昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

至極

 語り口を軽妙なものにしたいが、いかんせん、難しく考える癖が、頑迷なものを生み出し、とりとめのないものすら、哲学的に思考し、追求する先に錯誤するものが、語呂合わせや、合否を携え、安易な考えで、善悪的な思考でしか、物事を捉えられぬような、地獄の時は、恋へとスケープゴートすべく、応答を繰り返し、嘔吐し続ける日中のうっとうしい陽光に照らされ、弛んだ空間から、孕んだ懶惰なものを配り、奪い合うだけのキャピタリズムの憂鬱へと、チャプターを選びながら、選りすぐりするだけに、観点は疎外され、些細な出来事へと偏向していく思想が、暴力と、けちくさい批判しか生まないから、奪い合うだけの観点へと疎外され続ける意識は、思考へと隷従し、寛容に物事を受け止められずに、生来のものを信じられずに、人道的なものや、人工的な道徳や、俯瞰に捕まる倫理に応用できない観念は、締結していき、愚行を続け、つたない意識は、アナクロニズムへと至り、陥る観念は、ニヒリズムを抱え、ペシミズムへと移行していく事に支払いを求めるほどに、義務的に迫る関係から、契約へと至るだけのヘレニズムが、鋼の精神を用い、諦観しないように、スパルタに生きるのだ、と強制するほどに、補填されるものとは、魯鈍なものへと成り下がるのであるし、やがて渇望するだけの精神は、成否を求め、正しくも無いものを、大人だから、という理由により、兌換される紙幣と貨幣の価値観の家畜として云云と言い放つ者の道理も歪んだものであるし、ひがみから来る観念は、軽蔑すべき思想へと陥り、偏った精神は、敬神を唱え、博徒のような生き方を強いられるだけに至り、訝る言動にくじける観念は、止めどない破壊を生み、暴力的な思考は、内面的な自傷主義を外側に放ち、誰彼かまわず、自らの身代わりとして傷つけるだけに至るような悲劇へと移行するような思考回路から、麻痺した観念は、観点を疎外されるほどに、保持するものを守ろうとし、対象とする者すべてを破壊し尽くすだけに至るような思考へと陥った神を履き違えた神は、自らの遅疑により、偽装される観念に掻き乱され、些細な出来事の浅いも深いも、同一化し、同じお家で落ち着くような恋へと移行すべく、愛とは苦しむ事を厭わずに、確かに愛し続ける事により、修練される意思は、度重なる悪意を取り払い、自らの行為に純粋なものが現れるまで抗う。愛は、反抗に似ているものであるし、淡々と貫く意志は、愛に疼く。ただ愛し合う過程にもとづく事にセオリーは無くなり、制限すらも不必要になり、担うべき今も、未来を謳うだけの激情へと跛行していくだけに至らせるだけの現実を取り外し、ただ愛へと陥る事により、度重なる苦しみの速度は増し、屈折する意識は、空虚さを捨て去り、ただ情熱の元になるような愛へと加速していく。
 
 欲望の住処たるおまえのこころに手当をほどこすのだ、と強制するような観念的な純粋理性批判的な硬質な論理へと持ち上げるだけの高尚で考えの進路を妨害し、忘我へと浸るような企みへと、収まる枠内へと悲観する旅路に末端にもとづくセオリーが、過労を称え、訪ねる意識は、拗ねていて、途端に老いるだけに至るような間隔に潜む愛も、悪に変化し、転嫁される意思や、行為にもとづくセオリーや、世論に反する事を恐れるだけの退嬰的な者が、体系に関わるほどに、魯鈍なものを携帯し、権力へと偏りひずむだけの原理にもとづく事だけを正義として捉える途端に用いられる正義とは、悪を捏造し、自らの権力へと偏り、ひたむきな自己破壊へと至るようなペシミストに陥り、応じるだけの答えを手繰るマゾヒズム的な観念は、関係するものに罰を与えられるべく、あやまちを繰り返し、しつこく関わる先に自らをあえて陥れ、与えられる罰により、苦しむ自らを離人的に傍観し、ただ孤立していく自らを超えられずに、覆われる理由に拘束され、固執するだけに言葉に誤りを用い、弊害を生み出し、疎外していく観念は、高尚へと至らず、至らぬものを育てる惰性さにより、自らに巻き込む言葉に騙され、支配されるだけに至る心は、服従し続ける限りに滾る快感へと加速していき、逸脱していく観念は、関係へと引き裂かれ、対比されるだけの身体を供犠に授け、自らを燃やし尽くす憎悪や、増幅していく悲劇に監視されるだけの対象としての無機質な身体を透過させるべく、演技を続け、つたない日々にファシズムを用い、物々しいモチーフとして虐げられるだけの心身に緩衝するものすべてに撹乱され、錯乱していく精神は、心の位置や、内臓の位置を交換しながら、乖離していく精神との対立を繰り返し、雑踏へと混同していく意識は、社会的な軽蔑を受けるべく、汚穢として自己を捧げ、生贄として演技を続ける事により、現れる肥大した自己は、対価を求める革命へと、大義を用いぬ革命へと、あらゆる憎悪をモチーフに、犠牲的な観念がへだてる惰性な破壊へと陥るだけに終える軽薄な進路にもとづく静謐さを知らずに、ただ短絡的な破壊に陥るだけの思想へと偏り続ける。