時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

対象的な過去と荘厳な面影

彫刻刀でぎりぎりと傷つけられた腕も片付けられて、自らがカタトニーに陥る刺激臭漂う終わった世界から、加配される新しいセカイが起き上がり、乱立する動機が革命を用い、各駅をぶっつぶし、自らのニヒリズムを消費しては、傷だらけの身体をかきむしり、みだらな行為に至る原理的な指導者のハーモニカ吹き鳴らす夜から、跛行していく可能世界が見せつける二分化する差異から、詐欺化していくシステムから、暗い影を歩く道化師的な醜状から、根底から飢渇するだけにホログラムの中で生きるような昏倒から、セクシャルな夜の緞帳を燃やす業火の中で叫ぶ彼方とは、意外と近いものだし、何かに隔てられる訳でも無く、ただ枠内に収まるだけの人間を排除するような楽しい小説の中で加速する自由を笑うの、だ。感じられる間は触れられるものの間に寂寞を挟み込み、渾然一体として中空に放たれる間から、放出されるいっさいを精神的な支配からの脱兎を願う祈るおのおのの手は、確実性を用い、ただ記号化され、暗号へと関していく形式的な人間から拘束されるだけの数字へと変換されるだけの物事の軋轢から、たゆたう希望も、老化するほどに構築される問題に圧力を与えられ、ただ閉じる問題から、統合されるだけの数字的なものに利用され、利己的な支配から気配は、達する意味を牛耳り、利用するだけの返還される手続きから、地続きになるものを奪うためだけに与えられる自然の驚異から、遷都していく陰りから、本質は消え去り、創る者とと創らぬ者との闘争が深まる既得権益的な憂鬱たる戦争から、盗用されるだけの起源に排出される権限から、構築された権利とは、利己的な支配を受け入れる限りに過激化し、偏るだけに思想に縁取られた者から、暴力的な気配を継続させ、裏切り荒むだけの状態に利用されるだけに最たる意味を失い、喪失感にゆだねられる愛惜の言葉から、観点は浪費するだけの関連性に契合されるだけの物事に哀れみを拡散し、是正すべき格差も、攪拌されるだけに遮られる物事に浪費されるだけの関係に契合されるだけの物事を信用し、ただ踏破すべき物事も、固執するだけに応じる答えや、事柄から、解放されるべく、強制されるだけの労働に短絡的な搾取だけが生まれ、国家などを保つべきなのか、という疑問は愚問である、と掲げるべき理由は、アナーキーな者をアナクロニズムだ、と謳い、諦観する者をペシミストだ、と促す限りにニヒリズムとは、ただ虚無的な者だ、と謳い出した辺りから、ニヒリズムの破壊性に強度は増し、ただ短観にひしめく利用される観念から、奪い合う本能から、人間的な攻撃性は、延延と宿命を引き裂き、私利私欲に悶えるのが、この人間たるものの中に押し込まれた人間であり、人間と名付け始まった辺りから、この人間たるものは、自分の欲に引き裂かれ、ただ入れ込むべき身体から抜け出よう、と仕向ける辺りに虚脱し、乖離し続ける先にシステムを与えられ、制限を与えられ、構築されるだけの物事に牛耳られ、ただ与えられたものだけが、正しい事のように仕向ける限りに正しさとは、偏るだけに与えられた武器にも変わるし、盾にも変わるしで、物事の本質は疎か、何が正しいのかもすらも虐げる辺りに正しさは、悪を持ち上げ、自分を強調し、同調せぬ者を虐げ排除し、ただ同じ者だけに案じる事柄こそが、正しいものだ、と虐げる事の悪に気がつかず、ただ傷口に塩を塗り、死を織り込み、死をもたげ、用いる事柄を占領するだけにファシズムが強化され、ことごとくは象徴的な独裁者を祭り上げる軍国主義へと移行し、殲滅していく限りに抵抗する者を叩き、自らの無力さを水替えする他者を用い、自らの快楽や、観点に確かさを求める行為ほど愚行に至るものは無く、ただ行動する者も、ただ歪むだけに至る事に気がつかず、ただ扇動されている事に浪費していく観念に関係性は、用いられるだけのフォースに反さず、ただ関する事だけに高ずる事を目的に、自分こそが、正しいのだ、と嬉嬉として戦地に向かうか、センチメンタルなリズムに消失していく陰りに本質や、真実すらも見出せずに、闘争へと統括される事だけが、正しい事のように仕向けられる限りに陰る本質は、死地に運ばれるだけか、あるいは屠殺場へと運ばれるか、強制労働か、ガス室に送られるだけに臆するこころが、聖地を偽装され、宗教のために、この刹那を奪われるか、と闘争と倒錯だけが、この等差を人間たるものの中に押し込め、この要する形に懈怠していく限りに形態を変える権力から、こじれる辺りに破壊的なものが迫るのだ、とガイアと会話する私は、用いられる善意よりも、倒錯するだけの善意に反し、ただ何事にも徹するほどに、この人間たるものは、歪むものであり、超越を知らずに、ただ従ったように仕向ける私は、何事にも無関心であり、政治性などは、産まれた時から存在もせず、描くだけに設立された摂理すら翻し、自らを統制するものこそを翻し、同一化などは求めず、絶えず変貌するからこそ、自由すらも謳わず、ただ与えられただけに満たないものに興味すら抱かず、誰かが促す事などに興味すらも持てないからこそ、用いる意味も持たぬし、ただ虚ろな現代だとか、この世知辛い現代だとか、社会がいかに、とか五月蠅いから、ただご託を紡ぐ者の口を縫い付け、ただ朽ち果てるのがセオリーであり、背負うべくも無く、ただ込み入るだけの理由に真実すらも無いから、高次に至り、高々と誰をも笑わず、ひとり高みに登り、高みの見物に至るよりも、ただ本当に無関心であり、孤独を愛し、絶望をさまよう限りに、ただ浮遊する事に強度は増し、慢性的な痛みを蔓延させるだけの艶然から長け、生きるも死ぬも苦しむなら、ただ掃射し、短絡的な合否すらも突き抜け、善悪すらも超克し、長じる先に理由すらも持たずに、流動的に生きる事に、流される事無く、自ら流れていく事を知る限りに人間などから抜け出せるし、人間などからは、抜け出るべきである。