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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

逃避行


 瞬間的に達成されるものが今に言いなりになる。担う意味もセンチメンタルな様相で、強迫的に迫る君と意味との間で結末を求めるばかりで、加算されるものに押収されるだけの今に欠乏を抱え、換算されるだけの関連性から、今に連動していく苦しみに蓄積されるものに迫害され、些細な理由に押し込まれる今に隔離される。有する価値との間に迫る結末は、君を苦しめるための言葉を吐き出すよりも、希望をも超越するようなこころみにいたるべく、君に便りを送り続ける。ここで加算されるものなどは、最たる理由も残さずに、ここで確実性を謳うよりも、ここに要理を用い、十全としたものに変わるべく、理想をも越えるような今だけが、意思を伝え、退廃的な動機や、そこに朽ち果てるだけの意味が用いるモラルに慟哭したり、苛む今に交接していくものが、新たな物を吐瀉し続け、永遠性をそこかしこに孕んで懶惰なものを飛び越え、創造的な飛躍へといたり続ける途端に現れるものがあらがい、ここでの結末に怯えるよりも、ここでおぼえもなく関わるほどに、からまる意味から、今に追い込まれ、押し出されていく瞬間を敷衍させていくような主観からの逸脱を目指し、終焉に巻き込まれるフラクタルな身体から、果敢に挑むほどに、ここで憧憬を続けるだけの厭うだけの指針にはびこる絶望的なものへと逃避していくほどに補填される憎悪が今をむしばみ、偽善的なものや、徳を謳うだけの信仰に行為とはさまたげを生み出す欠如に変わり、ここで補完されるものが動機を封じ、今に嘔気を与えるだけにいたる。開いた傷の縫合を終えた君は、いつかの悲しみも、そこでしばられていただけに満たないものであった、と気付く前にくじける。来すイメージに追い込まれていては、何も見えずに、そこで価値観を用い、何かをしいたげるだけにいたり、したがえるものに降伏し、そこに求められるだけの幸福に引きずられ、悲観するだけにいたるような執心から、貧寒なものを抱え込み、ここで連想していくものに追従することだけに専念するのが、資本主義的な生き方であるのだ、と宣言するような邪推から、済世を謳うだけの連中の支配から、官僚などは、世界を認識できてないのに、ただ与えられたものを全うすることだけが善意なのだ、と思い込む辺りから、ちぐはぐな論理は遡行していき、退廃的なモジュールを生み出し、リリカルさをそこない、リアリティーを喪失し続け、本質はそこなわれ、相似していくほどに、恒常的な苦しみを生み出す住まいの中で誰かを恨み続けることだけに見つける意思のようなものが今に滞留し、今とは、今に追われることだけに従事し、今に迫る苦しみが、今を追い越す辺りから、固執するだけにいたるような現在に怠惰なものを抱え、価値観を屠るだけにいたり、今に盗用されるだけの意味から、日々は露骨なものにおびえ、応じるだけの答えに大義はなく、ただ肉薄していく限りに悪は偽善的なものをまとい、体制にこびうり、運動的な排除から、うごめく革命の酒気や臭気にまじわる解除を願う社会主義的な機械的人間として製造されるだけの動機だけが、意思を決定づけるのだ、という洗脳的な配備から、そこであらがうこととは、死を意味するのだ、という循環からの脱兎を目指すべく、今を純化させるための理想をこなごなにしては、さまたげを生み出すだけの理想とは、今に帰巣することだけを目的に永遠性に反し、そこでの終わりを求めるだけのペシミズムにいたり、いぶかる先に提示されるものを信心し続けることだけが救われ、今に報われるなどという勘違いを屠るべく、そこで放送されるものなどは、支配するための専横的なプロセスを今に巻き込み、自らの考えで何かを執り行えず、そこで執心するものとは、誰かに与えられたものであり、そこで仕向けられるものから逃げ出すことに罪などなく、はじめから罪などはなく、罪とは与えられ生まれるものであり、それこそが正しいとされるものなどは、善悪を問わず、ただ正しいとされる限りに正しいものとして今をしいたげ、したがえることだけが正しいのだ、という過ちこそを正すべきであり、そこで正しいとされるものに正されるようでは、何の正しさにもいたらずに、自らを追いやり、苦しめるだけにいたるのであり、そこで与えられている価値に苦しめられるよりも、何かに決め込まれ、そこで強迫観念に苛まれるよりも、そこでうとましくからまる意味に生み出される境目がくみ取る意味などは、ただ今を位置づけ、そこで等差を生み出すだけの仕組みに与えられる金銭的な補完だけが、「ここで交換されるものとの軋轢を終え」修正されるように仕向けるような過ちから、ここに生み出される誤りへと多目的に接続される文明的にいたらぬものを過去からひきずり、その卑近なものを形成しただけに満たないものを社会と名付け訂正し、抵抗するものを排除するための法から、罪は帰巣する場所を求め、誰かのこころを住まいにしては、指定されるものに逆らうものに与える結末とは、みじめなものであり、みっともないものだ、という意思を植え付け、そこで屈従することのが簡単であり、そこで処理され続けるだけの短絡的な思考へと後続することのがしあわせであるなどという過ちからの逃避行を続けては、対比されるだけに自らとはそこなわれ、「そこで測られる物として扱われ」そこで解決したように思えるものも、今にしたがうほどに論点は擦れ、そこなうだけにいたるような精神を正否が追い求める。