時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

空想


 おもしろみもないからこそ、おもしろくしようともくろむような週末の理論から、性善説や、性悪説にアクセスするような大衆の試みに反し、理解を得ようと無理強いするよりも、ここで鋭く解明しようと自らの力学だけで、解消されない意味を昇華させるような創造性だけが、自らを救うという意識よりも、この世界を救うという強制的な判断を用いるよりも、反骨精神だけで、退嬰的な体系や、携帯するだけの意味に接続されるだけに明け暮れる大衆の一部として、或いは権力の中での秩序を保つ官僚制の民として、独裁的な主観で延々と演繹される命題と弔われずに、この場での屍として、意味のゾンビとして、損得の街を徘徊するだけの考えすらも捨てたゾンビとして徘徊するだけの闇夜で幼稚な企みを介し、枠内で放たれる道楽から、緩慢に作用する間に迫る夜との交錯から、等差を用い、未熟な精神で軽薄なものをたずさえ、富を爆砕するためだけに恨むことをはじめ、ここでルサンチマンとして関与する間に卑劣な思想は生まれ、何かを保つために守るという独善的な意思が虐げ、従えるだけの意志とは、自らの力を学ぶこともできずに、答えを恒心できずに、出来合のものを受け入れ、それと共に統合されることだけを正常と呼ぶことにより、よりよい理解に至らずに、位階制の間で対比を繰り返すだけの価値を保とうともくろむ秩序に渡された目録を受け取り、自らの意志で何かをやり遂げたかのように仕向けるような間柄から、乖離していく理解は、今に区域を生み出し、空虚感を生み出し、寂寞で緊縛するだけに至るような人間的な拘束から、ここで問われる悪により、今を見くびるだけに至るような恐怖感に震えるだけの意思的な汚穢に敵愾心を生み出し、奪い合うだけの価値が率いる古俗により、今に瀰漫する不満足を煽るだけの正しいとされているだけの答えに軋轢を重ね、あいまいな毎日に退くだけの過程や、軽快な理想を用いずに、今にずっと続いているだけの意味を買い被り、今に意味を問わずに、ここにあらがうことも知らずに、答えにのうのうと流されるだけの退行から、大概の苦しみは理想を供給するフリをして、今に偽善的なものを与え、押し込まれた意識の中で改ざんされるだけの毎日に蓄積される苦悩を共有するフリをして、利己的なものへと書き換えられるだけの苦しみの中で退廃するだけの答えの中でしか判断を見出せぬから、今に理想的なものを謳うだけで、何かに怯えることしかできずに、今の苦しみを今に反響させ、環境のせいにして、今に虐げられるだけに至るような全体主義的な者の一部として、生きることでいしか判断を急かせず、ここで正論をぶつけても、ここに現れるものを見くびるだけに至り、ここに現れる答えに形骸化し、一切は答えを見出す前に、自らに捕食するだけの自己防衛的な判断で破壊するだけに至らせるような定理の中で利便的なものを接続させ、ここに興じる意味に招請されるものだけを正式なものとして受け入れるという誤りから、正解とは与えられるだけの便宜的な神に利用され、理想は供給される罪を意味として理解を得ようとする以前に、用いられる答えに考えを強制されることから、自らに誤りは生まれ、今に理解しようともせずに、用いられる苦しみを堪能し、納付されるだけの苦しみを流布し続ける先に死を横柄に舞い込み、ここにこじつけられるだけの意味に理解を求め、乖離していく思想の中で高次に至らずに、行為にせき止められ、正義を用い、整合される先で開示されるだけの意味に昏倒し、当該する者として、一市民を演じ、演じる先に孤立感は生まれ、今に投じられる不安に制御されるだけに至るプログラムの一部として隠逸していくだけの大多数の一部として、苦しむことを強要されるだけに至るような過失の先で対峙する意味も君に蓄積する意思的な間違いに屠られるだけの独善的な終末論に整合されるだけの正義を回収することが、正義であり、悪を捏造し、ここに凝り固まるだけの意味を迎合することだけが、世界を正常に保つなどと促すような者こそ、卑屈な理想を抱え、何かを排除し、疎外するだけに至り、疎外されるほどに卑屈になる者が、世界を壊そうともくろみ、今に規律を生み出し、規制するだけに至るような意味に秩序を生み出し、愛は背反だけをめざし、愛であることを辞め、ただ仮想するだけの正義が用いる真偽や善悪に解消されるだけの痛みを何度も捏造しながら、ここに交わる死の恐怖から逃げ惑い、そこかしこに点在するだけの意識的な交わりに罪を形成し、そこで応じるだけの答えに散漫になり、理解を得ようとするほどに、保持する意味から乖離することにより、自らの罪が強制力を重ね、ここで抑圧されるだけに至るような些細な結末から、差異が生まれ、惨憺たるものへと交接することだけが、繁栄につながり、今に圧縮されるだけの精神が徒労を重ね、統合するほどに魯鈍な者になり、担う意味も今に回収され、改善されない痛みの中で倒錯を繰り返し、用いられる等差から、当該するものだけが、正義として扱われ、ここに保たれるものだけが、正義として存在することを存在などと崇める事から、購うことだけに専念し、宣言される意味の間で法で加工し、ここに囲われる意味などは意志すら持たずに、何かに流動することだけが、意味を保つことである、という空想に浸っている。