昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

世界が用いる枷


 利便性を用いるほどに不自由な身体を重ねるだけの愛から、定めるべき今すら見出せずに、さまよう意識的な諦観から、提要された部分から分裂していく意識は、裁かれるための罪を用い、今に一途になれずに、途端に現れる空疎なものを崇めるだけの理想が、ここで躊躇を生み、象徴的なものを捉えられずに、苦しむだけに加工された精神に気配は加工され続けるだけの今に追従し、そこで見出すものの空疎さに気付かずに、帰巣すべき意味も、機関的なものに奪われるだけの権力的な統合から、そこかしこで闘争を企てるだけの惰性な支配の拘束から、恒常的な不正を繰り返すことだけに耽溺することだけが正しさを引き出すように示す間から、空白を埋めるための愛が絶えず依存心を持ち、自らを失速させる。行動は範囲を用い、懸隔を生み出しながら、互い違いになる理想は、互いをとがめるために抑圧を繰り返し、空疎なものを持ち出し、自らに刃向かえずに、ここで迎え撃つべき今もちぐはぐになり、担うべき意味は、何かを恨むための理想などを生み、自らを抑圧するだけにいたる。あらゆる反発は、意思を利用し、自らを死へといざなう。瞬間的な愛が持続し、短絡的な消費を終え、簡単に処理されるだけの顛末になびく永遠性が、制度を越えて、秩序がもたらす空疎な悲劇から簡素なアイロニーが持ち出す否定的な陥穽に嵌まり、自らを罰する限りに、誰かも自分と同じように裁かれるべきである、という考えから、自らを苦しめるための法で加工し、猜疑心をかかえ、混濁していく意識は、支配されることだけが、この命を保ち、ここでの平静だけが、平和であるとうながすほどに、本質的なしあわせからは懸け離れ、自らが支配される限りに苦しむことにためらわずに従属する。保つべきは、自分の意志ではあるが、そこでしいたげられ続ける意思は、自分の意思を失い、何かがもたらす影響が自らに不安を与え、絶えず苦しむことになるような欠如に屠られるだけの精神は、自らを操作できずに、誤っていてもなお、そこで正しいと認識し続けるほどに補填される苦しみに補正され、奔走するほどに、凡庸な者が謳う刺激的な快楽にいざなわれ、そこで快感に浸ることだけが理想に近付くのだ、と規制されるほどに過ちを犯し逸脱するのが、人間の本性であるのに、誰もが正しいことをしようと示すほどに監視の目は強化され、誰かの過ちを収まらない欲望に変換させるために裁くことだけが、正義のように捉えられ、そこでの正しさなどを用いるほどに、自らの過ちを誰かに転化させ、自らを快楽へといざなうようなゆがんだ性愛から、散漫な儀式がもたらす悲劇的な緩衝から、疎外され続ける孤独な意識は、朦朧としながら、自らの正しさこそが、唯一の善意であるかのように示すことこそが正しさを生み出すような感覚に陥るだけに浸る正しさとは、悲観的なものが示すような尺度が用いる善悪に引きずられ、自らの意志を示されない苦しみを昇華させるための空しい正義をかかげ、自らにたてつく者すべてを裁くための法を加工し、自らこそが絶対的な正義だ、とうながすようなものが機関として働き、はびこる悪を消費するための悪を捏造しながら、自らを正当化するための祈りを続けるような独善的な神を自らに措置し、自らを神格化する間にはびこる悪を根絶やしにできずに、用いられるものすべてに憎悪を用い、敵愾心を燃やし、盲信を続け、つたない意志は、愛がなんたるかを知らずに、怒りの限りに続く攻撃的な激動に奪われ続ける純粋な精神は、ただルサンチマンをかかえ、自らを消費し続け、焦熱した先に燃え尽きることを目的に他者を攻撃し続けるような幼児的な考えから逃れられずに、ただ、目的すらも喪失し、否定的な自分に浸ることだけが、そこでの正しさへと引き戻す間に用いられる空疎な願いだけを加工し続け、自らの理想に近付くために何かを屠るような構造から逃れられずに、高次に至らずに、いたわることも知らずに、居続けるほどに、そこでの空しさを強調させ、矜恃を保つほどに、もたらされる意味に枯渇し、濾過されずに濁るだけにいたり、そこで悲観し続けるほどに、何かを恨むことだけが、健気で純粋なものであるかのように示すような敗残者として生きることだけが、綺麗な生き方のように捉えるような仏教的な隷属から、冷静さを忘れ、忘却に描く真実も、そこなわれる限りに陰るだけの真実をデカダンなものに変え、そこで固執するほどに不安は増し、そこで出来合のものを崇めるためだけに神を捏造し、自らを正当化するための祈りを続け、つたない意識は、そこで色すらも失い、色のない空を傍観しながら、俯瞰で見る自分は、空間に取り残され、時間から逃れられずに、空疎な永遠性に支配され、裁かれるためだけに行列に並び、順番を待ち続け、ペシミズムを加速させ、自らを裁くために自らに枷を嵌める。