時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

独唱


 お菓子みたいな世界にしたい、と彼女が偏執狂的な考えを捕食しながら、利便性を求めるだけの考察から、交換されるものがあらがい、あわてふためき、自らの心情を透過させるためのベクトルを、世界に求めるほどに、世界とは、はしたないものにみえ、そこで冷え冷えとした感覚を捉えるほどに、おびえる彼女は捕食者にねらわれ、無神経なものが網羅するモラルから、金銭的な欲動から、動機を不純なものに変え、そこで浮上すべき美麗な瞬間とは、美徳を謳うだけの宗教的な者が迎合する正義へと歓迎され、自らを正しくしよう、と思うほどに、正しさからは離れ、行き過ぎる思いは、そこで行き違いを生み、思ったものとは違うものになり、今にちぐはぐになり、ぎゃしゃくした思いは、何かに釈明を求め、何かを恨むための機能を育てるだけの惰性な考えが及ぼす悪意を偽造し、簡単な正義が関連づけを行い、今の行いを正すべきだ、とののしる間に思考停止に至り、考えに及ばないものばかりを装置的に産み付けるだけのエイリアンどもに食い尽くされる忘我の果てで、自らの空虚な身体を傍観する離人的な焦熱から、焦燥感に狩られ、衝動的に執り行う儀式的な過ちから、誤りとは、今に正すべきものを裁断し、あらゆる理屈で、放射的に迫る現時点に刺され、自らの痛みすらもそこない、そこかしこで憂鬱なものを誤読するための過ちを加工し、品位を謳う均一な奴隷たちは、立場に倒立しながら、保たれるべき均衡を逆さに見ているし、やがてうやまうものが、うらやましいが故に、何かを傷つけるための利己的な商法を生み出すのだ、と互い違いになる精神構造が過ちを見つけ出すための機能を強化し、自らを機械的なものに育て上げ、物質的なものに鞭を振るわれ、ふんだんに苦しみ、運命を恨むべきだ、とベクトルがルサンチマンにより操作されるほどに世界との軋轢が生じ、散漫な意識は、形式的なものに居場所を求め、自らが求める自由とは懸け離れた監獄へと措置し、総意を謳うほどに、問題からは懸け離れ、ただ正しいものを崇めるためのトリックにより、犠牲的な者を大量生産するように仕向けるようなシンクロから、信号とは、永久に青に変わらず、永久とは、その場で自らを駆逐しながら、自らのレトリックにより、進化を隔て、先に進むことは、愚か者がすることなのだ、と植え付けられたキャピタリズムの中で色が無い者が示す際限から、逃れられずに、断崖絶壁に立ち尽くし、自らを投身させるように仕向けるような誘惑に耐えかねずに、体系的なものにそぐうためのあいまいな割礼から、還元されるだけの偽装された婚姻から、根源を燃やし尽くし、焦げ臭い日々を徘徊する落伍者として、風景にそぐうように仕向ける自らを超え出られずに、拘引され続ける意識は、罪を待ちわび、罰を与えられるよろこびにふるえるようなマゾヒズムに変化する。あらゆる対流にゆらぐ不当なものとの不一致を謳う独善的な彼らは、考えを無くすことがポジティブなものであり、何かにうながされるままに流されることだけがしあわせの近道だ、と誓いを交わすために猛毒をも飲み干し、自らが少しずつ弱る様子を観察する籠の中で苦しむ様子を楽しむ違う世界の住人として傍観し続けることだけが、よろこぶことも悲しむことも、どこかに放置し、そこで加減を生み出すための法理に囲われ、自らを退廃的なモジュールとして育てるための教育が対価だけを望み、そこで機能する記号として育てることを目的に憎しみを倍加させ、物事を美化するためのシステムで加味すべきものなどはなく、ただ味気なく時系列に掴まる羽虫のように時代にうずくまり、ただ過ぎることだけを目的に惰性にみちびかれる者どもの理屈に卑屈で変換するような現在に須要なものなどなく、ただ現れ消え去るものだけが、ここで確かなもののように成立し、そこで正しく変換されるものだけが、懸隔を生め、対立しているものに平和を宿すのだ、という誤りを正すような神すらも、何かに利用され、最たる意味を放置し、ただ崇めるための理想は、理性をそこない、ただ攻撃的に至ることだけを目的に多目的に恨み辛みを吐き出し、代償を求め、解消されない痛みに嫌気がさすのだ、とうながしながら、自らを同じ過ちの奴隷として育てるためのインプットをほどこし、そこでためらいを生み出し、来訪するものを拒否し、悲観し続ける生命は、制限をほどこされ、自らを止揚できずに、何かに使用されることを目的に、何かに隷従し、従い続けるほどに、自らとは装置と化し、過信を生み、韜晦し続ける本質的な善良さは、見栄えを良くするための利己的な装置として働くことにより、自らの善良さとは、悪意に変化し、何かを出し抜くための欺瞞を続け、満足を求めるための不満足を作り出し、負担を軽くする、と謳いながら、奪い合うことだけを目的に余り有るものを奪うための理屈を生み出すための装置として、理想を強固なものに変えずに、何かの代用品として、何かを扱うことだけが、そこでの正しさを揺るがし続ける。