昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

絶えず混ざり合うもの


 私たちの武器は、何かを愛し、信じ抜く希望である。単に、希望を用い、自由を謳い、何かを操作し、操作するような、綺麗事が排斥する希望にあらず、自らを追求し、孤独が、不安や恐怖を促しても尚、自らを信じ抜く希望である。あらゆる疎外に害される感情が、最もな孤独を抱えても、自らを信じ切る希望である。その希望だけが、自らを打ち砕き、みずみずしい意志は、虐げられずに、ずっと続いていく意志が、確かな力を伝える意志が瞬く間に伝わり、追憶に果たすものが鍵をかけ、外から迫る論理を跳ね除け、確かな意志へと帰属する。互いが、互いを、監視し合い、監視されているという意識が増し、懐疑的な意識は、猜疑心を抱え、安易な考えや、安易な支配に従い、陥る闇へと屠られ、自らを喪失する。あらゆる監視は、監視するという意識よりも、いびつなものを生み出し、意味を失い、さびれた記憶へと、逸脱していく。何かを、憧憬するほどに、自らとは、損なわれ、ないがしろにされた自分が、抑圧されたことに対する怒りを増幅させ、混濁する意識が、羽交い締めにされ、破壊的に至り、適応していくだけの順応性を呪い出すころに、醸し出す憎悪や、毒素などが、疎外されたジンクスや、人工的な楽園へと浮遊し、夢遊病のような世界で、無知であるよろこびを敷衍させるころには、孤独は、ますます進行し、陰るだけの意識が、浄福を謳い、信仰心で疎外感を無くすようなよろこびなどは、単に、今の苦しみをごまかし、苦しみを、乗り越えることが、愚かな行いようだ、と逃げ惑う者を否定する以前に、退避行動とは、何か、悪い事ように、示すだけの正解などをひるがえすべく、何もかもを否定するものとは、何かを保つためや、守るために、権力に荷担するだけの答えに引きずられるだけの応答こそが、統合をめざし、誰もが、誰をも敬わぬように、同じ位置へと至り、永久的な平等を用い、何かを抑圧させては、いつか舞い込む革命へと倒錯していくだけの均衡を保とうとするほどに、感覚とは、奪われ、何かに操作されるだけに至るような人間性を体系に磔にし、何かを崇めるために、誰かを、磔にし、誰かを、処刑することにより、自らの苦しみや、誰かの痛みを分散し、分断される意志が、意識を貸与できずに、解放される仕組みが、アンニュイなものを抱え、リリカルなものを捨て去り、渇望する意識は、つたないものを拘束し、心ない何かをないがしろにするだけに、存在する何かを、崇高なもののように奉るだけに、縫合される痛みは、分散するかのように思えるが、何の解決にも至らず、痛みは、倍増し、爆砕される真理や、真偽にかかる橋から送り込まれるエレジーや、つたない動機に散漫な意識を超脱させるべく、ベクトルを、もっと高い次元へと運び出す限りに、欠ける命や、陰る本能に、凡庸なものが伝わり、退嬰的なものへと陥る限りに陰る本質や、加工されるものに基づき、、物々しいものや、虐げられる先に用いられる要因や、道理に反し、関する間に超克するものや、徴候にひしめく問題点や、物事に反射していく限りある命や、懐疑的な日常に錯乱する動機に散漫な意識が互換する苦悩だけが、体系的なものへと引きずり込まれ、従うべきだ、とうながす限りに運命的なものにおののき、慟哭する限りに動じる本心や、居場所などを求めるだけに、怠慢なものへと変化し、かかずらう意識は、完結的に閉め出される物語の敗走から、根源を失い、ただ諦めることだけに特化した毎日にとっかかりを求め、投下されるものを受け入れ、自らの苦しみへとひずむ限りに、陰る命が、打算するものへと進化を続け、綴る意識が捉える本質や、包蔵されるだけに、増していく悲しみへと意図は、錯綜し続け、つたない動機は、汚いものや、機械的なものや、あつらえられたものを拘泥し、デリカシーも無く攻め入る限りに、陰る本質は、動機を損ない、動揺し続ける先に用いられる原理などにごまかされ、過信ばかりが、成長し、征服欲ばかりが、抑制するものを育て上げ、惰性な意識は、ただ習慣性を保つだけに、慣性を用い、物事を永続的に行動や、行為へとひた走ることばかりをめざし、怠惰なものを成長させ、対価を求め、安易な支配へと移行していくものに生じる苦しみを所持するだけに、退廃的なものへと変わり、物々しいものへと、虐げられた者は、やがてルサンチマンを抱え、加速するエゴは、やがて、合点がいくものを探し、枢要なものを捨て去り、廃れさせ、疲れた意識は、凡庸な奇跡を求め、退嬰的な意識は、抵抗を履き違え、テロリズムへと陥る限りに、陰る本質は、惰性なものを抱え、清濁併せ吞むことを知らずに、あいまいなままの動機に阻まれるプロセスが、徒労させ、浪費させ、遅配させる限りに生まれる快楽原則的な対価から、体感していくものとは、誰かに差し出されるだけの快楽を、懐疑せずに、改ざんされるだけの昨日や、今を、あたかも正しいもののように、受け取るだけの純粋さを捨て去り、些細な動機に閉め出されるよろこびや、孤独であることの豊かさに気がつかずに、何かに流され、誰かのよろこびを、あたかも自らのよろこびのように思うべきだ、と言い放つものが、辟易している意識へと引きずり込まれ、やがて、自分の意思などは、捨て去るべきなのだ、と全体主義的な衆愚は騙る。