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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

昇華する神経

 
 押し込まれ、居場所を失った意思は、進行を妨げられた恨みを晴らすためだけに生きる。平衡しようと捕らえて離さぬ私の意識から、儀式化され、今に慣らされ、平均的なものとして、誰かを崇めたり、恨んだり、憎んだりする。下るだけの意識は、歪んだ感覚を携え、自分こそが正しいとして、正義の鉄槌を下す。破綻した会話の中に滑り込んで行く高慢なものが、関係を破綻へと追いやられ、抑圧される精神は、制限を用いられるほどに反発し、配備される理由や、集団心理に巻き込まれ、確かな判断を失い、自分こそが正しいのである、と認識させられているだけに満たない認知から、人間とは、傀儡と化し、全体主義的なものに陥り、自らに酷似した者を蔑み、終わらない闘争を生み出す。秩序を持たぬ精神は、正否を超え、自らが生み出す抵抗だけで、成長を遂げ、惰性なものを排除し、積み上げられた憎しみや、分裂するだけの過程や、カテゴライズされるだけの軽々しい秩序や、一体感を求め、退化へと至るだけの道筋を歩き、緻密なものを排除し、同じようなものを恨むためだけに、多元に放つ記憶の微かな災いや、猥雑な思いに降り注ぐ惰性なものから、達成感を排除し、離間へと至らせるだけの対策から、大義は失われ、互いをとがめる理想から、高めるほどに、内観に現れるジレンマが、倒錯へと至り、自らの戦士としての記憶を排除させ、配備される間にむしばむだけの憎悪が育まれ、猥雑な記憶に廉恥を埋め込み、そこで拘泥させるためだけに、後悔などを交換するだけに、そこで膠着するだけの意識は、惰性な真理をまとい、体感する以前に、寛容さを損ない、そこかしこで配膳される記憶に阻まれ、慢心に至り、浸る意味から、利己的なものを邁進させ、慢性的な妬身へと至り、蔑視する事で、満足感を生み出すだけの簡易な購いから、あいまいな毎日を崇めるほどに、魯鈍なものへと至り、誰かを恨む事で、今に現れる苦しみを消費し、昇華する思いは、藝術的なカタストロフに行き着き、果てるだけの精神は、犠牲的な意味を加速させ、拗れる後先に時間的な信仰をまとい、端的な悔悟から、短絡的な履歴を追い続けるほどに逡巡する意識が、純化するまでの軌跡をたどり、退廃的なロマンから、問診を繰り返し、精神的に懐疑を溜め込むだけの行為にもとづくエゴを引き取るだけの永遠性に唾棄されるだけの鬱々とした観念を誤解へと導くだけの答えで捏造するだけの関係から、改善されない痛みは、今にいぶかる事だけにイメージを補完し、執念だけをまとい、意味に意思を授けずに、死を当てこすり、与えられる苦しみだけに散漫な代償を求め、解消されない痛みは、体外に果てるだけのジレンマを加工するだけの呼吸を重ね、宇宙が広がり始めたころから、この苦しみは受注され続け、誰かに無慈悲に送り届けられ、滞る事だけを目的に、互いをとがめるだけの理想は、矜恃を保つべき基礎も、記号化され、安易に暗号に変えられ、疑心暗鬼を生じ、証拠も残さずに、傷痕ばかりを増やし、インタラクティブに操作されるものから、問答を続け、つたない意識が綴る儀式的な伴侶へと基礎を移し替え、運動的な忿怒から、媒体に戻る記憶の数々が、誰かの意思を買い取り、懐疑的な日常を名付ける事で、安易な安心感を引き出し、悲観するだけの精神のモデルケースをいくつも作り出し、そこで精神分析を続け、綴る意思的なまやかしから、散漫な意識に求められるカタルシスや、襤褸なものをかぶり、分断されるだけの幼稚な仕組みや、くみ取るべき意味も、育むべき今に愚行を重ね、欺瞞へと浸り、悲観する者を宗教的に騙す事だけで、観念をこしらえ、そこで信じるべき理想を追求するほどに、魯鈍な法則を生み出し、ちぐはぐな意識は、破壊され、原生のものを損ない、そこかしこに不安をまき散らす鴉として泣き腫らす現在に起動されるだけの意味が蓄積するだけの苦悩のボタンを押し続けるほどに、快楽は増して行く限りに現れる苦悩から、能動せずに、檻に入れられ、そこで処理されるだけの快楽へと厭う事無く、没頭する事だけに、根源は損なわれ、そこで擯斥されるだけの孤独感を増し、慢性的な痛みは、今に処理される事を待ちわびるほどに寂しさを増し、制圧されるだけの痛みによろこびを攪拌させ、懐疑的な日常に開示される乖離し続けるだけの自己を傍観する利己的な自分を消費するだけに陰る本質は、誰かを取り込む事だけが、自らの存在を強調し、そこに現れる不安を消耗していく鍵である、と影である自分が現れ、そこにあたかも立っているかのように見える自分も、まやかしのように見えるような段階から、断裂していく意識が、位置的な苦しみを抱え、空疎な分離を続け、分断され続ける先々で対立を深め、解体されるだけの身体を、多目的に傍観するような自己を従え、何度も往復する他者を介した存在の歯がゆさに対立を深め、俯瞰に攻め込む正義も、傍観者として派生する他者を介した違う自分を何度も縫い付け、そこにとどまる事だけが、記憶をそこで生産し続け、あったはずの苦しみもよろこびも、どこか、他人の事のように感じるように感化させるような幻想から、原理的な理想を育むべきだ、と敵愾心を生み出し、短絡的な憎悪を生み出すような演技を続け、大人になるための矯正から、担うべき意味に違いを見出すだけの先々で乖離するほどに、対立は生まれ、論難をあびせ、そこで達せられるものなどは、そこへと近付こうとするほどに離れる事ばかりであるし、そこで阻まれるほどに、悶える憎悪は燃えさかり、誰彼かまわず燃やし尽くす事だけに専念し、遷延するものに巻き込まれ、自らを堕落させるだけに専念するような快楽的な何かを反故する者や、抱合される先に生まれる差異から、惨憺たるものを生み出すだけの性悪説にアクセスするほどに、魯鈍なものへと落ち込み、応じるほどに、偏向する意識は、誰かを裁く事でしか、自らの不安を解消できずに、対象を虐める事でしか、自らの恨みを晴らす事もできずに、そこで解消され、昇華へと至るような創造性を持たぬから、そこでこしらえられるものに、誂えられた理想を信心する事でしか、存在を確かめる事ができない。