昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

歪む夜


 引用されるたびに失われる形式によいしれる具現化されるだけの日常にきらめくネオンも、他人事と単語の間に消え入り、暗号化される日々は、追いかけるほどに一貫した貪婪さを孕み、そこに生まれるエゴが人間的な臭気を放ち、よどんだ日常を浄化させるような晴れ間に揺動され、日常は変化を求めるほどに、その日々のサイクルに飲まれるようだが、ここで思うことも、何かに思われることで元々の意味を壊し、快活な動機すら失われるかのように見せつけるような余韻から、陰惨な形式が孕む破壊的な言葉に刺激され、意識的な低下を叫ぶだけのプラトニックな日常に卑屈な感情が生まれ、何かを恨むほどに、魯鈍なものになりかわり、ここで代償とされる者や、出し抜けるための者を作り上げるだけの理想などは、すぐさま廃れるものであるし、突きぬけるような希望がなければ、そこで継続しているものなどは無駄に終わるようだね、と君の姑息な笑顔の裏側にそなわるペシミズムを打ち砕くべく、私は存在するのであろうし、やがて、死に追いかけられ、君のニヒリズムは完成するのだ、とかいう諦観はその場で捨て去るべきであるし、そこで考え違いを孕む限り、その場にとどまり、時間と空間の餌食になるし、縁を思わずに、ここでの距離は生まれず、その場で測ることも生まれないままに、あいまいなマインドは低劣なものを育てる惰性な事柄から、乖離していくだけの景色を追いかける日々をも越えるような意志を持たぬ限り、その場で朽ち果てるだけにいたるし、そこで語る「その場」とは、そこでの拘束を思わずに、自由に回想する間に生まれる自由をも越える手立てになるのであるし、そこで担いものだけが意味を軽くし、そこで屈するよりも、そこで恒常的な愛にみちびかれ、高次に至るような住まいを見つけ、すぐさま逃げ出し、修復し続けることにより、簡単な祝福を受け入れるよりも、そこで強調されるものにとがめられることもなく、音と音の間にひずむ優美な嘆息から閉じる瞬間にも、美しいものは混在し、思う限り、ここでの症例は飛び越えられるための絶え間ない闘争であるし、ここで観測されるものに支配されるよりも、覆われる意味をくつがえすような美しさを保つような君に補足される意味だけが、緻密な意味に迫り、ここで完全性を保つよりも、十全とした意識で四季をひるがえすような詩的な遊歩道を歩き、ガイダンスにはしたがわず、そこでダンスし続けることだけが、今の行列にならび、何かに倣うよりも美しいものであるし、そこでしたがうほどに、謳われる人間性に支配され、気配も失われるであろうし、そこで有するものなどは、何の足しにもならないから、哲学とは存在するし、そこでの素材にも変わり、もたらされる苦しみも、自らが思うことで強調されることを知り、そこで楽しむことを忘れれば、そこでの苦しみは強調され続け、自分自身をおとしいれるだけにいたるし、そこでいたらぬことを思うよりも、次々に脱ぎ捨てる感情をおいてけぼりにし、憎むことよりも、簡単に処理する方法を学ぶべきであり、そこであいまいな日々に結合していく鈍感なものをドナーにし、先天的な苦しみを分かち合うことはできない。意味が不潔に変わるだけの正解が迫る狭い価値をうながす教育が世界を社会を世間を作り上げるような犠牲的な日々にファシストの脅威が迫り、現代のゲノムを解明し、新たなよろこびを想定し、あらゆる権化を打ち砕くような鉄槌を下すべく、ベクトルは天をも超え、手懐けられた天体を越え、宇宙との調和をもくろむ暗黒の外側に存在する自己との対立を続け、そこで軽薄な者が示す尺度から逃げ出すべく、弁解を続けるだけの意図から放たれ、ここで連動するものとは、自己が作り上げた偽装であるし、そこで堅持するものなどは何にもならなくとも、そこでなしとげることだけが、世界を世界として認識させ、そこで惰性に達せられるものなどは、何かを継続したかのように思わせるような時間という悪魔が用いる麻酔により、麻痺した感情が徒労を重ねていることすら忘れ、そこで軽蔑されるだけにいたるような毎日に贋物の達成感を与えるだけの支配的な経路から逃れ、自分が示すことだけが、そこでの正解を生み出し、ここで形成されるものなどは、何かにしたがうための理想であるし、そこでしたがえるものは、次々に支配を加速させ、持たされた権力という麻酔に麻痺し、まがい物のものを崇拝し、止揚することを知らぬから、途端に現れる恐怖に飲まれるのであり、そこでのらりくらりと逃げ惑い、毎日にかかげられる血や、そこで価値として崇められることにより加速するナショナリズムや、そこでリズムを失い、理不尽なものをルーツに、決められたルールを守ることだけが、この世界を正しくするという虚偽から、そこで束縛するだけにいたる空間的な排除を恐れるばかりで、何の正しさも知り得ぬのに、正しいことを知ったように語り、何かを抑止し、抑圧される限り、用いられる罪の代弁者として、あらゆる悪を生み出すだけの代理の子として、悪魔的な言葉を吐き出すだけの空疎な学者の餌として、包囲網をしき、論破するために練られた作戦と寝るような独善的な解釈者として、あらゆるレジスタンスの的として、背くほどに孤独になることを恐れるばかりでは、ここで取り残され、そこでの正解をにみちびかれることだけが、世界のように思うことにより、自らが自らを排除し、過信を続け、そこで改心することだけが、正解だ、という思い違いにこそ気付くべきである。