昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

矛盾


 純粋な理想などは存在せず、何かに捻じ曲げられた理想を掲げ、自らに誇示するものを信心し、それだけが理想などという危うさは、破壊を生み、何かを奪うための理想は、ためらわずに何かを破壊することを定義に変え、理想に膠着する意思は、精神性を立派に歌い上げては、自己陶酔に陥り、自らが生み出す快楽だけがリアリティーを持つものであり、そこに与えられる権力だけが、自らを強調し、確かな意志を用い、ジレンマを飛び越えるものだ、という似而非超越を生み出す限りに、陰る本質は、自らの醜さに気づかずに、現れる苦しみを横柄に反復し、自らに強調される苦しみに理解を得ようと求めるほどに、理解とは乖離し、自らの苦しみだけに服従するしか、苦しみとは対峙できないのだ、という苦しみなどからは、すぐさま逃げるべきであるのに、共通的な美学は、あからさまに逃げることを恥とする文化を伝え、死することでしか、システムに反対できぬような理想論に拘泥し、自らに与える結末に後悔を与え、自らを締め付けることだけに専念するような拘泥から諦観は生まれ、観念に懸念を示さずに、見解すらもなく、すぐさま搾取されるだけだ、と性悪説にアクセスし、自らに背かずに実存主義を掲げ、個人主義を淘汰すべく、すべては矛盾を重ね、真実などは、本質を見失い、保身のために何かを騙すことに専念し、あたかも何かに相似しているフリをして、理屈をこねては、自らを正当化するための意味や答えをこしらえる。現れる悲しみは誰のもの?と遠のく意識に補完される他者の精神を介し、自らの苦しみを強調するようなミステリーへと移行していく途端に自らは崩れ去り、些細な出来事に超過していくだけの時間においてけぼりをくらい、ここで繰り返される事情とは、時間の外から出られずに、空間の中で繰り返される苦しみを連動させるための媒介を繰り返す。そこで補填され、補正されるものだけが、真実を語るものだ、と俗悪な者が堅持する理由などは権力に荷担するための合成的な由縁に末期的な苦しみを疎外させるための逃避である、と促すような破壊的なニヒリズムが促すペシミズムが与える痛みこそが、孤独な病を発明し、今に購うための理想を誇示するための意味を堅持し、拗れる意図から、意味を引き取るほどに卑近なものに引き合いに出されるだけの打算から、散々な現実に帰巣していくだけの理想とは、意味に背反できずに、今に苦闘を続け、綴る意識は明晰な判断に至らずに、今に痛む身体を引きずり、浸透していく今に補完されるだけの身体として、今に身を捧げるための今とは、今に意味を失い、今に置いて行かれるだけに至るし、その場で敷衍するものなどは、何の意味も持たずに、意味を誇張するための今に自らを閉じ込める途端に苦しみとは倍増していくのであり、そこで応じるだけの不安に促されるままに移行していく苦しみの虜にになり、担う意味の隣で屈従するだけに至るような精神性に世界性は崩壊し、そこで補完されるものなどは、嘘偽りを放つだけの独善的なパレードを自己の内外で繰り返し、与えられる理想とは希望を持たずに、地を這い、律儀に自らに立ち向かう間に消費されるだけの理想のためだけに働くのであり、そこで競うことで保持したものが確かなもののような勘違いを生むような思想こそが危うさを生むのであり、ここで強調される意味などは本質を見失い、損なわれるだけの意味の影として弔われずに時空をさまよい、拗れるだけの時間に損なわれる影として意味の中で爛れていきいびつな観念を形成し、今に依存することでしか、自らを生きてると認識できぬような生き方などは、生きていることにはならず、そこで生かされているなどという感慨を施し、自らを苦しめるためのメタファーを生み出し、物事に軋轢を形成し、そこで闘争を続ける間に老いた身体は背反できずに、時間との対立に敗れ、いびつに形成された盲信し続けた理想などは思想にも至らずに、もうろうとした意識が欺瞞を生み出し、不満や不具合を昇華させるための嫉妬心の業火へと自らを投下し、そこで問われる理想との永久の戦争へと至り、いぶかる先に堅持する理想などは、今に魯鈍なものに変わり、ここで姑息な者にこき使われることでしか、自らを信じられずに、今に思想により肉薄していく意志も、違う者の理想に意志を奪われ、意味を見失い、今に緻密に与えられるようなイメージも独裁的なものに塗布される色により、自らの理想を着替え、快活さを失い、何かを裏切るためだけに憎悪をもたらすような正義を生み出し、自らを犠牲に、悪意を捏ねるだけの正義を正義として捉え、そこに生まれる絶対性へと全体主義の衆愚として遺棄される他者を介した孤独な身体を傍観する何か違う自己との消費レースから、冷静さを失い、即座に転換していく苦しみとの闘争だ、と促すような統制から、統合されることだけが、自らの正常さを強調するのだ、というような分析的に保持するような正常さなどは、何の正常さも生み出さずに何かを疎外し、自らを優位なものに転化していくことでしか、生きてることも感じられぬようなものを異常として捉えるべきであり、そこで問う有為から、優位を生み出すだけの等差に低劣な理想を掲げ、今に苦しむだけに至るような空疎さから放たれ、自らの意志をとがめずに、今に現れるものを受領する。