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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

生を純化させる冒険

 
 生とは、凝縮された死だ。何も逃さぬように、すべてを食べ尽くし、無に変える。あるゆる死とは、生を覆う闇にもなり、生を照らす、まばゆい光にも変わる。死を思うことが、唯一自らを救い、何かの手立てに変わるのであり、そこで生に萎縮するよりも、自らの死を取り込み、昇華させるような純粋な創造性だけが、生死を超えて、今に隔てるものすらなくなり、自らの寛容さだけが、自らを唯一救い出すのであり、意識だけは放浪者として、どこにもとどまらずに、動き回り、逃げ惑うのを恥じることなく、簡単に逃げ出し、自らの意味を突き進む。あらゆる抵抗とは、その場での抵抗ではないの、だ。絶えず死を運ぶ金のための悪魔どもが崇拝する経済などを有利に運ぶための支配的なものが、計画的に生み出され、苛むだけに至る意識や、軽薄なものでごまかすことだけに専念し、ばらまかれる快楽を貪婪に貪ることだけが、清潔である、と言い伝えられているような、捻じ曲げられた真実を信じることだけに尽くすような正義が、独善的なものを生み出し、意思を支配する。すべては、正しくあろうとする限りに詭弁であり、正しくしようとする限りに、すべては歪曲する。滑落する死とは、いまをすぐよみがえらせるための冒険を続けるための死へと滑り込んでいき、自らを超越すべき、自らを死を何度も往復し、ここで反復される死が横柄に死へと束縛させながら、おおらかな生へと昇華していく。そこに現れる苦悩とは、寛容への道を示し、ここから閉め出される意味や、ここで幽閉されるだけの論理に関わるほどに、正解は失われ、いまにむしばまれるだけに至るような退行から、要する価値にカタストロフを生み出し、観点を疎外させるだけに至らせるような死とは違うのであり、そこで相似するだけの理想に神経質になりながら、自らの生を当てこすり、互いをとがめるだけの疎外を生み出すだけの定義上の死とは違うのであり、創造性を持たぬ死は、恐怖ばかりを媒介させ、あらゆる論理を固執し続けるだけに至らせるような訂正から、抵抗を与え続ける限りに、ここで陰るだけに至る本質から、真実はねじ曲げられ、あらゆる行為を整合しながら、混沌へと導くだけの死は、意思を持たずに、何かに促されるままに死へと往復していくだけに至ることに、星が抱えた魂胆を借りた身体を破棄し、ここで旋回する意思は、天体へとめぐる冒険へと勇ましく出かける。デカダンスを用いた死は、観点を疎外し、ここに後悔を用いるだけに至らせるような正義から、犠牲的に観点をむしばむだけの時折から、応じるような要因から、衰亡を重ね、自らを死へと押し込むような倒錯から、錯雑とした観念は、懈怠を抱え、ここで問答を続けるほどにもんもんとしていく。意思をロストし、途端にあふれる感情は相互することなく、意味から放たれ、重力を持たずに、宇宙空間を恒久的にさまよう観念は、倦怠感を抱え、運動的な支配から抜け出せずに、時間の中に巻き込まれていく。肯定的な苦しみだけが、いまをひるがえし、自己を強靱なように見せかけるような超越とは、宗教的な昇華から、疑似的な超越へともたらされ、そこで延々と繰り広げられる演技的な表現から、表出されるものに自らを騙し続ける先に現れる苦しみを厭わずに、いまに現れるものを愛することから、自らを宗教的な昇華に至らせ、あたかも創造性を用い、いまを乗り越えたかのように見せかけるようなものが魔法のように扱われ、いまに現れる苦しみをすぐさま消費して終うような祈りから、逓減していくものや、見せかけのものを体現し続ける限りに、自らは陰ることなく、意味の高尚さへと上り詰め、高次に至るかのように見せかけるような哲学的なひるがえしから、簡単に処理されるだけの言葉を盾にし、何かを裏切り突き破ることだけに専念するような現時点で演じられるだけの苦しみを鬱積させ、自らの経路を騙し続ける限りに陰る本質は、自らの憎しみを消費し、自らまとう身近な意味の正気を保とうとすればするほどに、自らとは擦れ違い、意思を損ない、そこかしこに原理的な憎しみを生み出し、いまを屠るだけに至るような定理から、理屈を捏ねるだけの捏造から、相思相愛などを謳い、しあわせへと導くような行為をひもとくように見せかけるような愛を愛と呼んだことから、人間の過ちは始まったのであり、そこで終わるものばかりにもまれる間に奇跡を生み出すように見せかけるだけの子供だましなものから、永久を捏造し、ここで抵抗を加えずに諦観することだけが、正解に導き、幸福へと至らせるなどと促すことが価値を損なわせ、そこで恨み辛みを重ねるだけに至る。その場で屈服する必要もないだろうし、そこで苦しむような必要性すらなく、そこに有する価値が背負わせる意味が産み付ける意思などが伝える思想などに惑わされることもなく、ここに現れるものを欲したり、捨てたりする必要すらもなく、ここで植え付けられたものなどは、自らを束縛するだけに至り、ここに陥るだけに意味は意思を損ない、そこで戸惑うことだけが、定理のように思わせるだけのギミックから、みちみちていく苦しみを見つけるだけの消費的な毎日に問い続ける悪を捏造し続けるような正義とは、自らを正すことだけに専念するようなよこしまな正義であり、そのような正義を背負わされるほどに、私たちとは、悪に近付くの、だ。そのようなサイクルから抜け出すべく、自らの産み出すものだけが、世界を正解に導くための自らの唯一の手立てとなる。