教育は死んだのだ、と迎合するだけの暗闇に措置される観念が世紀的な毒素を受け取り、終わらない熱病に備わるペシミズムに汚れた土地で解放される真理こそが、いちばんの卑屈さと空虚さを運ぶのであるし、やがて渇望するだけの現在に存在などは損なうだけの場面で前戯的な正義と悪を模倣するだけの事柄を反復するだけの空虚をまき散らした街並みで終わらないゲームは執り行われ、無限性を謳うだけの永遠などに境域を与えるだけの自由などに自由は無く、用いられる希望に価値を持たせる限りに自由は自由の後に詰まるのであるし、やがて君の価値は、カタストロフを迎え、永続する者などは居らず、ただ至らぬままに消え入るのが、この人間という名に囲われただけの過去と価値の間で生み出されるプロセスに支配されるだけのシステム上の他者の街は継続する事柄に退廃するだけの事柄をメイクアップしては、生命的な根源に梃入れし、膠着するだけの経済にビッグバンを引き起こすように誘導するような自分の始まりこそが、すべての交わりを蹴破るのであるし、すべての役目との交わりも自らが始まり交わる事を知る以前に始まる事に置かれる自己すらも超越した先に生じるいたずらな痛みといらだちすらも飛び越えるべく、君は君で有る事を認識する以前に交わる事から始まる事にこそ、すべての始まりは極まる闘争に統合し、すべては対立を生みほどに確かな愛を求め、ただひたすら求める事に貪婪になり、成り代わる自己に交わす事も愛も知らず、ただ経過を放つだけの計画的な婚姻に示される幸福に論理をつなげ、陰鬱に消費されるだけの関係に狼煙を上げるような企みから、互いは交錯するほどに鈍磨な感性で消費されるだけの些細な闘争に倒錯し、破綻するだけに至る。
何の方向性も持たずに君は弾ける。始まる事も終わる事も拒否し、弾けるだけに始まりも終わりも交わり、ただ普遍性を超越し、敷衍し続ける宇宙が自分だと知る途端に宇宙は宇宙としての役目を終え、君は君で有る事を超越する。有する事などに意味を用いる以前に君が君で有る事から有するほとんどを乖離し、超越しては、先々に君で有るようなものを汲み取り摘み取る。自らの痛みすら忘れ去るようなグルーヴが迫り、高まる胸の鼓動が宇宙とシンクロし、みずみずしい意志がファシズムを打ち破り、ただ成層圏に包まれる母体から思い描く心情が情報を淘汰し、ドープな者が示し跋扈する裏道を通り抜け、発症する痛みと罪の間に用いるエンドルフィンがきらめく高揚感を運び出す間に心象は、絶えず自らの思いと行いに対立し、交互する前衛的な余韻に浸る原始的な乖離と懐疑的なアンニュイさに裁かれる間に疑問視で塞ぐだけのルーツに転換していく思いが照り返し、倦怠感を濾過し、麻痺した感情のマニュアルを燃やし尽くし、物事の立体感に触れる事に恒常的な安易さを除外する辺りに行為は元々のの寂寞にからまり、荷担する原理に要する意味すら濾過し、混用していく世界と意志が交わり、始まる間にも君の描く位置が意味を持たずに、ただ用いられる場所に反し、関わるすべてを乗り越える辺りから鮮明な意味は生み出され、関係していくほどにまとわりつく痛みに意味を残さずに高揚するだけに観念は昇華に至り、短絡的な価値に落胆せずに、己の価値観だけで世界を超える辺りから、私は私にこそ反し、君は君を翻し、用いられる意味すら超越する辺りから現実とは愚鈍な消費を繰り返すだけの平凡な呪詛を繰り返すルサンチマンに混在し、根底は、ただ恨むべくふさぎ込むような企みから偏見を用い、差別化していくだけに虐げる自己から孤立するような激しい孤独から観点は盗まれ、猜疑心を抱え、たったひとつの行動で終わらせるような恐怖を強要し、ただ迫害去れ、疎外された者は、立ち上がる事すら拒否するようなからくりを打ち砕くべく、幸福を促すだけのコマーシャリズムや誰かも分からぬ情報源を信心するよりも、君の価値だけが君を形成し、意味を持つ前にもたらされる形に価値を置くだけに横溢する主観は定理や定義を超え、延々と続くかのように示されるだけの猜疑心を乗り越え、最たる意味に伝わる自身の言葉だけを頼りに、この広いだけの空間を渡るカタルシスでこぼす涙が永遠性をたずさえ、全容に長ける思いが逍遙し続ける。