昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

普遍的な君と私の距離

離別していく間隔が広がり、新たな成因や、心因を絡ませ、世界からかけ離れ、放たれる意志は、定理を飛び越え、捉える意味が君をつかみ、確かな意味すら不潔で不可解であり、付加価値を与えるだけの物とはなんであるのか、とうながす意味すらも被害者意識的な同調をルサンチマンたちにうながし、赤裸々であるとは、何かを着るという概念たるものを除外しては、殺伐とした時を超越し、産卵する愛から敷衍する気持ちが意志に変わるまでの物語に綺麗も汚いも同等にたむろし、認識すべき意味すら、誰かが踏み荒らし、影も形もないままに教わった答えが名前を用い、名前だけが全面にあふれ、確かな意味を気質に加えず、感情は確かな動機を意志につなぎ、確執を生み出す前に色彩を放ち、たじろぎ頼りない軌跡をたどり、ひたすら裏道を通り、誰にも見つからぬように徘徊する。政治の形態が古いから、人民は孤立する疎外感に震え、外観から奮われる恐怖により、人は人の皮をかぶり、人を騙し、人のままで終わる故に求める超克は、古びた価値を粉砕し、みずからの価値を初めて認め、それを価値と呼ばぬように仕向けるべく、人間からは脱するの、だ。怠惰な身体を揺らす行進曲に求めあう心情も刹那に消える。価値とは、無くても、それはそれで良いものだし、あったらあったで、邪魔になるものだ。人の世もここまでか、と人が人を騙るから狩られる事をよしとするのだ、と枯渇した思いは、過去を美麗に変え、淫夢を生み出し、即座に今を束縛する。家族が国家的なものを孕み、誰もが、誰かの所有物と化する間に愛は贋物に変わる間にも、価値を含ませ、買い取り、買われるものだけが、飼い慣らされ、従事するに至る合間の家畜となる。スケープゴートする先に何が待ち構え、何を世界は受け取るのか? 何が未来に待ち受けるのか?何事かは、我々を奪い去り、因果に葬り、時代を用い、自己を屠るように仕向けるシステムが強化され、浸すイメージから、意味は逸脱し、察する気持ちを牽引する乖離した自己から、意思を失いシステムの傀儡と変わる。代価は、誰に与えられた意味を意志に加え、抵抗せずに従い服従に至るのか?観点は奪われ、果たす意味すら無駄に終わる。私とは誰であるのか、と君との距離も年を重ねるごとに、日々はひび割れ、どこがここであり、私は誰と誰を突き放し、あたかも他者が生み出す私を照らすまでの虚偽をそこに生み出し、歌い出す意志から、引用されるだけの動機に印象を放ち、あたかも定義を生み出すだけの疑念を誰かに抱え込ませ、過失を生み出すだけに至るのか?アリスは備える意志に位置を用いず、さまようだけに陰る命を重ねる時間から形跡を生み出すだけの膨張と暴走の合間で無意識から敷衍する革命から、超然とした自己から孤立し、乖離し続ける自己の段階に踏まえる分離から、理想は供給されるだけの苦しみに明け暮れ高揚し、殺戮を食い込ませる独裁者の出現から、簡素な理由を長大な理想に横溢させるだけの嘔吐から波蝕を繰り返す陰鬱な支配者から、背景を飲み込む帝国主義的な戦争屋から、加速していくカタストロフの傀儡を生み出す資本家たちの優越感から肥大するルサンチマンが破壊に至るだけの暴力に統合される事こそが、資本家の思うとおりに理想を追求するだけの偏執を思想に生み出すだけに至る定理などに抵抗すべく、この位置に上下左右も無ければ、指図も展開も無く、もれなく透徹するだけの意味が純真たるままにたぐり寄せる利己的な自己を超越し、備える意味に損得や善悪すら無く、ひたすら歪む地平を不安定なままに徘徊し、排除されるままに嬉嬉として、交差する意識が混じり合うままに強度を増し、補強される心因に備わる全容から格納される悪意から根源は寂寥たる隔たりを打ち砕き、由縁にしのぐだけの愛を送り込み、横溢するままに開ききる意志から、追考する全容に援用される意味だけが、この超然とした自己に対立する自分を疎外せずに、そのまま自分との闘争から、革命は、迫害されるままに喜び続ける意志だけが捉える全容に域は無く、陶然する瞬間に理想は供給されるだけの快楽に反し、配されるままの今にマニュアルを突きつけず、思うとおりに行動する事が、思い通りなるのであり、暗示は汝を傷つけ、そびえる今を硬質に変え、凝固するだけに至るから、滑り捉えられぬままに入り込み内部から変化させるような者であるべく、この思いに位置を用いず、君を旋回し、確かな位置にそびえる君のこころに響くまでの距離に用いる間隔は無く、あらゆる距離を近づかせるために言語や、文字は備わり、ただ伝える事に多彩さは不必要であり、ただまっすぐな言葉だけが、君に意味を残し、君が意味になるべく、何度も何度も続ける意志こそが、盛大な意味を産み出すに至り、この出産こそが、確かな子を育てるのだ、と言う事を綴る今にも何度も同じ孤独の子供が産まれては、君の意識を旋回し続けるだろう。