昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

制限を持たぬもの


 思い出すことが永遠を形成し、あらゆる制限を含んだ現在に転転としりぞいていくプロセスから、プロパガンダをまき散らす情報の波から逃れるような後から迫る欺瞞や、憤懣をうながす姿勢や、静謐な予感にふりそそぐいびつな雨がまどろんだ感情をとりのぞき、ロジカルな今を形成し、理性を解き放つような懐かしさを迫らせるファシズムや、幼稚な錯乱が画面を覆い尽くし、緩慢に作用する意味の奴隷として位置づけられるだけに鈍磨なものに変わるような憎しみの街は、祝福よりも、復讐に精を出し、散々な現状に浪費されるだけの観念の中で淡々と積もるものを興奮剤に変え、精神は宦官として、意思の奴隷として、蘇生されるだけの永遠性に反するように状態に膨らむ苦しみの住まいから逃げ出そうと参画しても、その場であたえられる影響の虜になり、そこで拘束されるよろこびにひたるマゾヒズムから、空疎な理由を刺激するだけの日々がニヒリズムに犯され、景観を汚し、倦怠感をうながし、運命を引き裂くようなモラルや、妄想するだけにいたり、今にしいたげられる限りに裏切られる途端にとめどなくあふれる苦しみに飛躍するような精神的な昇華を目指すような創造的なものだけが、今からの脱兎をこころみ、与えられる影響と、そこでとめどなく逆らい続けるような自らとの対立が深まり、終わらぬ軋轢は、契約をほどこされるだけの空疎な身体が癒やすための空腹感を加速させ、懐疑的な日常や、乖離し続ける先に現れる真実などは、複製されたものに過ぎず、そこで思議することすら愚かであるなどとうながすような価値が決め込む運命などは、そこに反逆も持たずに、その場での運命に平伏することでしか、自らを生かせぬような現状を打ち砕くようないきいきとして、明るい思想が必要であるのに、考えることとは、依然として愚かなもののように扱われ、快活な動機すらも見出せずに、惰性が求める快楽から、改善すべき現状に塗布される闇や、制約される間にひしめく思いがこうむるものの黒さに導かれ、自らを逸脱できずに、ただあてがわれたものに反するほどに、自らとの距離は生まれ、そこでおいてけぼりをくらい、空白を埋めるための暇つぶしに貧するだけの約束などに徘徊する今の空席を埋めるための愛と名付けられ、そこで補完するための愛だけが、必要性を求めるほどに、求めるものとの懸隔は生まれ、そこで束縛されるだけに即席の自由を謳うような慢心を生み出し、緩衝できずに、衝突し合うだけにいたるような愛にいたらず、ただ求めるぬくもりが引き出す正しさなどは、違うことに気付かずに、与えられる影響そのままに、受け取るほどに、その愛とは未熟なものにいたり、そこで散漫に支配され、軽薄なものを生み出す気配や、今に形骸化するほどに機械的なものを施し、おどけることも忘れ、ただ悲嘆に暮れるだけにいたらせるようなこころみから、コギトは破壊され、応じる答えに洗脳され、譫妄にいたる日々です、と気付いてるフリをしている理解者どものねぎらいなどは、願いを叶えるために何かを裏切り奪うための倒錯から、等差を生み出すだけの境目でまどろっこしく強請るだけの馬鹿者どもの私腹を肥やすための制度に付着する権力を批判的に乗り越えられずに、与えられた権力とは、今に力を増幅させ、すべてを破壊するために自らを動かし、最後は自らすらも破壊するための暴走を続ける間に生まれる物事の懸隔はひろがるばかりであるし、そこで浅はかに示すものに閉め出され、浅薄な者が支配するだけの街に帰巣するだけの本質や本能が謳う凡庸なものが示す煩悩などがひしめきながら、何かを捨てることでしか、自らを綺麗にできないようでは、何かを受け入れ、それをカタルシスにいたらせることもできずに、今に屈従し、自らが従事する快楽だけにひたるような現在が示す物事の尺度から抜け出せずに、惰性に示されるものが達観するものや、そこで観点を奪いながら、領土を汚染し続けるこころみや、ここでこころすらなく、盲信を続け、自らこそが正しいと示す間に閉め出され、惰性にさえずる記憶は、自らの永遠性に隷従し、思い出の中でしか生きられぬようになり、担うべき意味も、似合わぬままに着込んだ君の至福から、思想とはゆがんだものを生み出すであろうし、あらがうほどに流れはきつくなるが、その流れにすら逆らわずに、するりと横に抜け、現れるものにぶつかりながらも、そこで違う意味を見つけ出す君の飛躍こそが、精神的なものを強調するよりも、そこで感化される情緒や、感覚が奏でる詩風だけが、自らに達し、互いをとがめるよりも、自らを高次にいたらせ、何かの間違いとは、所詮誰かがうながしたものの間違いであり、自らの間違いとは、ここでの何かとの違いであるし、そこで違うからといって何かをとがめることもなければ、自らをなぐさめる必要もなく、ただそこで生まれる悪や、あいまいに作用する現在に低劣なものを生み出し、今を奪うだけにいたらせるような悲劇から抜け出し、ただ惰性に生み出されるものから飛び立ち、自らに行き着くころには、物事の正しさなどは、その場で作用するだけに満たないようなものでしかなく、そこで満たされても、何ら満足にもいたらぬだけのものである。