昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

世紀を超え出る意志

たくさん持つ者だけが、絶対的だ、という、あまりにも退屈な考えから抜け出す。何かを出し抜くよりも、ずっと肯定的で、敵対心すら捨て去った後にひろがる景色を抱きしめるような、爽快感だけが、味方である。あらゆる形式は、物質的な余裕を持ち出し、自分を惨めな者として卑下するような悲観的な考えが及ぼす、愚かな理想よりも、創造的であるという爽快さに、近づくべきであり、用いられるものに操作され、持ち出されたものにより、利用されるよりも、自らに希望を持たせ、短絡的な自由におぼれぬことが、自らに希望を与え、そこで、屈従しないよろこびに耽るべきである。簡略化されたセンテンスではあるが、ここに用いられた理由だけが、流動的であり、逃避してもなお、自らからは、逃げないための姿勢こそを保つ。何事も、支配的で機械的な芝居を続け、短絡的なものを崇め奉りながら、自らを神格化させ、あたかも人格者のように仕向けるような正しさだけが、正しいことのように謳うような者どもが用いる理想などが、この世界や社会などを普遍的なもので加工し、自らの未熟さを隠し、何かを否定するようなよろこびだけが、楽しいことのように、崇められている。あらゆる法則が、空疎なものにすがりながら、内面的な恐怖を取り除くために快楽に奔走し、自らの結末を恐れるばかりに、何かを傷つけるよろこびに耽る。物事の仕組みや、からくりに気づいてもなお、調和を謳う者が支配的に迫り、全部、自分のもののように扱う。誰もが所有しだかるにつれ、自らとの懸隔は生まれ、そこに補完され続ける苦しみが、今を引きこもらせる。正当化されているものほど、悪を利用し、自らを、正しく見せるために虚勢を張り、見栄えだけを保つための他者との闘争を続け、世界との統合を目指すために、誰かを蹴落とすことが、しあわせに近づくものだ、という誤った認識に陥る。陥る先に現れる闇が転化させる苦しみに溺れる先に、現れた愛すら見逃し、すれ違う人々は、誰かを恨むためだけに日々を費やし、自らを裏切り続ける、というようなペシミズムが生む空白から逃れ、今に現れる健気な瞬間や、ゆれる空間にやすらぎ、与えられたものにうろたえるよりも、絶え間ない痛みを運び出すだけの日常が堅持するものが今を汚し、道理を用い、空疎な自分に行き着くよりも、栄華を求め、虚栄心をかかえ、どうでもよいものをかかげ、自らをひるがえす先に疲労感は増し、簡易なものに吸い込まれ、混濁する意識は、さらなる混乱を運び出し、自らを狂わせる。昏倒し続ける意識は、形式的なものを重ね、自らを動きにくくさせ、何かを憎むだけに費やし、悲観的な自らが示す苦しみだけに締め付けられるならば、逃げ惑い、戦うことすら拒否し、答えなどは、答えであることだけが、正しいとされる限りに、正しさは誤りを生み、対比されるだけの自らを重ね、自らの重荷に耐え兼ねずに、簡単に処理されるだけの毎日は、苦しみを与え続ける自らをも恨み出す。晴らすべきは、何かを羨むことにあるが、資本主義的なものは、何かを敵対視し、自らを正当化するために備わる善悪をもたらし、リリシズムにいたらずに、アイロニカルな者として、不快感をあらわにする。労働の牢獄に嵌め込まれた者どもが帰巣すべき正義などを謳いながら、タナトスに犯され、自らを囚人化させ、監視下に置かれた我々に自由などはないのだ、と自由な戦士が集い、日夜、解放を謳いながら、何かを犠牲に、自らの窮屈さに押し込まれ、魂胆を喪失する意識は、形式的なものにとどまり、自らを処刑する。憔悴しきる夜に降る雨は、宿るべきこころを損なった君を優しく包み、反響し続ける音が、孤独と永遠の間でゆらが、不確かな孤独が、空間を汚し、永遠性をもたらす夜が、空間に現れた時間を処理し続け、自らの虚しさを消費し、瀕する形は、互いをとがめ、対象とされるだけの軽過ぎる身体を置いていき、自分から逸脱し、自らの闇に吸い込まれていくのだ、と君のペシミズムが瀰漫する前に、不安を生み出す過程がカテゴライズするものなどにデザインなどなく、ただ、磔にされ、張り付けられたものなどが加工し続ける苦しみを引き延ばし、今にあたかも苦しむようにさえぎる言葉を引き裂き、自らの不確かさなどは、与えられた不安に過ぎず、今につぐないを謳い、用いられたもので、苦しめられるよりも、寂しさや、わびしさに攻め入れられる前に抵抗し続ける意志だけが、自らを越え出て、自らの意思だけに従う。