時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

たくましい愛


思考とは、積み上げ、堆積され、あらゆるものに応用され、その役目を果たし終えるまで、浪費し続けて行く。自由であるなどと、考える以前に、信用し尽くした自己へと記載されるマニュアルに抗い、自らの位置から諦観を生み出すよりも、怒りの外観を剥がし、緩慢に信仰する金銭を捕食する、資本主義的な衆愚や、テクノロジーの支配下云々と騙る中身も無い浅薄な者が打ち出す事すらも否定し、信じていたものなどは、薄っぺらな価値を引き合いに、何かを陥れ、枢要なものすら失い、放置された感情を退かせるためだけに、ためらわずに消費する観念や、迎撃された意思が昏睡し、儀式的なものに咎められ、連帯感や、責任感を蝕ませながら、むさ苦しい実情に敷衍していく、普遍性からの強奪を受け入れ、朦朧としいく意識は、知的なもので、何かを収奪するだけに、偏った思想を手に取り、叩きつける意思表示から、陰鬱な衝動で惹きつけ、何かを抑圧させ、欲情し続ける精神は、軽薄なものを信仰し、行為に服従を誓わせ、災いをもたらし、難癖をつけながら、長い歴史に、溺死していく。


照らすと少し痛い日差しも、秋の風をまとい、夏の終わりを悲観する虫たちのハーモニーが、こころの螺旋をめぐり、思いを昇華させ、過信にまとわりつくエゴを拭い、立ち止まり、佇む意識は、歪む面影が、陽炎のように揺れた、あの夏を思い浮かべれば、何か幸せのように思える、などと思い出にたむろし、意識の生簀で泳ぐよりも、自らの意志で登り続ける優雅さに反するような浸るだけの感覚に蝕まれずに、自らを逍遥させるリリカルなものだけが、物事に厚みを与え、毎日に侵攻してくるものに反し、はびこる愛を浴びるより、バビロンを信じ、生き生きと従事し、己の感覚を麻痺させ、何かに従うよろこびに触れるのです、と促すプロパガンダこそが、がんじがらめの普遍性へと押し出し、かんじんかなめのものを知らずに、ただ虐げられ、従える意識は、従うほどに、魯鈍なものを信仰し、支払う税や、奪われる金や、被害者意識を加速させ、意思に提示されるものにあいまいになりながら、自らの欺瞞を加速させ、不満を捏造し、モラルを謳い、何かの自由を奪うだけに浸る意識は、意味が何たるかも知らずに、信用するだけに至り、自らを労わる事を知らぬから、他者を愛し尽くす事を知らぬままであり、愛するとは、価値や形を与えるものでは無く、ただ信用し、寛容に受け取り、昇華するに至り、創造的に解消するものであり、対象とするものに孕ませ、阻ませるだけに、はびこる意味は、すべてを悪に染め、迫害するに至り、何かを否定するだけで、乗り越えられぬ者は、自らの批判に陥り、自らの意味を見出せずに、自らに陥り、ルサンチマンの怪物として永遠的な今をさ迷うだけに至り、互いを消耗するだけに至り、浸るほどに自らを屈折させるだけに満たされ無い意識に補填され、補充されるものといえば、新鮮な憎悪だけである。抗う意志は、制度をうやむやにし、自らの規律だけを信用し、軽薄な信仰から抜け出す。信じるべき自らと別れを告げ、純真無垢たるが故に、邪推を続け、つたない意志は、きな臭く機械的なものを信仰し、心情に浪費されるものに阻まれ、破壊的な描写に衰亡し、暴走する意識は、俗物を信仰し、信用を謳い、自由を貪り、目当てのものや、目新しいものを、消費しながら、己の意思や意識を貪り続ける餓鬼として、見境い無く、何かを求める欲望へと陥り、応じる事とは、求めるよりも欲深く、何かを用い、抑圧する事も、欲が関係し、互いや周囲の欲に囲われ、身動きも取られずに、自らを咎める欠如へと浸る意思や苦悩を泳ぐ。偶像化する神や、偶然の一致を謳い、用いられる善意で、自らの欲望を処理するような独善的な破壊者が、界隈を歩き、可愛い自分を守るためだけに、ためらわずに周囲をこき使い、自分優位に執り行わせる利己的なものが跋扈し、物事を虐げ、個人的な世界を牛耳り、何かを従え、従わぬ者には、法の物差しや、法のいいなりになるべく、まかれる餌や、善悪を用い、幸せを奪う事こそが、先決なのだと、打ち出す疚しさに悲劇は加速し、自らに悲劇をまとわせ、まつわるものを、恨むのだ、などと促すだけの者には、交わらず、用いられる権利や自由により、偏るだけの思念なら、その場で捨て、自らであり続ける自由だけを信念に、自らを信じ貫く事だけに尽くす。