昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

笑う結末

わたしのはなしをする、というのは、すごく難しく、認識するわたしとは、すごく曖昧であり、今をつかもうともがいても、なかなかつかめぬものであるとか、めとぬというひらがなとは、すごく似通っているのだな、と脱線し、錯綜する脳内では、自らを認識しようという今に至る事にすら逃げ惑う。

用いられる証言も不必要で、彼方まで届く思いも、おめあての笑顔に変わり、思いが世界に瀰漫し、自らの不満足を謳うよりも、促すべきは、自らの自由にも無くて、ただ純粋にやり通すあたりが永遠に結ばれ、制限を持たぬから愛であり、挨拶代わりに移住する愛が混ざり合い、森羅万象に放たれる意志が、自由すらも超越し、入れ込む思いは、単一な愛に弾け、時系列も飛び越え、空間すらも凌駕し、優雅に食う寝るを愛し、用いられる価値よりも、凛々しく行く限りに覚醒し、認識する思いが自身を用い、もつれる後から記念を残すよりも、疑念を払い、自らの永遠性に至り、いたわる身体を解き放ち、稼働する思いが籠城されては、解き放たれる日を待ちわびている。

悲観せずに促す過程に結ばれユニゾンする由縁が高まり、たちまちに交わり放たれる言葉が意味を拘束されては、様々な動機に行方をくらます。隠された意味をとがめるよりも、とめど無く溢れる意思は、最愛の日々に結ばれる。

言い訳ばかりがつきまとう。誰かの言葉ばかりが、今に危なさを運ぶ、徘徊する意思は、価値を求め、離れ離れになりながら、担うべき意味に意志を捧げ、自らのフォースが膨らみ、はじまりを孕み、はじまりを生み出すまでに成長するあたりから、自らが聖地になり、そこで囲う神を作り出しては、自らに誤解に招き入れ、自らを騙すだけの信仰だけが熱情し、自らの正しさを見失う。自らが作り出した虚飾が自らを飾り立て、建前で奉る今に注がれる情報などにそそのかされる。

迎合されるだけの思いが弛み、自らのぬかるみに嵌り、判断を誤り、相変わらずな日々に従属するよりも、やがて来るものに反発し、続ける意志だけが、本能を打ち砕き、世界を超克し、世界を救うよりも、世界を変えるよりも大切なのは、何事をも軽々と飛び越え、見落としいくものを拾い上げ、革新へと急ぐよりも、その革新により、何を失うのか、と迷うよりも、今を厳選し、今に膠着するよりも、意味を飛び越え、恒久的な交通を続け、ぶつかり合う衝動が、広域に走り回り、煩わしい思いを虐げ、様々な思惑を飛び越え、自らの永遠を高潔にまとめ、毎日に疎外されずに最たる意味を超越し、勇躍する思いは、今を掻き立て、自らの世界を正しく認識さ、自らの世界を世界として捉える。

創造性をたずさえる笑顔だけが、本当の笑顔であり、バランスを良くするように示す事に値を与えず、たゆまずに結ぶ由縁がこぼれ落ちる。過ぎ去る行方が難しさに誘引され、自分優位に示すよりも、朦朧としていく意識が旋回がぐらつきながら、群像にとろけ、捏造される思いが凍結し、やがて自らに結ばれ、罵倒を重ねては、自分から走り抜け、導かれる時折を俯瞰的な暴力で責め立て、セメタリーへと追い立てる群像に置かれる今から分裂しては、最たる理由に暴挙を重ねては、短絡的なものに関わり、軽々しい自己を蔑み、憂鬱に歪む。

わたしとは、いかんせん、形あるようで平たくも浅い。つかみどころもないし、しどろもどろなままにすがろう、としても、短絡的なものの、物陰に隠れるわたしは、隠遁し続け、つたない思いを重たく引き締める。いつかつかむ穏やかさにゆだねる思いが反響し、優しく揺らぐだけに可決し、疎外されずに、永遠性に至る。

階級闘争を用いずに嘘に反し、猥雑な世界を超越し、聡明な時に達する。こうした硬質な思いは、世界を突き抜け、ただ貫く意志だけが、自らの永遠性に気付き、育ち放つ。何もかも空っぽだから、ハッピーさ、と激震を携える進化論から、浪費された価値へと移行する間から、俯瞰は奪われた。

書き連ねる意志は、時間を傍観し、自らを超越しては、様々なものから跳躍する。どこに何を求め何を射止め、蠢くのだろう?よく耳をすませ。聞こえるか?自分が振りかざすものが?自らが促す恐怖に誘導されるだけにすぎない叫び声が。

抑圧された欲は、昇華を目指し、逸脱する。やがてもつれた欲は、言い訳がましく関わり自ら潰れる。

私は、ただ私であるべく、反するのだ、と。政治性なら豚でも食わない。ただ純然たる闘争なら誰でも食らい、新たな政治性を生み出す堂々巡りに至る。

引き出すのは、読む事にあらず、引き取り、伝える事にある。吐き出される言葉は加速する。時代に言葉は残さず、肯定し続ける思いが余韻が正確な答えを伝える。

妄りな理由が火口を作り上げる。いつか噴火する理由をくすぶらせながら、健気に活動する地底のマグマが、何かのきっかけで噴火するまでの軌跡を捉え、傍観する思念に受理する怒りを涅槃に突きつける。けたたましくうなる原理に束縛される虚栄から、盗まれた記憶に餌付けし、疼く身体を葬り、ただ他者を介した怒りや、理解などで濁す答えが感覚を損ない、裁かれるだけの他人の身体を仰ぐだけに至る。

神などいないのだ。よって誰にも罪は無く、誰をも束縛せず、誰をも裁くことがあってはならぬの、だ。