昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

詩的な裕福


 理解も得られずに死んだ詩人たちは、共通理解などは求めては無くて、ただ、表現の先に忍ばせるアンニュイなものを放出し、一切を昇華させるべく、詩的なベクトルへと運ばれる境地で、懊悩するものを消費し、不幸なままで居て、自らの孤独を消費し、正気を失っては、妨げられる先にリベラルなものを用い、アナーキーさを捨て去り、些細な激情へと住まう価値にカタストロフを突きつけ、抵抗し続ける先に思想すらも無くなり、領地すらも不必要であり、住まうとは、意識に現れる価値や概念の外観へとかすむだけの記憶に措置される領地にしか満たず、そこかしこに囲いを生み、リリカルなものを損ない、想念に馳せるものが、立体感し、あらゆる妨げを取り外し、一切に起算されるものや、概算されるものに咎められずに、自らの意志だけで突き進む以前に、世界自体を自らに包括させ、最たる意味を掴むよりも、このあらがう事により、せめぎ合う心身と自然との調和などを求めずに、世界との対立を深め、或いは、独善的に和解を求め、対外に果てるジレンマや、惑わすだけの自然とのマゾヒスティックな対話や、猥雑な思念に名付けられる風景を対象として、自己との対立を深め、退化していくだけに至るような幼児的な自虐をくり返し、要理に反し、自ら選ぶ事だけが、言葉に変わり、あらゆる偏見を超えて、ただ、現れるセンテンスとの対話から、対外に果てる時系列や、優劣を決め込むだけの空間的な逍遥から、貸与していくだけの今に反し、半減期を超え、ノスタルジックな破壊兵器を用い、根底から覆すようなコンテンツと化するだけのカスタムされた自我に嵌め込む時空的な憂鬱から、悠遠に馳せる恐怖感に感応していくだけに、体系的なセンテンスへと変わるだけの利己的な自壊作用を含ませる思春期的な憂鬱から、誘導されるだけの青春的な専横から、応じるだけの意思に迫る抑圧に背反するようなハードコアパンク的な衝動から、ストレートエッジ的に快楽に背反していく素敵なコード化から、関与するほどに、資本主義とは、聡明なものを損ない、詩的な商業性を持たずに、ただ、快楽に運ばれるだけのドメスティックな一過性の快楽へと解体されるだけの軽々しい思惟と軽すぎる身体を露骨に消費していくだけに、商業的な消去法にせめぎ合う簡単な身体は、利己的な焦土へと運ばれ、自らが加速し、焦燥感に攻め入られるよろこびに敷衍する不安感に相対するだけに、憂鬱とは増していく魔法であり、固定観念が生み出すだけの引用されるだけの普遍的な正しさなどは、その場での不潔を払拭することだけに専念し、詩的な昇華に至らぬから、その場に蓄積される不安を払拭できずに、でたらめな苦しみを拍動させるだけに、締結していくシチュエーションへと慢性的な苦しみは加速し、今に加工される痛みは、過去から運ばれ、場面場面で、酩酊していき、逸脱する過程へと抵抗を加え、友好的なものすら無くするのが、資本的な対立であるのだ、と経済的な破壊者や、革命家たちは、自己欺瞞を用い、言い分けをくり返すだけに、空疎な理由を諦観へと至らせるだけの自己嫌悪に至り、訝る先々に戒律を生み、対立し続ける先に乖離していき、退嬰的なものを抱え、自らの孤独を知らずに、ただ、対比される先に生み出される換算がへだてる数理的な理想から、競合し続ける先に生まれるのは、互いをカタストロフに追いやるだけに、愛にやつれ、矢継ぎ早に示すものへと、躍動することを忘れ、動詞の中にからまる起源や、プリミティブな衝動や、本質を濁すだけに至るような提携に欠落していく意識に邂逅していくほどに、魯鈍な苦しみの系譜へと突き進むだけの憂鬱へと排斥される印象を昇華させるべく、詩的な方法論だけが、市街戦を超え、苛まれる記憶に横溢していく不安を昇華させ、消費される心情などは、情報に観念を奪われ、感性を虐待し、大義を用いずに、不安を用い、何かを謳い、互いを咎めるだけに至るような徘徊をくり返すだけのネズミどもの私腹を肥やすだけに至らせるような消費から、不幸自慢や、不潔な欺瞞から、策略を続け、つたない意思に加工されるもので、今に柵を生み出すよりも、うやむやにし続ける先に生まれる憎しみを飼い慣らすだけに、飾り付けられた意識が、悔悟を用い、かいがいしく謳う物事に偏った意見を放つ以前に、意味とは、意思を持たずに、ただ、何かに流され、誰かに指示される事により、その場での力を持ち、何かを示す辺りに止血をほどこさずに、ただ、流される血で、自らを滑らせるだけに至り、ぶつかる頭や、地面に衝突する痛みに媒介する快楽に対するよろこびだけが、今に媒介し、破壊的な理論に成長を止められ、途端に襲いかかる恐怖に理論的な敗残をくり返し、悪と偽善の部屋で平静を保つべきだ、と促すだけの独裁的な私怨へと捻出されるものが捻転し、転化できずに、ただ、その場で屈するだけに屈折し、体制的にこび売り、高次に至らずに、平衡する意識に対抗し続ける抑圧に反する意識から、改造されるだけの真理にもとづくエゴに気付かずに、築かれるものへと圧縮され、今に倒錯する悲劇や、等差を用い、等閑に至るだけに、透過すべき今にも、印象の暗鬱さに飲まれ、今に意味を翻す事を知らずに、悲憤慷慨に至るだけのペシミズムは強化され、強固な意思は、歪んだままに他者を物質化し、互いを咎めるだけの理想を供給し、自らの快楽だけが、資本だ、と叫ぶだけに、オプティミズム的なよろこびなどは、今に浸るだけの空疎さを媒介させ、ニヒリズムに至るだけに、浸る快楽に資本を移し、自らを快楽の傀儡として生み出すよろこびなどは、意味に悲歎するだけの物としてのよろこびに満たず、詩的なよろこびだけが、孤独な夜を越え、固執するだけのシンドロームに別れを告げ、新たなよろこびに触れる。