昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

嘘の祝福


 まがい物の街を超えて、暗澹とした支配を重ねるだけの流動的な制限を加えるだけの正義から、犠牲的なものを孕ませるだけの宗教的な偶像がぐるぐると回り、古びたものを今でも大事そうに抱え込んでいるほどに、混濁していく意識は、偏りを示し、懈怠するだけの現在に浸るほどに悲観を続け、観点をそこない、そこかしこに憎悪を生み出すだけに色あせる瞬間から取り除かれるほどに、ここで補足されるものなどが、協調性などを謳い、たむろする今にリンクする意味が資源などを持ち出し、何かを疎外させるための闘争から、倒錯し続ける今に浸るだけの意味がプラトニックに混ざり合い、出現し続けるものがけたたましく叫びだし、軽薄なものを打ち立て、位置的なもので加工し、枯渇するだけにいたる精神は、制限を持たされる限りに、持ち出される意味から背反できずに、その場で孤立し続けるだけにいたり、継続する意識は、何かに充填されているようで、何かに奪われるためだけに、ためらわずに操作されるだけの軽々しい主体をかかげながら、関係を迫られ、狭い価値に閉じ込められ、混同する意識と同化していく主体は、自らを喪失し、自らの過ちに気付かずに、仮想する罪の中で、自らを処刑するような映像を延々とながめる傍観者として、自分から乖離し、理解を得ようと目論むほどに、黒々したものを主体に抱え込ませ、システムへと混淆され、自らの行方すら失い、さまよい続ける意識は、集約される意味に約束を交わし、契約の中で働きを加えるだけの短絡的な同一化から、いっさいは同調することだけに占領され、横暴な者が繰り返し繰り出す意味に支配され、そこで芝居を続けることだけが、自らを正解へといざなうのだ、と妥当に求められる位置的な魔物を生み出す。姿形を奪うだけの悪魔どもが徘徊し、相対する先々で対立を加えるだけの退廃的な受理から、重用なものなどをそこない、そこで簡単に処理されるだけの無作為の者として、醜状を加算させるだけの生産的な者が示す不一致から、いっさいはデータの中で強調されるものだけを伴侶として出迎え、加算され続けるだけの意味に朦朧としながら、邪推している今にさかのぼるだけの過去に慟哭しながら、しなびた意識が改ざんする正解により奪われる精神は、敬神を続け、自らを恨むためだけに神を捏造する。はじまりは、まじわることもなく、ここではじまる意味すら知らずに、何かを創るために高揚していた。あらゆる阻害を生み出した論理から、利己的に補充されるだけの生命が仮想するものへと偏執し続けるたびに、死への恐怖を利用し、何かを排除するための起源を生み出し、あらゆる神は、ひとつの意味からはじまったはずなのに、自らを排除するためにひとつの神は多様化し、統制されずに、自らの満足を得るための戦争をはじめ、はびこる悪意に罪をかぶせ、犠牲を謳い続け、終わらぬ意味に省かれた者がルサンチマンをかかえ、憎悪を暴走させ、短絡的な破壊へと一貫した破壊だけの正義を強調し、自らこそが、正義であり、神の代弁者であり、神をも超える者である、と思い違いを生み出し、自らを崇めることでしか、神を超えられずにいるから、そこでの神に利用され、自らを率いるべき自己を生み出せずに、何かを恨むことでしか、何かを超えられずに、自らを抑圧させ、自己に同調し、何かに同情し、同じ涙を流す者だけを信用すべきなどとうながすような軽薄さを用い、誰かを騙すことだけに専念する。信じるべき自分も持たずに、用いられる原理は、あたかも正しいことのように、正しいようなものを示唆し、誰かの言葉をあたかも自分の言葉のように語り出すような正義などは、今まで継続されたものの中でしか、その正義の役目を果たせずに、善悪を捏造するだけのルサンチマンどもが閉塞感に耐えかねずに、織り成した今に刺し違えるだけの偽善的な猶予を授けるためだけのためらいが生んだ悲劇を加工しただけに満たないような汚い正義の中で孕む犠牲こそが、清く正しいもののように崇められた途端に、誰かの苦しみは加工され、自らの品位を保つためだけに、ためらわずに悪を捏造することだけに専念するような捻転を繰り返し、自らが生み出す偏りにより、カタトニーにおちいり、自らが苦しむことで、よりよいものが生まれるなどと惰性に苦しみを生み出すような機械的なアンサンブルが続き、デカダンスを加速させ、自らのアイロニーにより畜殺などを叫ぶような破壊的なペシミストどもが追加した意味などで偽装されるだけの今に平衡するものなどを謳うだけの保守的な理想から、理性をも駆逐するような破壊的な整合を謳うだけの馬鹿どもの至福のためだけに、加工された法の中で畜生に成り下がるよりも、用いられるものすべてを超越するために調整する者どもを蹴散らす。肥だめから生まれたような論理が、私腹を肥やすために誰かを責め立て、自らを利口な者として崇めさせるための目覚めなどを謳い、贋物の覚醒が芝居を続け、あたかも超越に浸るためだけの理想へと帰巣し続けるほどに、自らを超え出られずに、自らの中をさまよい、偏りを生み出し、そこから抜け出せなくさせるための斡旋を続けるだけの洗脳をかけられ、自らを無いものように示すことだけが、そこで存在しているかのように示されることからも閉め出され、自らを破壊するために充当する暗示をかけられ、自らを喪失する。