昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

誰をも敬わず誰をも恨まず


 誰も居ない架空の街でジレンマをこしらえるだけの永遠の仄か、残りものの命だ、とおののく精神が、背反すべき超自我から抜け出すような事態から、様々な思惑が重なり、重複するシンドロームや、悲劇を攪拌させ、支えるべき自己を喪失する事により、浪費する観念は、エレジーに浸り、悲観する事でしか、自己完結できないのだ、と妥当な位置や、原子と会話する意思的な時間から抜け出すような科学的な伴侶たちが羽化する深夜に、まざまざと等閑な感情を吐き出すだけのエゴは、恋に至る限りに、陰るのが、この精神であり、理屈を捏ねるほどに挫折感に妨げられ、延々と結ばれる記憶も、惰性なものに変わり、変化を求めるほどに、止めどなくあふれるものに押しつぶされ、抑圧され続けるほどに、肉感に触れ、敷衍する意識は、普遍性の厳寒さにとどまり、そこかしこにおぞましい記憶を塗り替えるだけの絶望の前衛的な回路を循環し、純化される意識は、受難を超え、憎しみでさえぎるだけの些細な動機から、プロセスを破壊し、受理する記憶に置き換えられる逡巡するだけの意識に介在するものを破棄し、はびこる悪意が充填する意識的な汚穢から、信号を送られ、快楽を充填していくだけの脳内のサイクルを否定的に乗り越え、貧寒な現在こそが、欲そのものを追い払い、配備される間に愛を巻き込み、この命が燃えさかり、境目も持たずに、入り込む愛から、間柄に囚われずに、途端に現れるものを、現れるままに愛し尽くす間に蓄積される苦悩や、能動的な対話から、対比される関係に安寧さを生み出し、そこに差異を生み出し、秩序に反するものを罰するだけの法で加工された品位が促す倫理などを撲滅すべく、ほとんどの正しさは、正しさを失い、そこでエスカレートする攻撃性だけが、劇的な進化を遂げ、とがめるだけに至る理想は、今に意味を履き違え、意思的なものを吐き出すだけのエゴに邂逅し、悔恨を溜め込み、こみ上げる意思的な結末が形骸化し、介在する意識を振りかざすだけの権力に荷担し、解体される深夜や、描写にアニミズムを用い、さらなる神を巻き込み、開示されるものを、そのままに受け取り、意思的な描写に捕まるだけに至り、退廃的なロジックや、ゾディアックにからまる静謐な思いに分散する抵抗性の記憶や、臆するだけに衰亡する意識は、今に悲鳴を上げ、カタルシスを求め、さらなる愛は、求めるほどに、おぞましいものに変わり、今を従え、意思を虐げるだけに至り、悲観するだけに至る抵抗性から、迎合されるだけの物事を超越し、淵源に潜む限界を超越し、今に現れる血で血を洗うだけの争いの尺度から、理は増幅する憎悪を押さえ込む事だけを考え、還元される憎しみを押し込む事だけを専念したような法の捻出から、我々は、誰かの名を借り、名付けられるほどに、補填される苦しみは増し、今に阻められるほどに、現れるメランコリーは、高次に至らずに自らを卑下する事が美徳であり、ぼくとつである事だけが、暴力から逃げられ、今に卑屈になることだけが、答えを持たずに、考える事すら不潔に思うべきである、と骨抜きにされた意思は、形式的なものだけが、答えを熱情させ、あらゆる捏造を含ませても、そしらぬふりをして、思わせぶりな態度で示す諦観へと移送され、それに満足しているかのように示すような態度だけが、正しいものであり、理に結ばれる尺度だけが、この世界で惰性に繰り返される協調性だけが、物事の正しさを伴侶に迎え、向こう見ずなものを排除し、疎外する事だけでしか、物事を判断できずに、性差を用い、善悪を利用し、領土を奪い、死の恐怖を捏造し、そこに生まれる憎悪だけが、世界を救うのだ、と妥当な位置から引き出す意味とは、今にあきらめを生み、採算を合わそうと妥当なものをプログラミングされた身体を引き取るための惰性な判断に過ぎない思議が用いたものだけが、あたかも真実を扱うように示すような尺度が語りかける真実とは、形作られたものを神話に変え、信仰心へと変え、書き換えられる意識は、何かを受領するだけでしか、物事を、正しいものとして扱えぬから、反する事で正す事などは、物事の判断を誤り、自らを過ちへと誘う行為である、と語り出す事に現れる正しさなどは、正しさを植え付けられるだけに至り、惰性な意識は、退嬰的なものに陥り、問題が用いる答えだけを応用し、それだけが、品性を用いた、正しい言葉であり、言葉とは、単に寄せ集めの正しさで今を思案させ、安易な答えへと導くだけの扇動するだけの道具であり、偶像を生み出す機械であり、乖離するための回帰へと導くだけのものであり、吐き出される言葉は、今にまやかしを生むであろうし、今に答えを巻き込み、安易な専横から、選出される過去から引き出すあいまいな意味を引き取らせるための強制力を孕み、今にいびつな証拠を残し、悄然たる意識は、様々な言い分けを続け、自らを不埒なものに変える事が、答えを逸脱し、自らを正す行為である、という勘違いを生み出し、今に踏み込むべき意思は、意味的なものに関わるほどに、自らを補填するだけの答えを引き取り、悲観するだけに至り、卑近なものに陥るわけであるし、やがて、活路を見出そう、と惰性なものや、挫折感を引き出し、悲観するだけに至る鬱積した心に迫る白昼夢や、垂涎するだけに至るような求めるだけの精神は、虚空を生み出し、神々しく結ばれる聖なる愛も、生産的なものや、凄惨なものを生み出すだけの闘争や、倒錯へと至り、服従するだけの精神は、金銭で買い取られるだけに至り、卑賤な価値を巻き込み、貧寒なものを生み出すだけでしか、正攻法を謳えず、計算付くで示す試みだけが、軽薄なものを生み出し、浅薄な者こそが、正しいものだ、と定義付けられるだけの希望に粘着する否定的な還元から、感性は損なわれ、批判的な抵抗とは、利己的なままにとどまり、途端に苦しみを往復させ、空疎な理由に白痴な者を批判する事でしか、自らを乗り越えられずに、自らに現れる幸福などは、誰かを否定する事でしか生み出せぬものだ、と判断する低劣さだけを生み出し、今に裁かれる意思は、他者から借りた答えや、本から引き出した卑近なものの構造へと陥るだけのアンサンブルに巻き込まれ、自らリズムを作り出す事もできずに、音が何だ、と吐き出すだけのジレンマに巻き込まれ、拘泥するだけに至るような軽信や、軽薄な理論を掲げ、加算される原理にあいまいな思想を用い、マインドを奪われるだけに至るような浅薄な意思は、いぶかるほどに、言い分けを続け、自ら吐き出す言葉に騙される事だけが、正解であり、世界を救う唯一の鍵である、と示すようなあいまいな毎日に位置づけられる今から欺瞞を引き出し、満足を謳うほどに、誘惑される精神は、さらなる敬神を生み出し、自分を信じる事を忘れてしまうような敬う気持ちを拍動させるような裏切りこそが、恨みを増幅させ、誰かを羨む事だけが、理解を超え、今に悲観するような自己をこしらえるだけの演技を続け、自らをみすぼらしいものに変え、今に書き換えられる正しさなどは、今を正す事だけに拘泥し、今に引き出す答えなどは、今に悲しみしか生まずに、あさましい自己を強調するだけに至る。