昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

軋轢


 記憶の旋律に運ばれる感情は、誰かを介した理由に感化され、仄かなものに注がれる情熱をたしなめ、退廃的な互換を執り行うだけの恋愛的なゲームや、構造的な気配にいざなわれ、自らの意志を直線に引き、悲観することすら、ここでは、わずらわしいものであり、そこで虐げられても尚、進む先々で対立を深めるだけの関連性や、連動する気配が、支配的に何かを押しつけ、今を抑圧しながら、しなびた感情に浪費していくだけの瞬間的な和解や、回避する感情にひしめく道理や、理解を謳うほどに負担が増していき、邁進すべき現在に現れる懸隔や、その場しのぎの言葉が今をふさぎ込ませ、腐敗していくだけにいたるような権力の野蛮さに散漫な意識は、儀式的に昇華されるために信仰を求め、そこで親交を深めるほどに、魯鈍なものに変わるだけの思想が思考停止にいたり、病を加速させるだけの現時点で大量生産されるだけの感情が、姑息なマネキンどもの愚鈍な感情を引き出すだけの流行的な代用品として現れるだけの簡単な言葉に処理されるほどにもだえる意志とは、ルサンチマンをかかえ、自らをもっともな怪物に変えるのだ、と乖離する自分がすり減り、いたわることすら、いらだつことに移行していく精神的な逃避や、統合されることだけを目的に支配を続けるような正義の理論が、理想を供給するふりをして、自らの過ちを隠すために悪を偽装し、そこで帰巣すべき事実も、饐えた香りを放ち、何かを愛することとは、そこで欺瞞を用い、絶えず模倣を繰り返すだけにいたらせるようなファシズムにおちいるべきだ、と語り続けるような神話的なほころびから、ここで跳梁跋扈し続けるだけの普遍性が述べるものなどに耳を塞ぎ、何かが犠牲を謳い、誰かが何かのために偏った思想を用い、何かからの支配から逃れるための闘争から、貸与され続けるものが用いる復讐から、複製されるだけの品行方正から、方向性とは、間違った信念を用い、理念を用いるほどに、ゆがんだ思想にいたらせるような真っ直ぐな意志は、何かを受け入れることを知らないが、何かを請け売りに気配を仮想されるだけの者に変えるような理屈よりもマシだなどと浅薄な野蛮さを加工するだけのペシミストどもがうながすそもそもの存在理由などは、理由にいたる前に自らを破壊するためのタナトスの暴走に打ち負け、自らを勝敗の中でしか測れるようでは、要理にいたらずに、この場で蓄積する苦悩にひたり、高次にいたらずに、用いられる次元と空間と時間の中で消費され続けることだけが、自らの存在の不確かさを認識するための手立てのように思うほどに、自らとは乖離し、そこで理解すべき自己とは、自らを認証するような他者を介し、そこで果たすべき義務などを謳うための愛を仮想し、悔悟をため込み、そこで罪を重ねぬような善良さを用いながら、何かを模倣し、こじれるだけにいたるような普遍的な制度の中でまかりとおるものをまがい物のままに崇めることだけが、実直なことであり、そこ軽薄に溜め込んだ矜恃などを自らの盾に変え、体制にこびへつらうほどに、こじれる先々で自己とは乖離し、そこで理解を得るために自らを捨てることだけが、あたかも、この世界での生き方のように騙られるようなものを超越すべく、すべての教育の掃きだめから生まれるようなエゴよりも強烈に迎合されるシステムを打ち壊すべきであり、ここで深慮にいたらずに、ただ敢行され続けるほどに続くものとは、自らの魯鈍さに気付かずに、自らこそが正しいとうながすほどに、そこで用いられる正しさなどは、正しさから懸け離れ、自らを正しいとするものなどは、所詮、何かが用いた理由が徒に消費するために求められる事柄だけに自らの正しさは宿るなど、とうながす者の支配下に置かれるためだけの理屈を捏ねるほどに捻転していき、自らの意思に懸隔は生まれ、乖離を生み出し、理解を求めるほどに、そこで独裁的に生み出される意思に実直なほどに、偏りを生み出し、そこで改定された規定などは、機械的なものを生み出し、改ざんされるだけにいたり、消費されるだけにいたるような正否の中で、清貧さを求めるほどに、いじらしい自己との欠如を埋めるための闘争を続け、つたない意思は、自らが排除する自らにより、暗示され操作され続けるだけに自らの過ちを加速させ、自らを不安においやる自らにより、自らとの乖離を生み出し、理解を得たいと求めるほどに、ほとんどの理由とは懸け離れ、自らを苦しめるだけにいたり、足りないものを補うための闘争を続ける限り、そこでの不安とは解消されない。