時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

嬉々


 どこまでものぼっていくような感覚だけが、私の味方だ、と快楽に浸り、今を堅持するような予感から、放たれることが、自由への一歩だと妥当な意味に導くような観念をしりぞけ、そこで保たれるものなどは、そこで補完されるものを運ぶための連立へとみちびき、短絡的な支配から退廃へとみちびき、そこで陥落するのだ、とそこなわれていく自由に興じるだけの運命論的な疎外感から、散漫な意識が低劣なものへとみちびき、おおのくだけの感情は、苦悩へとみちびかれ、自らを裁くだけにいたらせ、緩慢な形式は、現在に形骸化し、はびこる悪意を充填するのだ、と性善説的なアクメが多幸感へといざない、自らの快楽をひたかくしにするだけの普遍的でルサンチマンをかかえ、嫉妬心に燃えるような質素な生活こそが、いちばんの退廃をむかえるのであり、そこで権威的に支配するような普遍性などは、制度の中で契約をむすぶために形式的なものを崇め、自らを神に近づけるのだ、と加算される原理を兼用するだけの馬鹿者どもの卑屈から、権限は生まれ出るのであり、そこで理性を保つべきだ、とベクトルを正義へといざなうような正義などは、悪意を捏造し、そこで熱望するするだけにいたる趨勢から、枢要なものなどを整容し、アドレスに変換されるだけの人間性などが、制度をつくりあげる限りに、そこでの懸隔はひろがるのだ、と惰性にみちびかれる君のジレンマが時代性をうながし、損得で測ることから、善悪が生み出され、達成されぬままに、そこで朽ち果てるほどにむすばれる公約から、締結するだけに終焉を謳うだけのペシミズムの嗚咽や、空疎な議会に充満する退屈なリズムが執り行う時代の血合いから、知性のかけらも無く、ただ、儚く散る過程に理想は散るアウトをめざし、互いが問う愛から悪は生まれるのだ、と革命的な呪詛に酩酊するだけの短絡的な快楽を解体するためにひろがる妄想から、虚栄を保つために、共存を謳うだけの堕落したフラクタルなものから、ふしだらなものが生まれるのだ、と簡単に処理するだけの独裁的な主観から時間論的な監獄に入れられるだけに嵌め込まれる意味にがんじがらめになる君の失意などは、死の質を謳うだけの原理的な偏在から、そこで孤立する憂鬱に耐えかねずに、たれ込める体系的なものに退嬰的になるほどに、原始的な理論を捨てきれずに、そこでステイするだけの意識の中でストレスを溜め込み、そこでひずむ意思は、陰鬱なしあわせを求めるために同調し、そこで同情されることを求めることだけが、元手を取り戻すための秘訣を謳うだけの金言が用いる期限を打ち砕くのだ、とマルクスは、末端にひろがる悪意の意味を知らずに、物事をうやむやにし、自らをうやまうための反抗を用いる限りに、充填した意識は、形式的なものを、ただ、破壊するための技術を養うための理論を形成し、そこで何かを軽侮するだけの連中から、冷静さをそこなうための連帯感を用いる堕落した主体性をフラクタルにするだけの連中は、相互に補完されるものだけが、そこで保たれるものを愛でるのだ、と兌換されるものに果敢に挑むことを忘れた亡者どもの卑屈から、観点は組み込まれるままにままならぬ権力を率い、重用なコードを破棄し、ハッキングされるままに受け入れる軽薄な身体を破壊するためのコードを悪用し、林立する風景が刑罰を加えるだけにいたらせるような体制的な通過から、加算される義務から、犠牲的な何かにとがめられるほどに、魯鈍なものが循環し、そこで受難を用い、何かを罪へといざなうだけの代償的な定義から、アパシーな者どもが徘徊する何も無いだけの今に疎外され続けるほどにみずみずしい何かは、しいたげられ、そこで疎外感を溜め込むほどにおちいるテロリズムから、そこでの抵抗に過ちを生み出すだけの誤りを正せずに破壊へといざなうほどに、補完される儀式的な刑具と化するだけの者どの理屈などが通過し、そこで加算されるものだけが、自らを包括し、確かなものへといざなうわけもなく、ただ、導かれるほどにゆがむのが、人間というものであり、そこで用いられるものに利用されるのが人間であり、そこであるがままに受け入れるだけの緩慢な人間から人間を疎外するための理論は形成され、そこで軽薄に組み立てられる体系こそを破壊すべきであり、そこで用いられる言葉のまやかしを解き明かせずに、何かを信じているという哀れこそを同情すべきであり、そこで同化するほどに、堅持する意味をかかげ、自らに偏りを示す値から、そこで示されるものに閉め出される恐怖に震える君は、何かを信じることで、自らをごまかし、孤独の恐怖に耐えかねずに、猛々しいフリをして、そこで示威するほどに、意思とは衰弱し、脆弱化し続け、つまらぬものをかかげ、自らを独裁者に変化させるだけにいたらせるような構造こそを破壊に追いやり、自らを貫くことだけが、自らを形成し、そこで正しいとされるものに反してこそ、自らを女々しいモニュメントに変えずに、そこでの異物感をかかえたままに、自らを立証し続けることだけが、自らを正しいと認識するだけの体たらくな互換を執り行うだけのギミックを砕き、自らを聳立させ、自らを正しいとうながすよりも、自らがあるがままにそなわることを受け入れることだけが、正しさをも破棄し、用いられる自由に関するよりも、そのままであり続けることだけが、そこでの価値を打ち砕き、自らが企てるものだけが、自らを正しくしようとも思わずに、そのままを受け入れる。