時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

陥穽


 思えば、腹立たしいことばかりであるし、そこでつまずくわけにも行かず、ただ、行く先々で衝突しながら、今に苦しみながら、林道を越え、静謐に揺らぐぬくもりある午後を待ち、凍える身体をさんさんと照らす太陽だけが、よどんだ感情を取り払い、魯鈍なままに至るだけの散漫なものを取り払い、自らの全域に達する夕闇が、センチメンタルな街灯を生み出し、揺らぐ感性が、今にもがき、現実なんかみても、その先には進めないし、求める先に生まれる問題ばかりを生み出すだけに至るし、そこに持ち込まれるものに覆われ、いつかは、自らを破綻に追いやるだけに至るような痛みを加速させ、かじかむ身体に認識させようと強制的に、忘れものを増やし、用いられるものに裏切られ、連動する今に麻痺していく感情から、環境的なものに責任転嫁し、転用される物事だけを信じ込むほどに、恒常的な苦しみを論理的に巻き込み、敵対心を生み出し、思想を用い、理想を砕くだけの惰性な考えから、立体的な思いは生まれず、表面的に受け取るものが偏りを示し、今を疎外させ、妨害し続ける先に生まれる魂胆が、混濁へと誘い、関連するほどに、悲観的に成り行くだけに、陰る本質は、憎しみを再利用し、考えを打ち出す前に、大衆的な批判から、悲観的で簡素な問題を膠着させるためだけの支配的な答えを利用し、そこに死か、価値を用い、意味を奪うだけに加速する安定という麻薬から、安価なままに示す現在に来すものが、今を悶絶させ、破壊するだけに至る痛みを分かち合うほどに、補填される苦しみは、今にリフレインされ、因果を用い、意味を謳い、怠惰なものに変化し、仮説を生み出し、そこに批判を繰り返すほどに、重なるものや、加算されるものに偏向していくだけの堕落した日常でも、何かを愛する自由だけが、意思を飛び越え、今に来すものに確かさという枷を嵌め、世界を阻めるだけに至り、対立を深め、互いを恨むだけに至り、独善的な支配から、意思表示しても尚、批判されることにより、自らを見透かすうような、愚かな裁きから、束ねる思いは、収束へと巻き込まれ、そこで終わるものが、延々と終わらずに物事を引き込み、延々と続くことを続けることだけが、世界を形成する以前に、時間に制約される以前に、そこで認識を深めているようで、現実が、なんたるかすらもつかめずに、ただ、疲れる日々を、惰性に執り行う義務感に苛まれ、自己否定に陥るほどに、補填される憂鬱は、今に悲観するだけに過食を続け、横溢する思いは肥満化し、今をもてあそぶことを知らず、退屈を謳うほどに、そこで補填される住まいへと従属していくだけの観念論的な統制から、政府へと関与していくだけの利己的な身体として、機械的な意思を掲げ、重なるものが、物語を破壊し、配備される愛も、奪い合うことだけが、世界を正解へと導くのです的な信仰の妨げを危ぶむよりも、そこで危ぶむことこそ、偏りを生み、そこで支配へと至るべく、何かを破壊し、陥れるためだけに至る批判などは、自らの貧寒さに気付かずに、ただ、短絡的な考えが用いる支配的な強度を高めるためだけに、ためらわずに攻撃に至るだけの不純な考えであるし、そこで還元されるものは、苦しみを倍増させるだけに至るし、日の光の優しさや、対比される事無く、自由を謳うことも無ければ、そこで感じようが、感じまいが、生きてるだけで良いとされるだけに、マインドがどうとか、道徳がどうとか、そこで尊く無ければ、高尚へと至らぬが、至らぬままでも、高次に行けるのであるし、そこで、考えようが、考えまいが、毎日に邁進し、ぶつかりながらも、長らくに生み出される影響が、優しく背中を押し、そこで過信するものや、還元されるほどにやかましいものや、虐げるだけに至るような考えに貧寒なものを導き、今に苦しむだけに至るようなサイクルへと引き込まれ、それこそが、永遠回帰的に、何度も同じ苦しみを何度も味わいながら、何度もよろこびひざまずき、悲観しながらも、絶望を何度も超え、君が君であろうが、無かろうが、それでも、そこで何度も継続し、何度でも続くのが、このはじまりに交わる終わりから、また、はじまり交わるだけに終えることから、拘泥せずに、ここで、離れ離れになろうが、阻まれようが、そこで我が儘になりながら、我が身を案じようが、捨てようが、とどまろうが、そこで泊まろうが、総和を生み出し、惰性に生み出すものが、物語を膠着させても、そのとどまる中で微妙に動くものや、静寂の中で、一途に反復するものなどが、今を進ませ、そこで終わるか、と立ち上がるような鋭さを俗っぽく語る今の語り口を批判しながら、否定的でも尚、ここで生まれることだけが、言葉を介し、君に関するためだけに歌い続ける意志であるし、その力だけが、唯一の権力であるべきだし、そこで生まれる暴力から、革命が生まれ、革命とは、短絡的な暴力であるが、その革命が無ければ、私も君も居ないわけであるし、明日に散り行く定めであっても、もうダメだ、と嘆いても、嘆かなくても、その先は崖であるし、いつ怪我して転ぶかも分からぬし、明日に迫る死を先延ばしにしているだけに満たないのだとしても、生きたいと願うのが、この人間という哀れであるし、やがて、勝つも負けるも、絶対的な死に追いやられるのだ、とニヒリストは語るが、それも正解であるし、それだけが、世界では無いし、そこで終わりを簡単に処理しても、観念論に収まり、今から抜け出せない訳だし、そこで加勢するものなどが支配を続け、そこでコード化される感情が次なる操作を続けるだけに、同じようなシナリオがしなりを加え、自らに鞭打つ痛みで飛び上がるような偽善的な者が示す尺度なんか気にしないし、そこに現れるものなどは、一貫して卑屈なものだけであるし、誰もがデカダンであるから、誰もが、自らの考えから抜け出せずに、不安に陥る訳であるし、そこで分け隔て、あえて何かを強めに言うよりも、陰鬱な衝動を重ね、今に萎える思いも、溌剌とすべく、すべては、ここで生まれ、ここに情報を残し、根源を燃やし尽くし、何かをもたらす前に、燃え尽きるのであっても、誰もが、その命を燃やす轟轟とした音で目を覚まし、何度も闘う様子だけが、美しいものだ。