時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

生命と詩

詩人とは、共感も求めず、空間の余白を埋める予言者であり、未来永劫に司る無意味なドルや、円の仕業を、縁に変え、利己的な支配の経路や、買い取れる欲と罪との安易さにアンバランスであるのが、この詩人たる仕事であり、動機は演繹し続ける先にシステムを打ち破り、淫行に消えゆく空で、無駄口を叩くばかりの婦女子の永遠の秘密を口づけするような日々に有形の物すら要らず、ただこころに付着し、不時着するものを浪費しては、観念に貧するだけの価値に至らせるだけの世界をまとわず、自ら問いかけ選ぶものにこそ、関係は生まれ、奪われる事無く結ばれる今に瀰漫し、発散される間に愛を結び、無数の思念を飛び越え、超越する矢先に忍ばせる思いは、悲しみの暗闇に陥らず、君の肩をそっと抱くような意味をちりばめ、いたるところに生まれる恋心に奪われる充足感だけが、この世界を世界と呼ばず、ただ弔うだけの関係に欠け、訂正される先で浪費するだけの偏りから、真実はねじ曲がった意味を放ち、移行していく今にも、超克すべきなにかが備わり、惰性な思想から生まれる歪曲から、湧いて出る愛憎から、曖昧なマインドは摂理などを求め、他人をなじり、ただ踏みにじる事により、生まれる今に放たれる意味を帰巣させ、根底は、ただ飢渇するだけに専横される主義に真偽を攪拌させ、自らを善悪の対象とせず、ただ外から迫る事に善悪をなすりつけ、自らの罪は消し去るような幼少期からのこころの守り方から、観点は、カタトニーを迎え、頑迷固陋な意志から、逸するだけの理由すら生まれず、ただ奪われるだけに鬱積するうつせみは、空虚な物に囲われ、ただ陰惨な形に締め付けられるだけに買い取られるだけの出来事にできあいの真実を拡散する事に置かれる自己などは、ただ達するままの動機に転落する。白昼夢を歩く詩的なリズムから、早熟な観念を引きずる彼女の慟哭までの距離感を測るシステム的な計算機を壊すような鉄槌たる文字から、安逸な商売に降り注ぐ塩酸の雨から、黒い交際から、子孫繁栄を謳うだけの快楽的なゴムの中で泳ぐ退嬰的な論理から、籠城する観念は、ただ互いを入れ込む場面を持たずに、ただ罵声を浴びせ、互いを恨むべき為に長ける命は、祈りを持つだけで、願いに至らず、希望にも結ばれず、その場で枯れ果てるのであり、その祈りを越えるべき意志を持たぬ限りは、力に至らず、ただ倒錯するだけに至らせる権力の中で破壊されるだけに至るニヒリズムに前衛的な自己を孤立させるだけに至り、芸術性に至らず、制度の中で関わるすべてをのべて行くべき理想すらも、思想により歪まされるならば、なんのための思想であり、そこでためらうだけに至らせる思想などが謳う自由などに妨げられずに、ただ何事も用いる前に至る自分の広がりにこそ、この姑息な思想を越え、ただ詩的に描くだけに募る意識にだけ、史実は革命を乗り越え、ただ繰り返し反復する暴力を頒布するだけの貧寒な価値から、派生していく今に分裂していく自己を傍観する離人的な過去から、固結していく今に敷衍し続ける意味から、今は掃きだめに変わり、描くための紙に変わり、そこにミューズを授け、最たる今に浪々としながら、なににも捕まえられずに描く先々に対立する自己から離れては、恬淡に無機質に感染していく詩的な佚楽から節目も無く、節々に迫る関係を切り裂き、定める位置すら不潔である、と告げ、つたないままに世界を受理するような陥穽にはまるだけの背面から理想は神を用い、鍵も持たずに癒えない身体を引きずり、ただ祈るだけの妨げに至るよりも、いぶかるだけの身体を捨て去り、廃れるだけの関係に至るだけの構造に反し、介する間に愛も持たずに、ただ分断するだけに至る今に悲観するだけの救いなどは、君が生み出すべきであり、君の受け取り方次第であるし、やがて渇望するだけの身体に移行していく思念から、真実は死に絶え、真実すらも失い廃れるだけに至り、疲れた今を引きずるだけに至らせるような悲劇を生み出し疲弊するのは、一貫して自分自身である、と宣言する矢先に観点は関係に兼ね合うべきだ、と奪い合うだけに至る闘争へと自己を倒錯させる。詩とは意志を呼応し、反響する空間と我との間に終わり無い統合を求めるような交渉を続け、反逆していく思念を流動させては、この世界に観点は無く、ただ生まれるために裁かれるような囲いからエクソダスさせるべく打倒バビロンと告げる先に、得るものすら、得たに値せず、ただ相対し、曖昧なままで毎日を操作され、惨憺たる心身に貧寒な動揺を授けるだけに輪唱する神話から離れられずに、ただ結ばれるだけの痛みに乖離していく自己を豹変させるような愛に至る軌跡を踏み踏み、繁栄する孤独を文字に変え、衰退する季節に栄養を授け、ただ衰退するままに廃滅する間に淡々と腰掛け、その刹那を描き、ただ朦朧と行き過ぎる間に垂涎しては、描く事に不徳はあっても、太る事は無いのだ、と告げる。