昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

抵抗を続ける存在


 刹那に巻き込まれるものに混濁していき、のびのびといきいきとしていく瞬間に流れに乗るよりも、反発し続け、まにまに抵抗を加え、形容されるものなどは、そこに形有るものと有する価値に強請られ、自らをそこなう限りに陰る本質に流出していく神経的な疎外感から、角膜に浸透していくイメージや、隔壁を生み出し、精神を疎外感で往復させるだけの幼児退行的な発散から、発信されるものに疎外され続ける精神は、軽薄なものを信心し、自らをそこなうことだけにたぎる症状に固執し、不安に追従されることだけを目的にプログラミングされ続けるものだけに方針を奪われ、交信し続けるほどに、自らを魯鈍なものに変化させ、そこで変換されるものが懸隔を生み出し、継承されるものや、そこで迎合されるものへとおとしいれられ、濫觴するものに緩衝するほどに、関係性とは、制度を含み、そこに軋轢をもたらし、関係性を壊すのであり、そこに備わった愛すら、関係性を破壊するためだけの暴力性を用い、制度が用いる流動的な更新から、理解を得るために自らの保身だけを法則的な加工するだけの絡み合いから、感情的な聡明さを求めるほどに、とめどない苦しみを測るだけの尺度は、しおらしいものを汚すためだけに、とりとめのないもので拘束し、恒常的な倫理観を前衛的なものに植え付け、普遍性が芸術性を壊し、そこかしこに制度を生み出し、はみ出す者をゆるさない、と裁きを下す間に緩慢に作用するだけの理由が理屈を捏ね、寛容さをそこない、浩然たる様相を失い、そこで優越感などを求めるためだけに統計学的な支配から、生成される真実や、証拠を引きちぎるための卑近な者の隆盛から、高尚さを持たずに、安心感を得るための闘争から、そこで操作され、錯綜する自らの現実感をそこなわせるための夢幻の時折にひずむ時間との兼ね合いだけを求める駄犬のように惰性な出力を得て、動物的に寄り添い価値や、過失をよぎらせるだけの裏切りの構造から、ぶしつけに迫る論理こそをこしらえられる前に、漉すべきだ、と改ざんされるだけの過ちは、アイロニカルな逍遥を続け、つたない意識に破壊的な制度を植え付け、衝動的に本質とぶつかる限りにかぎりあるものを、延々と生産し続け、無限性へと移行するための出現を繰り返す回想する数多の自己との乖離から、邪推し懐疑的に浸る現実性を誇示するための制度から旺盛したものなどは、過去を引きずり、延々と卑近な者が示す官僚的な義務化から、改ざんされるほどに、ここで介在する意識は、存在価値ばかりを求め、対価を求め、ねだりねぎる権力者を引き裂くための論理を硬質なものに変換させ続けるようなイメージから、淫蕩なものが出動しては、自らの苦しみを補填するための戦争を綴る意識的な物語に感性は補完されるものに緩衝するための寛容さを取り戻すべく、諸元の愛へと戒律を用いる前の純然とした愛へと硬化していくべきであり、存在とは、そこで恒常的な硬さを取り戻し、のっぺりとした空間を自らの重みで破るような重さを蓄えるべきであり、そこでとどまるための軽薄さが形容する軽さに加工される存在などは、以前の価値を受け取るほどに、そこで請け売りに受け入れるほどに、補填される苦しみの淵源にまじわる始まりから、延々とエンドロールをうながすだけの他者から借りた物語や映画の中でカタルシスを求めるような他者を介した出現から、かもにされるだけに至るような敬神に浸るだけの契約的な者が補正され、整容を強制される間に愛憎は俯瞰を汚し、形骸化する意識は、他者から借りた破壊衝動で商品価値を壊すのだ、と妥当な位置から引き取る悲観的な価値は、カタルシスを求め、懐疑的な日常に配される毒素をかき消すために形成されるものなどは、ここに論難を用い、能動的に抗うことを知らずに、そこで鬱積するものや、退廃的な支配を求め、目的に追従させるための同調から、同情へといざない、何かを見下すことだけが、自らを高める方法論のようにうながすような啓蒙に至らぬような自己啓発的な軽薄さや、そこでうながされる損得が打ち出す金言から、起源をそこなうための行いが、応じるだけの答えに惰性な性差を用い、掲載されるものだけを崇める情報が生み出す常套句から、常用するほどに、依存性が増し、ばらまかれるプロパガンダの優秀な機械とした、優劣を決め込み、誘導されるほどに、自らとは強化されるように思い違いを生み出し、奪われる観念は、今に暴かれ、倍増していく憎悪は、そこでプログラムされたものにしつこくつきまとわれ、慢性的な痛みをかかえては、改善されずに、今に照合されるものや、証拠を生み出すものだけを本質として捉え、そこに現れる満足だけが、自らを満たすのだ、と見くびるほどに、女々しいものを崇め、自らを神格化し、人格否定を続ける他者との最終戦争から、鮮明な価値すら、そこで鮮度を失い、即座に腐るのであり、空間で処理される現実などは、今に返事すらも与えずに、自らを放置し、葬り続けるだけに至り、そこで蝉蛻し続ける限りに潜在的にそなわるものなどのいっさいは邪魔なものであるし、自らをとどめ、そこで補完されるものに互換されるような者に陥るための儀式を終えるよりも、自らに行き着き、そこで昇華し続けるような創造性だけが、制度を打ち砕き、自らに戒律を生み出さずに、自由を求めずに、そこで狂おしくまじわるほどに、はじまりも終わりも同じところで充填されるために待ちわびるような退屈に理屈を捏ね、何かに固執するほどに、はじまりも終わりも、応じるだけの答えに偏りを示す。