昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

ひしめく言葉


 すごい形相で世界をにらみつける君の神秘的な解像度にひらめきと痕跡を残すだけの世界の胃の中で真相解明されるものなどは、答えを用いるだけの退屈に悲観をぬいつけ、あたかも悲しいように示すような愛などが、愛と呼ばれ、一途に何かを愛することすら平気で捨てるような現代的な空虚感に磔にされた君は静謐の彼方で理論的な相応と、構造的な排除を謳いながら、長らくに迫るセンチメンタルな雰囲気に解除されるだけの公平性から、平衡を謳うほどに偏るのが、この世界での普通であり、そこで平等を求めるほどに、誰もが差別的な変換を繰り返すための反復から、干渉するほどに、形跡を汚すだけの生活から、芸術性は、制度の中で膠着し、あらゆる創造性は、普遍的なものに統合され、正常を用いながら、秩序や倫理の彼方で自然性をそこない、そこで境界を生み出すほどに、普遍性とはそこなわれ、そこで普通とされるものに苛まれるほどに、真実や自由などはそこなわれ、そこで仮死化するだけの日々に加工された自己を幻想の中で惰性に行き来させるだけに終えるような日々に空虚さが溜まり、超巨大なニヒリズムに変換されるだけの自己を傍観し続ける自分をシステマチックに処理し続けるだけの官僚制的な性的な制圧から、圧壊した精神は、悲劇を加工しながら、ゲノムの中にまで苦痛を浸透させ、次の人類にまでダメージを与えるのだ、と井蛙な者が閉め出すだけの意識的な苦痛に共助し続ける法の中で善悪を示すだけの欲望を変換し、顕官が生み出す劇薬のインクで落書きされただけの現実などに消費される精神は、敬神するほどに、全体主義的に消散されるだけの定めに悔悟をため込みながら、自ら生み出す罪により、憎しみを加速させ、ルサンチマンに変化し、自らを殺めるための祈りをし、織り込まれる憎しみとの対峙を続け、互いをとがめるだけにひたり続ける苦悩が擬態化し、加算される苦痛に処理される日々は、憎しみを変換し続けるためのシステムとして強固なものになり、担うべき意味に希望を持たせずに、ただ、何かを処理し続けるために、恨むための対象を作り出す。

 制御不能におちいった行政が生み出す階段をのぼるための日々は退屈に極まりない、と回線を混濁させるだけのあいまいなマインドは、何かを破壊するだけで、何も生み出せずに、何かを否定することだけが、自らを癒やすのである、という偏執した意識などは、すべてペシミズムに毒され、自らこそ正しいという誤りを正せずに、過ちをとがめるだけの理性をそこなった怪物どもが支配することに従属するほどに、補完され続ける憎悪が高尚をそこない、善悪の表に支配され続けるほどに懈怠する精神は、軽薄な信仰にひたり、作り物の神や、張りぼての神を自らが作り出し、神格化された人間が作り出した神を信仰するほどに空しさは昇華されたように思えるだけで、そこで信じている自分を信じることを忘れているのであり、あらゆる真理を持ち上げ、自らをそこなうためだけにためらいを生み出す空疎な信仰のコードで上書きされただけに満たない現在に絶えるだけの理想を組み込むための帰巣を繰り返す意識は、偽装され続けるほどに偏執していき、義務感に追われ、観衆に答えるために演じ続け、自らを消費することだけに専念し、自らをねじ曲げてでも、何かを同調することを選ぶほどに擦れは生まれる。

 ここに現れ、あてがわれる正否や生死を超えて、陰鬱な因果を超克すべく、統合されるだけの日々が示す正常さなどは、そこに用いられる差異が示す正しさだけが、示す正常であり、理性をそこなった者が示す快楽的な段階が生み出した政治的な正否から、啓示された者だけが、正しいことを語るのだ、と騙るような全体的な世界が示す暗澹とし、澱んだ答えの中で垂涎する者だけが、正しい物事を設立させるのだ、というあいまいな正しさが示す正しさなどは、答えを撒き散らす汚穢にすらいたらずに、自らの汚さを隠すために何かで偽装し、自らを正当化するための答えを吐き出しながら、次から次に何かを汚すことだけに専念することだけが、何かを正しくするのだ、という誤りに気付かずに、起動されるものだけを捉えることだけが、正常であるように示すような機械的な改ざんから、感覚をそこない、流されることだけが正しいことのように示される間に迫るアイロニーや、そこに生まれる隘路によりさまよい、ふさぎ込んだ感情が混濁する意識的な誤りから、精神的な相続を受け取り、あたかも正しいように示す間に生まれた正しさなどは、ただ、何かを支配し、制圧し、自らの私腹を肥やすための理想を、今にあてがい、あたかも正しいように示す間に生まれる絶え間ない怒りを生み出すだけの理想などは、理性などは持たずに、諸元から現れた膿を漁るだけの貪婪な者として成長し、反旗を翻すために快楽的な破壊の段階へと上り詰めるだけのオプティミズムが横溢させる自由などは、自由を利用し、何かを徹底破壊するための理想を供給し、過剰になった精神は、自らを止める手立てすらそこない、何かを破壊することだけが正しいもののように崇めることだけが、正しいことのように扱われるようになったことが、今に永続している。