昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

羽ばたく意志

募る意味も、即座に拘束される。快活な意志も、誰かも分からぬ言葉に占領され、自らの意思を損ない続ける。ただ用いる本質とは、認識する以前に固執するだけの意味にからまり、関わるほどにからみつく意味が見つからずに、意思を破壊し、さまよい徘徊する意思は、瞬時に意味を失い、喪失感を漂い、揺動し続けては、自らに反響するだけの空しさが、自らを飲み込み、覆い続ける。去り行く意志は、形状を失い、ただ生じる愛に譫妄を重ねる。願うだけに弁別していくだけの恒常性から、感染していく病からやかましい意志が、虐げるだけに簡素な理由が肥大し、関連していくほどに空疎な理由を今に突きつけていく疑問から欺瞞を削ぎ、ただ有るものとは、与えられた義務を孕まされ、些細な出来事を生み出すだけに利用されるだけの欠如を今に整序させる役目として生命は利用されるだけの価値としての家畜を終えるべく、はためくことにこそ、確かな反抗は生まれる。

枯渇していく現実は、一切の真実を損ない、自らの吐血で描いた真実をまさぐるだけの加工された品位に情念を損なわれ、漂うだけに対比する状態に固執していくだけの倫理観にかまけ、対比されるだけに相似していく関連性は、連動する位階と同義語とを生み出し、その場で膠着する思念は、カーストとカタストロフの間でロストしていく心情が神の名の下で交換される同情に常設されるルサンチマンから乖離していくシステム的な有限から、無限に損なうだけに至らせるだけの悲劇へと旋回していくファシズムから、安易な策略を報じるプロパガンダから、模倣していく意味から、擬態化していくだけに隠れるのが上手くなるほどに常用される倫理観が、価値観を押しつけ、葬られる自己とは、自我すら持たずに用いられ提唱されるだけの自我などすら無く、ただ占領され、占有されるだけの自分だけが、軽い存在の中で巻き込まれる量子的観念に還元されるだけの関係性に制度を用いられ、その場で規律への義務を発信するだけに機械的に動くだけの協調から、同調を生み、同意されずに、ただ信号的に行為を約束するだけに動かされるだけの精神などに、心身は乖離し、理解などを含まずに、ただ領土を占領され、戦争へと運ばれるだけの自堕落な専横から、有する価値などが加工する義務から、ギミックは、理想をリロードする手前に何かや、誰かに動かされ、その場の命令に屈するだけに屈折していく精神は、反発を生まずに、ただ疎外を恐れ、同調と同一化へとうながされるままを流動などと呼び、その場で屠られるのを待つための順番にすら、綺麗に並び、飢渇する内面が荘厳な寝息をBGMに弁解を続ける理想郷から、観点を奪う浪費家たちの呪詛から、余り有る時に生み出される時間を用いるために時間と言う概念から捻出される終わらない日常を永遠として捉えるだけの欺瞞から、即座に時間論を捨て、浪費される精神こそがすべてを形成するのだ、と言う精神論的な軽視から、形骸化していく理想は、自らのモンスターを作り上げ、対比されるだけをよろこびとし、狡猾な者こそが、この世界の覇者として迎え入れられるのだ、とリベラルで幼稚な連中がレッテルを貼るころには、混濁化する意思は、根底の飢渇を受け入れられずに、連帯感を用い、自らの劣等感を薄めるという同調から、動向は過激なものに陥り、同行とは、ただ傍観し、誹謗中傷する輩の的として迎え入れられるだけに入れ食いになる敵意から、むさぼる悪意へと怒りは怒りを反響させ、報復は、幸福だ、とうながすだけの過激な思想から、思考停止に陥り、フォーマットされるべき今に至る悪意から、領土を奪うだけの関連性へと原始的な理想は、供給される悪意に転じ、捻出される悪意に作為を用い、モチーフとする善意こそが、最もな悪に成長を遂げるころには、正義こそが、いちばんの固執を生み、諸諸の悪を飲み干し、その悪を裁くための機械としてためらわず悪に転じることに有する過程が用いる権威に簡易で安易な理想を打ち出すころにもつれる権力闘争へと発展するだけの組織から離れ、個人すらも超越する辺りから、カタルシスを執り行い、傀儡としてしか義務を果たせぬ者から受け取る悪意に転じるよりも、自らから超越する今から意味は生まれ、大切なものとは、大して意味も無く、大切にされることにより、そこに義務は生まれ、気分は、そこで守られることにより、晴れるだけに満たないものを守ろうとして必死に貫く間にも、幸せがどうとかうながす間に道徳などは、その場でこじれ、レジスタンスどもがうながし提唱するものなど、いずれか衆愚に変わり、陰惨な欠如を生み、血族主義へと移行し、迎合されるものだけを嬉嬉として受け入れ、継続される痛みは言い分けがましく今に迫る病を、病として受け入れ、自分で病名を施し、今に固執するだけの病をうやむやのままに形成していくだけに指定される痛みを同じ痛みとして受け入れる形の家畜として与えられた餌をむさぼり、屠殺場へと運ばれるまでにぶくぶくと太らされるために生産される生命として、軽々しく扱われていることに気がつくべきなのである。