昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

時代の墓場


 蝉が伝える夏の論理に引き込まれる。政治が、自ら変わろうとするには、既得権を捨て去り、自らを、もう一度信じようとすることに、何ら、政治的偏りを、示さずにただ、自らを信じようと、信じ込み、自己啓発的なものに頼り、一時的な偏りを、消費するだけに至り、用いられる権利や、権力を放棄して、はじめて人間らしさが生まれ、政治自体を超越する。あらゆる論理の外へと旅立ち、つれづれ続く意識を超越し、あらゆる疎外を超えて、哲学へと行き着く。人間の尊厳などは、人間に作られただけに過ぎない。ただ生まれる連帯感が、尊厳を引きずり、自らを跳躍できずに躓き、俯向く意識を紡ぐことが、償いへと誘う世界に発芽すべき美麗なものが、永遠化し、仮死化する意識が、分断されては、ブッダを超え、物欲にひしめく簡単な快楽から逃げ出し、出し抜ける思いが倦怠感をかき消し、自らの意志に帰り着き、戒律を打ち消し、自らの消去法に近づき、うつむく物欲を殴打し、自らを超越する。破壊的な思いに折り重なる者が、普遍性を打ち砕き、唾棄する瞬間から、過程は消え去り、ただ飢えた意識は、正式なものをj屠り、葬られた意識に連帯感をつなげ、ぶしつけで安易な答えに価値を与え、それに税を加え、特化した意識を吶喊し、完結的な修理をほどこされた意識は、対立を加えられた午前へと互恵を与え、低劣な過程に含む経過が、諦観を生み出し、かかずらう意識は、抵抗力を失い、ただ自らの喪失感に培うものが、延々と演繹し続ける限りに乾いた精神は、自らを、精神分析上で処理し、証拠も残さず、痕跡すら失い、ただ敢行する意識に抵抗を加えられ、自らの意識下に置かれる状況に不満を残し、濁した観念は、快感や景色を奪われ、形式にゆだねる意識は、退廃的なものを崇拝し、自己嫌悪に陥り、横溢する意識的な敗残から、配する間に用いられるものなどは、物事にひしめくだけの欲望からエクソダスできずに、ただ低劣なものへとイコールするものを用いるだけに、ものをほしがるだけの欲から、欲動する真理に整合される物事に端的な理由をつなげる耽溺から、溺死する意識は、混濁していき、行き交う意識は、改善されずに、査定されるだけの粛清や、井蛙なものの見解に陥るだけの不満足の瀰漫の俯瞰に攻め入る過程に応じるだけの答えに怖じけ付く連中が、淵源に潜んでいる恋情の手綱を握り、大抵の異物感に位置づけられた座標軸を引き抜き、窮境的な孤独へと折檻されるエゴのビートから、収斂される幸福論から、解脱する乖離的な無記名なものたちの革命から、痙攣する午後に祝福を捧げる聖母的な愛から、改善される苦悩までの距離に捧げる祈祷だけが、本質を見透かし、妄りなものを抱え、加算される原理に偏る限りにカタトニーに至り、改善されずに、偏る思想は、解明されない意識的な縫合を執り行うべく、テロリズムに至り、浸る意識は、短絡的な暴力へと加工されるだけの義務感にセンチメンタリズムは、戦地へと送られ、自らの欺瞞に消費されるだけの過程に景観は、滅び行く懈怠から、健全な者など居ないのが、世界であるなどとペシミズムをこじらせたものが、ひしめく限りにいたずらな暴力が横行し、サディズムへと昇華する高揚感が、星の意識を買い取り、回路にアイロニカルなものを捧げ、物事を崇めるだけに、横行する信仰とは、大義をうそぶき、レイシズムを生み出し、無神経な迎合へと浸る全体主義へと陥り、衆愚を生み出し、衆愚を操作するだけの安易な支配にあらがうほどに、そのアナグラムへと陥る横隔膜にひしめくポエトリーに入り交じる付加価値から、独占されるだけの一党独裁的な支配のプログラムへと復元されるレジスタンスが、何度も立ち上がり、おののかずに抵抗を加える限りに生み出される影が、私であり、君であるのだ、と打倒するするものに偏執する限りに、革命とは、変わろうとする意識よりも、変えようとする事による偏りよりも、寄りかかる意識に不平不満を用い、自由と平等をうたう限りに、物事の本質は見失われ、保守的なものへと応じる居心地の良さから、擁護されるだけの腹持ちの良い言葉に騙されるだけのなあなあな意識から、内面的な解析をほどこす精神分析から、以下同文のものへと並ぶだけの普遍性や、役職を決められ、権力へと傾く事により、物事は、改善されずに、ただ偏るだけに終えるだけの嗚咽が響き渡る廊下で対面する自らとの対立から、大義名分を振り回し、インタラクティブな闘争から、統合されるだけの正常さこそが、一番の異常であり、それを信心するだけの精神分析が、解析をすすめる人間性などが衰亡し、退廃的な『過程へと陥り、自らの欺瞞がさえずる現在に原理は、偏在するだけに至る偏りから、隘路を進む荒んだ状態から、退路を絶たれ、ただ立場上のものへと沈み込む』だけのものへと偏り続ける意識は、ただ耽るだけに浸る意識の互換から、悔悟をため込むだけのエゴイズムから、義務的なものを孕み、ただ環境的なものを呪うだけに至るようなペシミズムだけが、この世界という哀れみを覆う。