昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

無垢なもの


 倦怠感を抱え、とどめを刺されるだけの愛に主観は損なわれ、そこで見るものを屈従させるだけの関連性へとアイロニカルに入り交じり、不確かなものを追い続けるほどに魯鈍なものを抱え、論難を迎え、静謐な余韻に浸る意味合いに堅実さなども無くなり、内外に果てる理由に愚鈍さに、硬直するだけの緩衝から、怠惰なものへと陥り、応じるだけの答えに偏執し、従うほどに、歪んだ価値を形成する。即座に生み出される痛みに排出される私のエゴから、効率を求められるだけの互いのエゴへと加速し、枷を嵌められ、世界を認識するほどに、愚鈍な価値を信仰し、従うほどに、価値観とは、そこに勘違いを生み、完治しない傷を生み出す。互いの軋轢から生まれる痛みに耐えかねずに、兼ね合いに隔てられ、惰性なものを掲げ、偏見を抱え、美談を捏造し、あたかも正解は、広大な世界を認識し、包括し、管轄されるものへと服従し、雇用されるものだけが、不安を疎外させ、安易な世界へと旅立つ哀れみに気が付かずに、飢渇し、飢餓するまで使い果たされる義務を被り、感性も損なわれ、そこかしこに増幅する憎悪を捏造し、十全としたものを損ない、いまここで磔にされ、現時点から抜け出せずに、時間と空間から抜け出せずに、今に乖離するガイダンスや、利己的な修復や、祝福を謳い、捻転する真理にもとづく軽減されない痛みを吐き出す罪の意識を捏造し、行為にもとづくエゴから、小売りにされる意識を買い取り、露骨な死のコスチュームに着替え、死を認識できずに、あたかも永遠に生きるかのように示すような傲慢さが、今を犯し、低劣なものを信仰し、損得で測るほどに、計測される距離は、軽薄な価値を生み出し、快活な動機を損ない、そこかしこにルサンチマンを生み出し、疑念を損ない、考えることこそが、愚鈍なものなのだ、と教えるような与えられた答えを捻出するだけの教育に奔走することだけが、疑問に手入れを加え、誰もが、何かを悟る前に捏造するだけの答えを、あたかも答えのように指し示し、認識を誤られ、そこに誤解を生み続けるほどに、悔悟は生まれ、強情な者が示す差異から、散漫な価値は、偶像崇拝を続け、つたない意思は、意味を履き違えたままに、帰任するものを認可し続ける先に生まれる冒涜などを用い、意味を妨げ、自らの純粋な意思を奪うだけに至り、意味に注がれる確かなものすら見出せずに、今に与えられる答えが生み出す距離感にだまされ、今に来す意味の真相を知らずに、表面だけで悟るようなものへと陥り、応じるだけの答えに偏執するだけの価値を聳立させ、一貫した罪を吐き出すだけの今に犠牲的なものを生み出し、今に着せられたものを邪推し、信用を用い、意味を謳い、犠牲心をあおり、猜疑心をかき消すような偽善的な慈善を孕ませ、お涙頂戴的に差し向けるような価値の家畜として生きることだけが、本当の価値なのだ、と促すような主体性へと偏執させるようなものから抜け出すべく、自らを信じることすら怪しむ先に見出す意味から、今が偽装され、真偽は捏造されるのだから、抱き合わせるものが、互いのぬくもりに触れ、はじまる愛を知らずに、ただふれあうほどに、依存するような因子に欠けた意味が、今に倦怠感を用い、考えに軋轢を加え、停滞する今に欺瞞を用い、反撥をくり返し、空疎な意味に裂けるだけの答えに陥る。

 用いられる愚鈍さが、答えを捏造し、今に猜疑心を生み出す。ただ用いられる答えとは、今に答えを生み出さずに、生み出されるものを捏造するだけの答えを生み出し、運命をあたかも手中に収めたかのように示すような弔いから、途絶える意識は途端に敗者のように扱われ、敗残する意識的なミメシスに迫る死の音から、誇大妄想へと至り、訝る現実へとカットアップされる精神的な手法から、商法へと変化していくだけの資本主義的な構造から、介する間に生命は疎外され、利己的な終末論へと後続し、主の解放や、主に守られているなどと促す限りに、人間が作った神から抜け出せずにニヒリズムへと陥り、自らのペシミズムを昇華できずに、信仰心だけが、今に意味をとどめ、綺麗な笑顔を続ける者こそ、醜い者に変わるような歪曲から、曲率し続け、湾曲し続ける先に逃げ惑う獰猛な本能から、奔走し続ける先に追憶は擦れ、恒常的なものに即座に整合され、聡明なものを重ね、懐疑的な壊乱から、緩衝する先々に安逸な日々はくり返されるのだ、と促すような倫理観こそ、空疎なものをかぎ取り、安易な支配へと至らせるような意味を複製し、今をさえぎるほどに、自らの意志を強調できずに、他者を支配することにより、自らの価値を測るような者こそが、いちばんの悪である。