昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

自らに帰りつくよろこび


 今に現れる苦しみは、ここに欺瞞を用い、痛みを率いることで、今を不安に追いやる。形のない不安は、意志を形骸化させ、そこで保つべき矜恃すらも損ない、自らの平衡感覚を損ない、抵抗力を養えずに、今に蓄積される苦悩を媒介させ、あらゆるものを悲観的に見せるだけの痛みに制圧され、自らを見失い、増加していく痛みに耐えかねずに自らを屈折させ、蓄積される苦悩に意思を奪われ、恐怖に苛まれる。ここで妬ましくぶつかるだけの利己的な衝動が本質を損ない、見失った優しさを探し、澱んだ街で補足されるだけの宣伝的なものが示す流行に閉め出され、今に現れる諦観から、保守的な事象に繰り出されるだけの論理的な身体が示す名に及ぼされるだけの穢れを蛇行し、行為にもとづくエゴに引き連れられ、現実に誕生するものを祝うことすらできずに、ここに現れる憎悪に征服されるほどに保持する苦しみは、自らに憎しみを倍増させ、憎むほどにゆがむ精神は、オーガズムを求め、何かを攻撃するほどに増して行く快感と共に弔われずに、その場で浮遊するだけのゴーストとして、或いは生きたままにさまよう意思的なゾンビとして形容されるものを何でも食い尽くすだけの屈辱すらも感じぬ羞恥心の消えた形だけのものとして、ここで束縛されるだけの人間性に精度を求めるほどに、何かに騙されることだけが、ここで鮮明な答えに邂逅し、自らの悔恨をかき消し、強要されるだけの物質として扱われることのよろこびに悶えるべきだ、と痕跡も残さずに、強調される痛みに這いつくばり、ここで屈し隷属することだけに拘泥するような人間的な哀れから、排斥されるだけの利己的な私情に聡明さもなければ、さもしいだけの論理を引きずる空疎な身体を持つだけの入れ物として、意識すらも無ければ、ただ与えられる影響にあらがうこともできずに、与えられたままにむしばまれるだけの感情を手に取り、利己的な支配されるだけの関係性が生み出す制度などに退嬰的なものを生み出すだけのスキームの中での無感情な者として、蓄積されるものを冷酷に支配し、たしなめるほどに、ここに現れるものに服従し、従事するほどに知り合う者のほとんどは物質的なもののガソリンの役目としてしか使命感を果たせずに、与えられる使命感だけに徒労を重ね、自らを生きることを知らぬから、求める自由に利用され、自由自体を見失い、「自らを損ない、そこかしこに現れるものにあらがえずに、屈従することだけが、真理に近付く近道なのだ、と」促す神の僕として、従僕することだけが、神に近付くものである、と宣言するような人間が作り出した神に適応することだけが、神と意味との間で触発されるだけの苦悩と自由との合間に陥るだけの差異を生み出すだけの苦悩を解消させるためだけの神として弔われるだけの身体を捧げ、自らをサクリファイスとして崇めることに補完される神との距離から、ここに現れる苦悩と空虚との距離感に現れる恐怖に耐えかねずに、体系的な理想や、携帯する理由に境涯は形骸化していき、システムに攻め入られるだけの生命は差別的に処理されるだけの偏りから、ここで守られる神は、決して人間を守ることはなく、自らを守るためだけにためらわずに道具と化すだけの物として扱われる者だけを、神の側に置くのであろうし、ここに現れる神などは、人間が作り出した規律を保つためだけに物として扱われることをよろこびとするような法に加工され、そこでマゾヒズム的に浸るだけの自らのペシミズムと神を融合させ、高揚し続ける信仰は加速し、そこに死をも超越するような調教を施され、そこで専横する主義をも破壊し、超自我をも破砕し、ここで同調し、同一化するものだけが、本質として崇めるべき真実であり、ここに現れるものだけが真理である、と捏造する間に不安感を超克し、ここに現れるものだけを崇めることだけが、快楽を呼び覚まし、自らを騙すことにより、神と融合するような高揚感だけが自らを認識させるのだ、という精神に成り下がった者を救うような信仰をも超えるものが哲学であり、ここに現れるものに模倣され、模写されるだけの自然界の戒律にすら逆らうのが、人間をも超える役割であり、ここで役目を果たすためならば、浅薄で散漫な意思を滅ぼすだけの幸福などは不必要であり、ここで摩耗される精神が不安に苛まれても尚、ここに転じるものだけが、本質を知るのであり、ここに現れるものを超えるのが、真理であるし、その超えられた真理を超えるのも自らの意志が生み出す意味であり、答えであるし、ここに宿るものなどは、個々の見方により、意味は変わるし、ここにあらがうことだけが、死をも飛び越え、ここで強制されるものに気付くことが、君の勝利をも超え、企てられるだけの勝敗に左右されずに、ここに現れる善悪などは、誰かが何かを暗示させるためだけの死へと追いやるだけの不安を捏造するだけの機械的な何かの食い込みであるし、ここに生まれる食い込みとは、意味に罪の意識を着せ、今に欺瞞を与え、苦難へと追いやるだけの罪の意識で損なう意思を操作するための理想論などを吐き出すだけの抵抗から、肯定できずに、ここで退き諦観するだけに至ることに関するほどに、ここで牛耳られるだけの痛みや、何かを保ち、守るためだけに生まれたのではなく、逃げ惑い、自由すらも捨て去り、ここで去りゆくことすら捨て去り、捨てることすら捨て去り、ここで逃避し続けるよろこびから、負担する意味などは、ちぐはぐな答えで拘束するだけの耽溺を生み出すだけの過信や、懐疑的な日常に乖離し、理解を得られずに選りすぐるだけに至るような生活感などを簡易に生み出し、経済的な達成などは、すぐさま退廃するだけに至るし、精神主義などは、ことたるものを謳うばかりで現実味もないし、ここに現れる批判的な背反などは、貧寒な意思を批判で染めることだけが、唯一自分を正当化させ、自らの苦しみを消費するだけの方法論にしか過ぎず、すぐさま迫る償いの意思などが、意味を損なわせ、そこで批判し続けるほどに空しさを培養させ、自らの苦しみに酔うだけであるし、ここに現れるまがい物すべてを消費しても尚、腹が減るのが人間であるし、その餓鬼たる者や、亡者たる威信が狭い価値を形成し、ここでカタトニーに変わり、身動きも取られずに惰性に生きることだけが、糧になる、と促すような金言こそ枷である。