ただ居直るだけに座り込んだ形にモラルを率いて、関する理由に即座に反していく限りに指定される義務に陥る事無く、抑止させるだけの看板に効果を用いる宦官どものジレンマから、抑止されるだけに増していくリビドーが暴徒化し、鎮圧を目指すべく、権力は独裁化し、関係性を即座に奪うような罰を用い、圧力を加えるだけに正義は、悪に変わり、正義とは、何を用い、何を抑圧するためだけに即座に悪へと変化していくだけに咎める理由とは、正しさの圧力を加え、正攻法なものなど無いの、だと攻め入る事に根源を置き、横溢する答えに正論をぶつける限りに、陰る命は、退廃的な物事に閉じられ、倒錯するだけに至らせる原理的なものから、魂胆は、歪んだものに変わり、形を用い、型に嵌められるだけに用いられる答えに浪費していく思念がジレンマを抱え、時代的なものを恨むべきなのだ、とルサンチマンが促す限りにペシミズムが横行し、横溢していく思念が、重度のいらだちを抱え、ただ破壊に至るだけに終える状態から、消失していく観念が引接する正しさに閉じ込める辺りから、曖昧なマインドは、ただ迫る概念に押しやられ、指定される思念に受理すべき理由も、はみ出す限りの未来に陥るだけの闇を抱える。
ただ正しさとは、求められる行為に求め合うだけの「価値」を授け、預かる思いが重荷に変わるころには、答えとは圧力を加えるだけに自由を奪い、物事に堅持するだけにいびつな答えを抱え、高じるだけに堅持される自己顕示から、欲とは、ただ互いを咎めるだけに統合されるような答えに横溢していく問題点の家畜として、蓄積される苦悩の牧場をさまよい、最たる意味を失い、ただ社会たるものに放牧され、放浪を余儀なくされ、ただ容疑者として追われる身を抱え込んでは、家畜としての不安から、価値観の違いに屠られるまでの恐怖や、柵の中に収まる安心感から、誘導されるだけの悲劇に攪拌される精神は、正しさすら持たず、ただ正しい事のように何かを虐げ、自分をあたかも、正しいもののように示す限りに、正しさとはゆがみ、ただ互いを虐げるだけに終える。
正しさの現時点とは、ただ咎めるだけの力に偏り、その位置から地位を用い、力を使い、ただ関するだけに反するものに破壊を提示し、ただ訂正されるだけの停止線から、挺身すべき理由だけが、絡まるすべてに術を教え込んでは、押し込まれる痛みや、うやむやにされ、敬うだけに無気力な形から、価値観は植え込まれ、ただ混濁するだけに終える魂胆から、生じる由縁とは、誰かも分からぬものに扇動され、陰口をたたき、屁理屈を投じるだけに閉じるモラルに閉じ込められる君こそが、切り開く事こそが、大切である。