫害され、汚染される信仰が浸透し、唾棄される意味に陰湿なアカデミズムを用い、参照される物事を生み出し、見出す意味すら見失い、損ない続ける品位など、と騙り、自らを奢り続けるだけにかたよる今から破壊され尽くす今に遡る過去から懈怠する真実が運命を切り裂き、解体される現実を健気に遂行し、完璧を目指さず、ただ適当に徘徊し、加算される出来事を調和させ、仲立ちする意識に改竄される真理すら不必要であり、目指ざすべき位置に、意味すら持たせない。認識する前に存在は無に帰依し、永遠は強度を増し、無に吸収されては、一切は永遠な長さを無に含ませ、互いの距離を埋めずに、認識される距離を超越し、無は永遠に、永遠は無に成り代り、互いは互いを引き込み、愛し合いながら、誇張される景色や形式を飛び越え、瞬く間に高揚する。?生きてこそ、盛大な死を出迎える。 ただ利用する者と利用される者が居る世界には飽き飽き、だ。 詩の役割とは、物事と現実を乖離させ、遊離することにある。 自らにハンマー打ち付け、誓いを立てずに、自らを掘り下げる。 自己を解体し、擁立する前の精神を開け広げ、立体的な世界が氾濫する前に遡る本質の自由すらからも超脱し、待ちわびずに、飛び越えるあたりに訪れる真理すらも破棄する画期的な試みは、願わず待たずに、超自然的に調和し、この煩わしい周囲と和解し、境界線を持たぬように示すあたりから対比する理由すら超越し、至近距離に迫る安易な時折に帰巣する心因に導かれては、怠惰な意味を超克し、果たす前に我は、我から帰依し、感染するまにまに迫る深淵に心境を葬る。 その先に待ちわびる無益さからエクソダスし、惨憺たる余韻にひしめく痛みを引き裂き、引きずり回される後を旋回しては、熱情する時に結ばれ、延々と演繹しては、刹那に逃避し、永遠とは、時間を持たぬ何ものをも恨まず、老いぼれる矢先に典麗な意味を加速させては、悲劇を持ち込み、ただ悲劇が一切を汚染している現状すら蚊帳の外であり、毎日に迫るのは、空虚な忙しさに纏う短い休息に、休まらない体を引きずり、誰もが、誰かを苦しめるように示す喧騒に嫌悪が添い寝し、悪夢を見せつけては、手懐ける後から退廃しては、最たる意味を紡ぎながら、内外に馳せる言葉が広域に広がり、認識すべきは、確かに触れては会えた喜びを放つような孤独にこそ、真の意味は世界を持たず、何をも統治せず、鮮明さに展開される理由に位置付けられない一途さに飢餓しながら、先鋭的な自らに迫る価値に意味を当てこすらず、曖昧に司る今に復元され、複製される痛みに排除されずに、明晰に膨らむ過程に我は消費され、接続される存在を引き剥がし、延々と迫る今を蹴散らし、自分を問うところに答えは無いことを知る。?冬らしさが意識を旋回する。 瞬く間は、置いていかれるままに、味気ない時系列をたどる優雅さを自らに重ねる。 神なる名前を排除し、概念的な神的な物語を排斥した後に溢れる純度を探り、高まり昇華する思いが今に築かれ、受け取る断片をつなぎ合わせ、デタラメながらも、自らで組み立てる自由な要素が、新たな試みを含み、変化を生み、反抗から巨大な渦に変わり、あらゆる根源を引き抜き、翻し、差し込み、植え込む種から、新たな花が咲く。過去も同義も失われる幻想的な展開に乱立する風景に生い茂る感覚だけが、寛容な世界に氾濫し、簡単な理由を用い、だんだんと迫る暗澹に差額を支払うだけの素因から、因果律を消滅させるような死との対立から、空想的な予感にひりひりとする深層心理に豊かな症状と醜悪を重ね、現時点を消費しては、利己的な支配の経路から関係性を割り出し、兼ね合いながら、理由付けを施すだけの現実などに現在は消耗され、貧相な球体で泳ぐデカダンで出来合の日々ににじむだけの予感が共感を呼ぶだけに嬌態に転じ、ねじれた雰囲気に入れ込まれるだけの事実から収斂される妄想が去りゆき、転じる風景に生じる由縁は、生き方を説教するだけに倒錯し、短絡的な疎外感を重ね、時代性の悪夢を促し、絶対的な主観を奪い、瞬間に理想を突きつけ、償いなどを求めるだけに最たる意味も失われ、疎外感に抑圧される精神などの行き先などは、脳内の血の巡りにより、変わるのである、と物質的なサイファーが深まる理由にねじ込まれ、悲壮感に漂わせるダダイズム的な勇躍から、卑劣な創造性への反抗から、戦争的な演技に総じて俯瞰を奪うだけの空間的な哲学の路地裏から、憤懣こぼれる曖昧な正義から疑心暗鬼するだけによがる成否から、この軽薄な関係に用いられる性的疑念から、復讐的な悪魔を用い、誘導される正義などに膠着するだけの悪意に頓挫する座標上の自分から理想は供給される詐欺的な麻痺から、愚弄を重ね、幼児退行するような悲恋から、砂漠化していく潤い無き言葉のモジュールを破壊するだけのバンダリズムが垂涎している先々にトラウマなどを用い、そこにパニック症状を促す穴蔵から、仮想的な混沌を流動させ、流行的な不信感に不謹慎な理由を良俗だ、と促す過程から、シリアスな呪詛をこぼすだけの大国的な理由から朗唱し、損傷していく精神などの行き先は、こころなどにあらず、こころを器官として受け入れない脳は、ただ胸の辺りを刺すような感覚から、こころは、胸の辺りにあるのだろう、と妥当な判断から、深層はショック状態を促され、配給される血流の狂いにより、動悸が生じるのだ、と科学的判断にロマンは無いから、とリリカルな衝動は本質を引き裂き、人間が考えられることなどは、人間に収まる限りに倒錯し、何かを用い、権利を謳う限りに権力を用い、自らの権力をモチーフに誰かを蹴落とし、剣呑に麻痺させるだけの恐怖感にビートを授け、最たる意味も曖昧なままにふさぎ込ませることを覚えさせるだけに横暴な支配の経路が結ばれ、無数の痛みが夢遊病のようにさまよう現時点から消費される関係は、陥落するだけに至らせる関係に成長を持たなの、と互いを掲揚するだけの関係は、互いをライバルとして置き換え、ただ愛に至らずに、生存のための共存共栄から吐き出される愛から狂った寡占を促し、独占していくだけの互いの境目を生み出すだけに淘汰すべく戦争状態に陥り、汚染される先々に激情をこぼし、高揚する感覚を失い、互いの愛に冷めるような感覚に距離を用い、現実の檻に入れ込んでいく関係からがんじがらめになる恨むだけの論理から、損傷していく主体に揺らぐ関連から律動していく本質から乾いた現状が横溢し、有する関係の隘路に変わり、相思相愛であったところも狭隘に変わり、愛された記憶すらも、記憶の中ですれ違いを生み、ただ愛さぬ関係は、ただれもつれ、生活を用いるだけの関係は、関連性に押しつぶされ、ただ継続するだけの虚偽を違いに重ね、騙し合うだけに打算される真実は、互いを恨むだけにコードを書き換え、物事の本質も見られぬような輩が転じる理由に消費される関係などに打算される真実は、価値を用い、物事を瓦解させ、果敢に挑む理由すら喪失させるに至ることに用いられる権利を謳い、自らのプライドを保つだけの闘争へと転じて行き、提起される動悸に氾濫していく思いも、ぽつぽつと振る小雨にぬらされ、輪唱する真理が鼓膜を突き破り、脳内で操作を加えるような洗脳的なメディアよりも、教え込まれた概念から捻出される法的な麻痺が促す道理こそが、最もな抑圧を生み、自由などを謳うだけに運命にうらぶれ、運動的な対立に含まれる現時点から原始的に至らず、ただ演じるだけに対比される関係に慟哭し、不文律な運命は、疎外されるだけに嬉嬉とすべきであるし、孤独を謳歌し、深まる考えにすら従事せず、ただ十全たる存在にすら反し、関するだけに用いられることごとくに対してすら反することに置かれる考えは、横溢するだけに判断を飲み込み、暗澹とした感情を環境に背負わすだけのお粗末さに至るよりも、自分こそ正しくないのであるからして、誰をも信じずに、ただ突き抜けるべく、用いられる答えを飛び越えるべき勉学に励むよりも、見聞きする判断を付けるべく、正しさとは、押しつけられているだけに過ぎず、悪もそれに然りである、と知ったことから事柄は大きく価値転換され、信じるべきは、どこにも無く、ただ己に存在し、混在する出来事から過ちが生まれ、怪しむべきは、その考えに至るまでの経路であり、そこに教育を施された欠如にこそ、真実をうやむやにし、誰をも恨むべきだ、と教え込んだ教育にこそ混同された意識は、形式を用いられ、混同する理由から堅持して行くだけの物事に誇示される権力的な何もかもに反してきた幼少期から、ここまでの滞り無い反抗心だけが、私を私からも乖離させては、自由や答えなども求めずに、ただ浮遊することに根ざすべき意味すら要らぬことだけにたどり着いた。ただ格納された真実などは、大量破壊兵器に変わるだけであるし、ただ与えられた物事や文言などは、依存的に至るだけに過ぎず、全体主義に陥らず、衆愚が促し、畜群が促す善意的な倫理にすら正しさのひとつも無く、ただ報じられる出来事が偏るだけの偏波な思考から見つける真理などに本質は無く、ただ用いられることに反し、何事かを何物かを見られぬ者から連動する劣悪な消費から観念は推考されずに、浅薄な者が見つける道理などに真実のひとつも無く、ただ集るだけの輩が演じるだけの絆や、共存共栄などは、共依存的な損得勘定でどんどんと互いの価値を批判するだけに弁証法に至らず、ただ互いを陥れるだけに満たない戦争がそこかしこにあふれ、曖昧な理念から理想は供給される希望により支配され、物事の規模を測れず、謀られるだけに至らせるだけの闘争を生み出すだけに満たない。