昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

否定的な夜


 乾いた日々に与える影響などが、永遠性をたずさえ、俗悪なものを伴侶にするだけの趨勢や、儀式的に機能すればするほどに、すべては、残像のように変わり、荷担する思いや、わずらわしい衝動を本能や、煩悩とし、途端に従えるものが、今を虐げ、姿勢を崩しながら、くたびれ思いをかかえ、混同する意識に受理するものや、そこで受難に変わり、もっともな孤独を重ね、そこで苦しむことだけが、孤独に与えられた罰のように崇めるような不安感や恐怖を越えるべく、ベクトルは、旋回する意識がたどる短絡的な衝動が生み出す焦燥感から、安易な結末にひたるだけのメランコリーのカラクリから、感動を武器に、偏るための偏向報道を繰り返し、倦怠感を生み出すためのあきらめを生み出すだけのコマーシャリズムがセンテンスを破壊しながら、しなびた意識は、どれを選んでも懶惰なものに変わり、そこで生まれる寂寞に飲まれ、自らの苦痛から這い上がれなくさせるだけにいたらせるような施しや、ほころびから、ホロコーストを続けるだけの貪婪な支配者の意志に無機質に賛同するだけの過激な理想とは、観点を疎外させ、自らの意志を誰かに預けることだけが、自らの意志により、執り行っているかのように仕向けるような意識的な虐待から、散漫な意識は、儀式的なものの低劣さに気付かずに、自らをそこない、何かと融合し、同一化を行うことだけが、自らの存在を確かにするように思わせるような相互作用から、毒性の真実を生み出すだけの多感期の衝動から、焦熱していく意識的な簡明さから、最たる意味をそこない、即席の理由で、自由を勝ち取る的な騒ぎから、散々な今日に仕向けるべき刃や、暴かれた真実から屈折した獣を大量に生み出す限りに陰る思いは、浸透する意識に入力されたものをそのままに受け取るだけの機械的なものとして、物質主義的な衆愚として、終末論などを謳いながら、高らかに歌い上げるようなよろこびを知らずに、浸透する意味が、機能を奪う。精神は薄弱なものにいたり、そこで隔離され、乖離し続ける先に帰る場所や、乖離し続ける先の闇で理性をそこない、理解すらも喪失した純粋な帰路を歩き、這いずる意識は、虚空や、上下左右すらもつかめぬような圧迫された空間の中で鼓動だけを感じ、緩慢に作用する意識的な汚穢から、負担し続けるほどにたまるジレンマや、そこで高明な景色にいたらずに、形式に備わり、過去から流用されたものだけを、真実のように崇めることだけが、何か正しいことのように差し向ける間にでたらめな意識は、緩慢な作用を今に与え、あたかも正しいことのように仕向けることのより、自らの正当性を謳うだけの比率から、規範的なものが生み出す悪が、今を朦朧とさせ、そこで問い質すことが、何か正しさを生み出すことのように思わせる間から、ガラクタに変わる真実は、フラクタルなものほど、互いを恨むものだ、と否定的な感性から生み出される創造的な独歩から静寂から何かを受け取り、聖者がうながす罪の意識などを越えて、与えられる罪などは、自らの罪にあらず、ただ与えられた罪などは、そこでの方針や規律を保つための嘘偽りであり、そこで平衡するものなどは、そこでの対立を深めるほどに、もっともな罪を重ね、罪を背負わせるために、何かを奪い続け、自らこそが正しいと示すために、ためらわずに誰かの命を奪い続けたことが、法の意識を生み出し、生み出された罪は、皆で負担し、背負うべきだ、と脅迫する。規律から迫害され、博愛などを謳わずに、悪すらも超脱し、与えられた意味に懲罰を与えるほどに、魯鈍な者を作り出し続けるようなサイクルや、システムに捉えられ、死しても尚、そのシステムの中で未来永劫、罰を与えられ続けるような苦しみを与えるだけの役目を担うような法から逃れるために、自らの規律だけを愛する。誠実さとは、そこでの誠実を晴らすためだけに、何かを蹴落とし、自らを綺麗なものに見せようと仕向け、そこで徒に消費し続ける精神は、正否を求め、応じるだけの答えに高揚感などを示し、安易に仕向けられる精神は、恩恵などを求め、終わらない闘争へと浸ることだけが、この命はなんとなく成立し、なんとなく生きているかのように思わせるような仕組みから抜け出し、そこに嵌め込まれている枠組から逃れ、能動的に生きることだけが、順応を謳い、協調するほどに、狭まる意識がナショナリズムファシズムに陥るだけの全体主義的な衆愚として終わらぬように、或いは、コミュニストとして、キャピタリズムに打ち付けるハンマーの役割として、絶えず攻撃性だけを高めるようなやり方では、自らをそこない偏執するだけにいたるし、そこで孤独に示される超個人主義的な消散やら自己の消費を謳い、自らを孤立させるだけでは、孤独をかかえ、偏向していくだけにいたり、そこで飼育されるだけの意識は、保守的なリベラリズムに食いつくされ、空洞化した意識は、何かを補完するために安易な契約を謳い、誰かを勧誘するだけのアナーキーさなどは、今に自らの権力を絶対として仕立て上げ、自らを誇張することだけが、絶えず襲いかかる苦しみに反することのように謳い出す。