昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

連動


 連動していく意識が、星を収斂させ、ここでただよう面影も、誰かから借りたものである、と惜別する風景は、やがて、人工的なものを愛する欠如に苦しみ、みちびかれるほどに、遊蕩な者に支配されることに背反し続けることに疲れ果て、退廃的なものを生み出し、停泊する預言に引き取られる意識は、空疎なものを愛し、復元されるだけの現在に抱え込んだ閉塞感に苦しみ、密接な関わりを持つほどに現れる懸隔から、検閲を繰り返し、悦に浸るような輩が禁止するものこそが、本質的な愛であるのだ、と妥当な位置から引き取る観念がむすぶ儀式的な思いが、呪いを繰り返し、充当されるものなどは、阻めるだけにいたり、漁られ続ける意識は垂涎を繰り返し、求めるほどに欲しくなる精神は、捕食されるための餌としてしか、その存在を強調できずに、今を超克できずに、刻刻と迫るセンチメンタルなものや、ここで生み出されるメタファーにシンクロしながら、浸透する意識は、まがい物を崇め、ここで神としてたてまつるものが、自身に包蔵され続けるほどに、自らを喪失し、そこで埋め込まれるだけの意味や、そこに現れる神が生み出す姑息な気配や、そこで支配されるほどに増していく快楽が充当するものだけが、自らの苦しみを昇華させるのである、とうながす苦悩から、ここでやましいものをかかえ、かかずらうだけにいたる生死は、自らをそこないながら、出来合のものを愛し射止めることだけに専念し、真実の愛へと向かえば向かうほどに、その真実とは、現実に汚され、何も正しいものもなく、ここをただれさせ、物事を見えにくくするだけで、ここで知性を持たずに、与えられた答えがうながす義務に滞留し続ける意識は、短絡的なものを崇めることでしか、自らを正しいことのように感じられずに、そこない続ける存在を追従するほどに、今に屈従し、今に与えられる苦しみを永続させることでしか、自らの存在を確かめることもできずに、今にたしなめるものや、そこであがなうものが差し引きすることを往復する意識は、いびつな観念を形成し、寛容さを忘れ、いざなわれるままに、自らを屠ることだけを繰り返すような現実的な摩擦から、保身が生み出す面影から、思い出に加工されるだけのものを海馬がリバイバルさせ、理性をそこなわせ続けるほどに色あせる瞬間は、継続すればするほどに、そこで魯鈍なものに変わり、事実に硬直し続けるだけの現時点での僕らをうながすような懺悔だけが、自らを快癒へとみちびくのだ、という神的なまがい物から、そこで適任するものなどは、ここでの意味を迫害させ、ここでののしるだけにいたらせるような反照から、緩衝すべき愛すらも不潔なものに思うような不安定さを武器にするような退廃的な人格を形成し、物事に耽るほどに陰惨なものを愛し、あらがうほどに、何かを破壊するよろこびに耽り、気高くも残酷な者として、聖戦を謳いながら、犠牲をも厭わずに、問い続けるものが示すかたよりに寄りかかるほどに、よりよいものなどは、自らの尺度で生み出され、外から現れるものすべてを破壊し尽くしても尚、何かが足りない、と叫ぶような街角で定理などは見つからず、そこで身につくものなどは、醜いものであるし、朦朧とする瞬間に主観は定義を失い、そこで喪失感を重ねるほどに、寝返り続ける意識は、退廃的なものをかかえ、かかずらうだけにいたるような精神は敬神を繰り返しながら、長らくにとどまる意識は、あいまいなものをかかえながら、自らにそなわる女性的なものが適任していく今に敵意を見せる男性的なエゴから、迎合されるほどに、ここで蓄積されるものが生み出すノイズに飲まれ、郷愁へと改ざんされ続ける懐かしいように思える時ほど、残酷なものをこころの中で表し、そこで終わらせるためだけの形式に酔い痴れ、風景を破壊するようなものを生み出すための想像だけが、正義のように語られ、そこで傀儡のように生きることの容易さが生み出す苦しみが絶えず襲うのだ、とうながすような意識ほど、奴隷化したものはなく、そこで意識の奴隷として軌跡を踏みにじるような言葉を放つほどに、自らが腐ることを知らずに、そこでののしり、いい気になるような俯瞰から、無感覚に引き取られるものが、今をほつれさせ、そこでうながされる理由などのいっさいは、自らを苦しめるための構造を生み出し、そこで想定されるものなどは、今に苦しみを媒介させ、感情論的にうながされるものに左右され、そこで刷新されるためだけに、何かを書き換えられ続けるほどに、つくづくは、続く限りの苦しみを今に引きずり込み、そこでの苦しみを永続するための言葉を吐き出しながら、蓄積され続ける苦悩は、次なる苦しみを自らに売買する。