時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

疑念を持たず進む者


 息つく暇も無く、苦しみとは、認識するほどに倍増するものであり、そこに用いられる苦しみを利用し、さらなる苦しみへと敷衍させるだけの偏向から、返済される義務的な徴候から、関連する状態に反証されるものや、反抗を続けるほどに、唱えられるものになじられ、自らに迫る呪詛から、効率を求めるだけの垂涎するだけの理論的な廃残をくり返す肉体を超克するような自然的な邂逅すらも無く、ただひたすら現れる苦しみに対処をくり返し、理解を得ようともがくほどに、用いられる苦しみに屈折し、空間から存在を排除し、歯止め無く現れる苦しみに解消されぬ痛みを倍増させるだけの悪意を育て、惰性に育てるセンチメンタルな理想論から、相互する意識的な階差に含まれるエゴから、演題を引きちぎるほどの偶像崇拝から、散漫な意識が、儀式的な対話を終え、応益を求めるだけの価値の奴隷として、或いは、価値に貧寒なものを引き出すだけの価値の家畜として、或いは、指定されるだけに連綿と続く苦しみを、ほそぼそと反復させるだけの反応から、応じるだけに偏屈な理想を企て、惰性な領域から、体制的な傲慢を引き出すだけの悲観的な回路から、低劣なものを引き出すだけの偶像的な昏倒から、根治されるだけのネガティブな是非から、前提も無ければ、今に引き取られるものなどに和平を結ぶ気すらも無く、ただ危害を加えるのが、この国家たる専横が示す洗脳的な改ざんであるし、このアナーキズム的な批判すらも、誰かの何かを奪うだけに満たず、そこでの批判などは、不安を解消し、今を煽るだけに至るだけの思想などは、考えることには至らず、何かに与えられる影響を、あたかも自分のもののように応用し、示されるものを愛するほどに、補填される苦しみが偏向へと誘い、陥落するだけの意思は、簡潔的な成功を願い、誰が幾ら稼ぎ、誰が幾度も枷を嵌められても抵抗したかに至らず、誰もが、用いることにおとずれる苦しみに反さず、現れるものを、現れるままに愛するほどに、ままならぬ感情は、そこに補填される苦しみに鬱々とし、そこに現れる苦しみだけを愛し、歪んだ愛でがんじがらめになり、担う意味も、着こなすこともできずに、今にこうむるものに悶絶し、文言を操り、疑念を増幅させ、症状を悪化させ、苦しみことだけに現れる欺瞞や、空疎な問答をくり返すほどに、考えとは、そもそもの原理を忘れ、理解を得るためだけに裏切り騙すことだけを続け、悲観的に彩るだけの抵抗から、諦観は速度を増し、自らの恨みを増幅させ、腹心にたまる憎悪を飼い慣らし、過激な思想へと至り、陥る先に生まれる闇に媒介するだけの理論的な敗亡から、排斥されるだけの言葉を嫌悪し、そこにぬくもりを与えるべく、ベクトルは、天から引き出し、引き取る意味も、今にも確かなものを損ない、そこかしこで増幅するエゴで今を改ざんしていくだけに至るような幸福と憎悪の関係性に浸るだけの今にさかのぼる原理とは、人間が、人間を確かに殺めるだけに至り、カニバリズムに陥り、得るものを破壊するだけに至る。純粋な破壊から、人間は生まれたのであるし、そこに用いられる死すらも越えて、この人間と名付けられた途端に、人間という枠にはまり、配備される間に生まれた管理的な世界から、正解は、嘆じるものだけに成り下がり、境目を用い、誰もを羨み、恨むべきなのだ、と謳った軽薄な信仰から、信条とは、今に投影されるものを真実にすら変えず、何も変わらずに、今を愛することを信じるのだ、とは語らずに、互いをののしり、色彩も無くなり、そこに現れる言葉が敷衍させる虚空へと誘うだけのニヒリストどもの平伏から、苛烈な状態に表れる際限無いリビドーから、暴走するだけの思考を欠落させ、現れる本能だけで、凡庸な快楽を加速させ、今に邪推をくり返し、真意を損ない、真理を謳うだけに至るデカダンなものから、カタトニーに至り、浸る今に偽装されるだけの欺瞞から、空疎な拍動から、剥離する先々で、乖離するだけの理解を捕食するような欲望の住処へとひた走るバイブルを用いた、悲観的な信者や、回路を失い、そこかしこで現れる苦しみを調理するような井蛙な者から奪い取るだけの理論から、論証されずに、ただ妨げられ、狭められる世界に成功を願うだけの軽薄な心情などは捨て去り、止揚する先に高次に至らずに、高尚にも達さずに、短絡的なものを愛するだけの普遍性を促すような権力こそを打ち倒すようなすがすがしさに至る。