昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

吸収

誰もが夜を通過する。たまゆらにゆれ、ふれあう景色が溶け合い、愛に似たニュアンスをねたましく眺める形式から、美を抜き取り、退廃的な夢にもだえる先に季節が抱き合い、あらゆる痛みを昇華させ、純粋にきらめくネオンがまばゆく、瞬間を吸収する夜にからまり、かかわる所以から迎合されるだけの言葉がうそっぽく交わり、あらがう偏見を飛び越え、褪せる夜が恥ずかしそうに隠れる。度重なる夢が、趣旨をちぎりながら、ちぐはぐにぶつかり合う彼や彼女らが、孤独に眺める夜を縫い付け、つたない動機や、境域に撹拌された最後の言葉がハレーションを巻き起こし、到達する思いも淘汰され、戸惑う動機は、自らの孤独を敷衍され、最たるものを損ない、生じる所以が、暴かれていき、逸脱できずに悲しむよりも、擁立されたものが、物語を膠着させ、些細なことが行き違い、悲観にくれるよりも、砕かれた昨日の美しさに酔いしれ、したがうよりも、ひたるよりも、身を寄せ合い、しあわせに似たようなものに包括され、裁かれた思いが孤立し、興じる先に些細な思いが相違し、いびつな思いを形式化し、簡単に処理された思いに沈む優美な永遠だけは、印象に溶け込み、とめどないものを孕ませ、自らの痛みを即座に昇華させ、散漫な意識が、なれあうよりも、なぜ?と憂いに歪む我々の希望が、何かに偏る以前に、自らに帰り着き、戒律を作る以前に、陰鬱に沈む悠遠や、共立するものが、障害を生み出す前に、未熟な我々を救い出し、短絡的なものをかさばり、快活なものをそこない、今に啓示を与えるだけの、退廃的な主義を締め出す。自覚する前の思いが、救済を求め、さげすんでいる。あざむく記憶から、損なう動機が閉じこもり、幸福を謳うだけの陰湿なものが、今にも証明を求め、今に叱責を重ねる。引き離された我々は、邂逅を求め、都会から離れ、放たれる思いが速度を増し、誰にも止められずに、つたない気持ちを咀嚼し、想念を虜にするような、利己的なものを伝え、対峙する先で貸与するものや、道楽を重ね、奏でるものがなびき、くじけた思いが転がり、こじれる先々で退嬰的なものを持ち出し、逃避する先に持ち込まれるものが、今を閉じ込め、拘引し続ける先に色彩を失い、追憶にひしめくものが、卑劣なものに変わる。空間に埋め込まれる道理が、不自由を与える。手応えも感じられずに、寛容なものを喪失し、真理を高らかに歌い上げるような者こそ、卑屈な者であり、あいまいにからまる容易なものが、観点を奪い、猥雑に重なるものが理性を損ない、ないがしろにする習慣から、感性を奪われ、緩慢に作用するものに誘引され、操作され続けるだけのツールとして生きることに専念する。関与する夜に動機をさずけ、自らは、自由に散歩を続け、散漫な夜に別れを告げ、つくづくにせまる動機が、空間を処理し、科学的に汎用するものが、配役を決め、機械的な演技を続け、汚いものを促し、家庭的なものを謳い、奪われるだけの過程は、体たらくなものを即し、終末論などをもたらし、空腹を癒すだけの日々は、ひらひらと逃げ惑い続け、くたびれた思いは、その日暮らしを重ね、自由とは、求めることにはなくて、そこに答えもなく、思うがままに発散することで、自由であることを忘れてしまうことに混在する終了の儀式を超えて、はつらつと出迎える意識が、意識する前に飛び立ち、何かにそそのかされる前に、世界と名付けられただけのものから飛び立ち、たちまちに現れる傷だらけの君が促す思い出も、どこか尊く、どこでもない場所で、誰かに似ているだけのものに変わり、そこで思い出すものなどは、今に作用するようで、そこには、用事もなく、そこで意識をせきとめるだけにいたり、満たされたい、と促すだけのオプティミズムを蹴散らし、終焉を謳い、謀る思いに屈従もしないで、ここを超え続ける先に現れるものが本質を語る。ここで偶然に重なるものも、夜に吸収され、境目を生み出すだけの、見境いもないものがミサイルを撃ち込み、期待感を示すだけのものが、ためらいを生み出し、出し抜かれ続ける先に生み出される苦しみを捉えるだけの形式が、軽薄なものを与え、何かを考えることは、悪いことであり、難しく考えることは、狂気にいたるように仕向けるような普遍性が正否を騙り、何かをとがめるだけにいたらせるための意識に蛇行する形式が、正常を謳い、何かを妬むことだけが、正解にいたるものである、と騙る規律こそを、切り捨てるの、だ。