時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

硬質な夜


 無気力が支配する深夜の壁をとりのぞき、ロジカルな路地裏に偏頭痛をかかえた花を切り取りながら、長らくに迫る閉塞感をとりはらうような爽快感をめざし、シリアスな日常に安易な呪文をうながしながら、こぼれる本質をにごすだけの消費社会から逃れ、センチメンタルな予感をたずさえた詩的な瞬間や、循環する風景にかかわるほどに、この命とはすり減ることだけに重点を置き、自らをしりぞくだけにいたるような病をうやまう君が浪費していく退屈な日々にけしかけるようなニヒリズムを昇華させるような論理を追求しているのであり、ここでの理屈などは、誰も食わないから、自らが食い散らかす孤独なファストフード店で寂寞が現れ、論証されるものなどは、すぐさまウソに変わるのであり、ここで簡単に処理されるだけの情報をうながすだけの画面を傍観することをながめる乖離した自己から、利己的な逡巡から、理想を求めるほどに、鈍磨な者に変わるようで、嘔吐を繰り返す前衛的な過去から、ここまでの空間とは、本質を消費し、何が本当かを喪失していくだけの抵抗から、ここで枯渇するだけにいたるような酩酊から飛躍すべく、鼓膜をふるえさせる音楽に逃避し、焦熱する大地は、遠い夏を補完しながら、完成されない現在を流すような雨に濡れる野良猫どもの至福を願う私は、淘汰される前に、ここで生み出されるものだけが真実を語るまで、長い月日を費やし、なぜ書いているのか?という疑問すら愚問であることに気付かぬようでは、何かに書かされているだけに満たず、希望すら生み出せずに理想に押しつぶされるだけにいたるし、ここでいたらぬものなどは、ほとんどおどけているだけである。あらがうほどに深く嵌まり込む休日の悪意が降り注ぐ善悪の是非すら喪失していくだけの過程などが生み出す修羅を越え、感傷的な稲光を吸収しては、全体主義が生み出す機械的な苦悩を駆動させるだけの苦しみなどは、誰かが操作しているだけに満たない過ちを、ここで濾過できずに、不純物ばかりを溜め込む夜に責任転嫁し、転換されるだけの自由だけを謳うような革命家は、ただ自らの意志のためだけに、何かを犠牲にすることだけを考え、何かをしたがえ、しいたげるだけにいたるような独裁者に変わるわけだし、ここで分け隔て、へりくだるだけの日々の結末に描くべき真実などは、路上で汚されるだけにいたるし、天使も現れず、神を用いて、何かを否定するだけでは、日々とはわずらわしいものに変わるし、そこでの退屈などは、解決できるわけもなく、そこで苦しみを与えるだけであるし、何かをよろこびに変えるための創造性すら欠如を生み出す結末に酔い痴れるほどに、自らとはそこなわれていき、そこから逸脱できぬから、現れる問題にのまれ、自らをそこなうだけにいたり、そこで陰る結末から、ここでとがめるだけの理想が途端に苦しみを与えるだけにいたるような転化から、耽溺を繰り返すだけの利己的な自由をうながす呪詛を繰り返すだけのペシミストとして生きるだけに補完される理由とは、そこでの自由を求めるほどに、不自由に変わることに気付かずに、そこで既読するものや、既製品にだまされるだけの結合を繰り返す惰性な身体に補完される情報を互換することだけについやすような日々などは、退屈であるし、そこで浸食するものを受け入れる限りに、自らとは外からも中からも腐るわけであるし、そこでわけもわからずに、屈従するだけにいたるような消費的な日常に適任するためだけに、何かを扶養し、浮遊感をそこない、フュージョンできずに、自供ばかりを繰り返し、ないはずの罪すら認めるような日々に容認されるものなどは、加害者としての生き方しか提示できないような倫理観などは裁きを下す限りに、ここの心身とは乖離し、理解を得ようと求めるほどに、他との違いに捕縛され、本質を逃すから、君は自由を求めるほどに、不自由であるし、そこですぐくじけるし、屈託なく笑うことを知らぬから、そこで用いられる限界に閉じ込められ、等差を用い、何かを批判し続けることでしか、自らの死を乗り越えられずに、そこで嵌め込まれる足かせのせいで、世界すらも見られないのだ、とうながす世界などは、与えられた限りの世界であるし、そこに用いられた世界などは、何かをごまかすだけの名称に過ぎず、そこで与えられたものなどは、限界を用い、何かを率い、自らを優位に演じることだけが、この世界でのあり方であり、ありがたみすらも感じずに、そこで束縛されるよろこびに敷衍していく何かを演じ続けることでしか、そこでの答えを求められぬような生き方だけが、正解である、とうながすような世界は、世界として、世界を演じることだけを追求し、そこで酔い痴れるものだけが、勝ちなのだ、とうながすような価値の家畜として生きることだけが、正しいのだ、とうながすような生き方に呈されるものなどは、今を苦しめることだけに転換されるものの中でしか生きられぬような生き方しか提示しない。そこに与えられる苦しみなどは、今に生み出すよろこびにより、観点を打ち砕き、そこで与えられた世界にあらがい、自らの自由だけを求め、エゴイスティックに行動することだけが、与えられた答えを追求するよりも、自らのよろこびに近付く手立てであり、そこで疲憊せずに、ここで用いられる昇華だけが、想定されるものや、うながされるものに反し、自らのよろこびに近付き、この夜にとどめを刺し、君だけの未来が今を照らす。