昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

叙情的な段階

会話の終わりを紡ぎ取る。流動する過程は原因を失い、さまよう限りに陰る命を捉えるべき日差しも、どこか憂鬱なの、と促す彼女たちの慟哭も嘘っぽくきらめくから、そっぽ向き、流動する過程に貨幣を用い、誰かを捕らえ幽閉するだけの価値に断続する断末魔や、乱気流や、風景に疎外されるだけの演繹する将来などが、謎めいては、悲観的なペシミストたちがうなだれる終末論的束縛から、破壊的に受理される永遠こそを引き算し続ける街並みに良俗さなどは無く、ただ誰もがだれた風に吹かれ、深まる月日に不満げで、健気な理想も、狂騒に利用され、領土を奪う合うだけに曖昧な理想を供給し、根源に磔にされては、小芝居を重ね、健全さを謳うだけの同じ服装の輩が流行をまき散らし、そのウイルスにより感染症に苦しむような住処に痕跡も残さずに、ただ哲学的な狂気へと移行することにプログラムすら無いから、その捉えることを深め、その深まる思いを解き続ける先々に乖離した理解は、悠然とした主体に傷口を与え、自傷的な観念へと淫靡に欠乏していく関係へとスケープゴートし、端的な痛みに共立する理想も主義も事業も倒錯するだけに至り、迷う先々にマニュアルを生み出すだけで退屈な倫理観に囚われることこそが、いちばんの悪を生み出すのだ、と宣言する共産主義的なナイトメア降り注ぐ付録のような生き方が促すルサンチマンな基礎から、殺し合うだけの理想は、強調される互いが、互いを蹴落とすだけにロマンを騙らず、ただ当たり散らすだけの根源に帰巣するシーンに断続する記憶も気持ちも、言論統制を目指すだけの国家的な偽装から、カオスを促すテロリスト的な理想までの差異から、かさばる善悪も、両方の中庸を保てず、ただ均衡を砕こう、と攻め入る暴力だけで、互いが互いの正しさを促すことだけに置かれる暴力だけが、瞭然とした真実なのだ、と謳うことに置かれる自分などは、どこにも居なく、ただ端的に照らすだけの罠から命からがら逃げ惑う自己から孤立していき、ただ今に備わる自分すら否定的に感じ、ただ猜疑心に包まれ、粉骨砕身して築く理想に帰巣する断続的な悪意だけが、簡素な普遍性を裏切り、ただ破壊的な理想へと偽装されることに置かれる正義をオカルト的に信心し、端的な理想は興じるだけの理想が狂騒に帰結し、頓挫することを嘲笑し、嘲弄するだけに至るだけの街並みがデカダンに支配され、短絡的な幸せを偽装するだけのプロパガンダが気骨稜稜とした者すらからも奪う位置から、知すらも無く、ただ無知を促すだけの馬鹿者の幸福論を克服したところで、露骨な支配にとどまる意識は、静謐さを保てず、自己破壊に至るから、端的なペシミズムに陥り、ただ恐怖におののき、貫き通すことを忘れ、一切に整然さを求めるだけに止めどなく暴走する暴利をむさぼるだけの餓鬼が画期的な民主主義を謳う頃には、傀儡政治は、最もな傀儡と奴隷を生み出し、宦官の暴走から、量子的なファシズムから、淫行を誘うだけの諦観だけを朦朧と妄想するだけの真相に真理は無く、ただエゴだけが真理をすなどり、最たる意味を奪うだけに簡素な理由に悪意を伝える。「最後の戦争の鐘が鳴る。誰も死地へと誘われ、諦観する因果に崩落し、腐敗するだけの因果の彼方で永劫に苦しむべきなのだ。」と促すニヒリストたちが交互する円環から離れ、受理すべきは、放たれる意志に無く、ただ死を乗り越える先に経路も無く、ただ危ぶむだけの道すらも嬉嬉として進むような勇敢さに、英雄視すら要らず、個人的なヒロイズムや神話を捨て去り、最たる意味に乗っかるだけの浮遊する老子的な観念で仙人的に専念するセンテンスに遷延する今だけが、たゆみながらも、すべてを避け、確かな経路すら見出せないからこその未来である、と姑息に嗤う連中に冷厳な死霊襲う原野に加工されるだけの品位を打ち砕くほどの鉄槌と決意だけが、君を育て上げる。「確かなものは、鋭敏に働く考えであるし、深まる考えの四季を超えた辺りに君こそが輝く晴天を覗き、昇華する。」確かなものは、よこしまなものにあらず、ただ達するがままに昇りきった後にすら、昇るべき今が瀰漫する昇華とカタストロフの差異すら飲み込み、君は君であるべく、君すらも捨て去る。「最たる意味は、君が意味をつかみ、確かなものに変えるべく、君だけが、君の内に備わる。」ただ永遠とは、時間的な猶予でも、恋的な暦にあらず、ただ達する時に訪れる深淵が永遠である。確かな距離は不確かで不潔でもあるが、君が空間を脱ぎ捨て、ただ俯瞰に迫る時間すらも超えた辺りに備わるリングに輪廻を注ぎ、ただ繰り返される行為にこそ、恋に達し、愛は永遠を加速させ、重なることを永遠と呼び始める。時系列はうやむやであるが、その蝕むだけの時間から離れ、歴史を捨て去った後にきらびやかな永遠が、そこかしこに備わる。「はかれる永遠は、はかられたに満たず、ただ儚く散り行く今に現れる深淵を覗くものに永遠とはなんたるかを深まる今が教える。」時間とは過ぎ去った後を取り残すだけの機関である。ただ体系に反する者を疎外するだけの倫理の豚でもあるのだ。ただ有る時間とは、有するだけの感覚に消費され、逍遙する隙間も無く、今を取り残し、ただ生きた証すら、その場で捨て去るようだ、とペシミズムに陥る問いすら飲み込み、何も無かったことにする。構築される時間とは、至るところにつながり、どこまでもその虚無の時間を引き延ばしていく。宇宙が引っ張る時間に引き延ばされることに置かれる自己とはバイバイしては、曖昧なままで帰巣する真実に理想すらも脱ぎ捨てる。