時を乗り越える獣

時間を超える意志的な現れ

心音


 その場に現れるもの、敗残し、その場でかたまり続ける者が問い質すものなどは、ジレンマを生み出し、今を阻めるだけだ、と妥当な問いは、答えの中でしか意思を旋回させ、何かを求めるための憂鬱から、時代性に悪意を見出し、はみだしては遊蕩を繰り返し、偶像崇拝を続け、求める情報から、そこで語りかけられるものへとカタルシスを求め、自らの孤独を癒やすために、何かを騙すような手立てから、惰性に企てられる退嬰的なものから羊飼い、と家畜から現れる埋まらない溝から、そこに愛はあるのか?とうながすほどに愛とは懸け離れていくものであるし、そこで消え入るものとは、そこでしか機能せずに、ただセンチメンタリズムにひずむリズミカルな衝動も、離人的な風景に消えて、自らの経路を汚し、形骸化する意識はスキームに犯され、自らの位置を測るための数理から利息を支払うための原理へと記号化するあいまいなマインドは、毎日に偽装される本質を呪うことでしか、自らを動かすことができずに、画期的な意味をつかもうとしても、そこでつくづくとは、何かに偏り、かたまり続ける自己を毛嫌いし続ける君は、意味の中で懐疑的な衝動から、処方されるべき優しさを求め、絶え間ないまどろみで携帯するものだけを大切にするようなスキームでしか働きを加えられるようなフォースから、奮闘するほどに泥沼にはまり、はびこる悪意は、提示される意味へと兼用される義務的な毎日に帰巣するためのリリックを書いて、改札口に立ち尽くし、自らの闇へと引き込まれるための電車に乗り込み、混濁する意識は、儀式的な昇華をめざし、神を偽装する間に背反すべき言葉をかけても、その場で懸け離れるだけの意味は、はびこる悪意に飲み込まれ、自らを善良な者になろうとするほどに、思ったものとは違うものに成り下がり、内面的な史実にからまる時代的な猶予から、強要されるだけの意味に飲み込まれ、今にも欺瞞を吐き出し、破壊的な衝動は意思を徘徊し続け、つたない意識は、いびつな観念に偽装されるだけの本質へと規制され、陰鬱な照合を反芻し、配備される意味に充当されるものを重要視し、鮮明な意味すらつかめずに私怨を生み出し、憎むことでしか、世界と自分との両立を行えずに、横溢する瞬間に持続していく苦痛は苦悩を生み出し、体制的なものに取り込まれ、固執し、邪推しては、システムの中で堅持するものに献じる意識は、心象の彼方で描く印象派の絵の中で解体される深夜にもとづく耽美にふれ、敷衍する景色は、形式的なものを取り込みながら、普遍的に描かれる枢要さをまとい、そこでの正しさに帰巣するほどに記号化する安易なプロセスを流用する資本主義的な偽装から、偽計を繰り返すほどに、何が正しいかすらも見失うためにカスタムされた番犬へと、ナンバリングされたサイボーグよりもサイボーグ的な者としてもんもんと繰り返す義務的な要素に移行していくプロセスに迎合されるだけの意思、何かに操作される限りに増していく快楽に懐疑せずに、ただ与えられるよろこびだけを自らのしあわせとして受け取り、利得を求めるためだけに何かをためらわずにツール化し、自らを過信し、何かを監視し、介する間に理解を含まずに、ただ自らのために利用するもくろみから、問答を繰り返す利己的な経路に迫る暗鬱な衝動だけが動機を不純なものに変え、未明に消え去り、去りゆく形式に迎合されるだけのものが本質的なものを利用し、あらゆる原理を大義にしては、何かを破壊するために仕向ける。季節は時代に軋轢を加える。空疎な関係に還元され、成立していくものがセンテンスを引きずりながら、卑近な答えをまとい、退嬰的な者として批判的に捉える間に乗り越えるべきものも、その場でたまり、自らを動けなくする間に強要されるものが点と線を結ばずに、与えられるポイントから逃げ惑い、そこにとどまることの愚かさに気付くころには、そこで求められたものなどは過去へと消え去り、そこで押し悩んだことすらも、ことごとくに消え去り、さいなむよりも、際限無い今に悟るものすらもなく、求めるほどに、ここでとめどなくあふれるものだけが、ものがたるものが確かなものを採用し、最たる意味をつかむよりも、そこで突き放すような自然の摂理的な発想から、排斥されるだけの過去の中での孤独などは、そこでの孤独を懐かしむだけであり、そこでシミュレーションされるものなどは結果に運ばれるだけのものを想定し、そこでの過ちを過去に帰らせるためのためらいを生み、自らを不自由にし、何かを囲うことでしか、自らの存在を確かめることすらもできないの、だとうながすよりも、ここで囲う存在などは、どこに介しても確かめる必要性もないものであるし、その場での存在などは、ただ瞬時に利用され消え去るための存在であることをせいぜい認識しているかのように思える程度のものであるし、そこで加速していく時間に老い、現れる時間に飲み込まれ、自らの愚かさを再認識させるために絶えず迫る鬱々としたものを確かめる程度の働きしか加えない。