昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

浄化作用


 世界自体がかかえる痛みと和解し、論理的な漁られるだけの彼方に憐憫を掛け合わせるだけの罪の意識などを排除し、どれも肯定的に乗り越えられるために絶えずドレスアップされ、リリカルに縫い付けられ、消耗させられるだけの儚さなどは、理性を保てずに、何かを出し抜くために何かをおとしいれる技法だけを習得し、そこで損得を測るためにいぶかり、手懐けられ、論理の天秤にのせるために絶えず進行する意識的なものを引きずるほどに魯鈍なものに変えられ、緩衝できずに対立を続け、つたない思いは、因果に引きずられ卑近なものに変化し、そこで用いられる善悪に左右されるほどに用いる罪の重さは計り知れないほどの痛みを送り込み、自らを放置し、論証される隙間に色彩を失い、性質を損なうためのためらいから、退廃的な呪詛を続けるほどにつながるものの法則に関わり、自らを解消できずに、対象とするものに預けられるだけの精神は、生死の境目を泳ぎ、徘徊する自由の中で破壊的なものを持ち寄り、何かを壊すほどに増していく快楽こそが道理へとみちびき、自らの理に築かれるものを傷つけながら堅持し、誇示するものだけが、物事の本質を称え、自らを正しくするようで、正しくさせられるだけに至るような原罪にもとづく迎合されるための答えを引きずることにより、絶えず寄りかかるものに価値観を奪われ、仮死化する精神は、憐憫にもとづき、何かと同調し、同情へといざなうものだけが本質を確かに捉え、よりどころを与えるほどに法則に偏りを示し、与えられる影響を迎合するほどに原動を操作され、あたかも自らが働きかけ肯定的に乗り越えるのだ、というジレンマから退化し続ける精神は、対価にもとづき何かを裁くことだけを目的に善悪を働きかけ、動機に不純なものを措置し、配される間に多目的に生まれる愛により敗残し続ける善悪にたぎるものが互いを清め祓いを用い、もたらされるものに罪を背負わせ、犠牲を用い、儀式へと昇華されるための生贄として現時点に注がれるための悪を捏造し、増幅する憎悪や、幸福を謳うほどに懸け離れていくしあわせを追い続けるために老いることだけが正解へと導くのだ、とうそぶくだけの性善説から、善悪を用いずに、ただ悪を利用し、自らの正当性を施すための性悪説にアクセスするだけの暇人どもの窮屈な境界線に持ち寄られる善悪の是非などを是認するほどに自らの正しさからは懸け離れていき、ただいじらしく提起されるものに託される正解などは、世界性を濁すためのためらいを謳い、物事を体系化し、体制へとこびへつらうための架け橋をつなげ、そこでつながれたままの飼い慣らされた意思は、何かを従え、しいたげるためだけに対するものを用い、何かを批判し、否定的に乗り越えようとする限りに正しさとは偏りを示し、そこに現れる正しさなどは、ただ偏りを示すためのコードとして行動に圧力を与え、自らを抑圧する限りに現れる快楽の傀儡として、あらゆる消費的なものに引っかかるための商法を生み出し、独占的に示され、閉め出されたら最後だ、と騙る者どもの至福などはしあわせなどにはみちびかずに、何かを枯れさせるためだけに対立を深め、終わらぬ軋轢から相対する先々で関連する状態に従属するための存在として、存在の軽さに持ち寄られる物事の重さに耐えかねずにタナトスに身を捧げるだけの人間的な終焉から周辺とは、汚穢を謳い、用いられるものすべては、汚れているものだ、と提起するほどに、定義は狂わされ、定期的に現れ帰任するものが着込んだものを着せられ、自らを着せ替え人形に変えるだけの倒錯から、淘汰されるための人間として、しがらみを敷衍させるだけに人間的な修復や、祝福を謳うだけの安易な神の化身が敬神するものなどは、物質的なものに寄りかかりながら、物質的なステージにのぼり、自らを高みへとのぼらせるような思い上がりを自らに生み出し、措置されるだけの自由にがんじがらめになり、担う意味など似合わぬのに、自らを正しいもののように着せ替えるためのものを崇めるほどに魯鈍な者に陥り、自らを物質化し、対価を求めることでしか、その存在価値すらも測らぬようでは、人間的なものにとどまり、超越を謳うほどに、魯鈍な者に変化し、用いられる善悪に作用を加えられ、自らを加速させているようで遡及するだけで、正しさを引きずり、過去から引き出すものにより卑近なものを抱え込み、混み合う意識は、何かを崇めることでしか枢要なものを見出せずに、脱線する精神が逸脱を続けることにより現れるよろこびを知らずに、そこに現れるものだけを崇めるために神秘的なものを捏造し、真理を牛耳り、共感を得るために普遍的な平静を装い、動乱へと導くために寂れた形式を用い、簡単に処理される奴隷と化することだけが、よろこびへの最短距離である、と形成されるものを描くだけの自己満足から紙幣的な自己啓発の軽薄さは、哲学に至らずに、自らを正当化するための張りぼての鎧を着込み、機関的なものに従属するための体系的なものに差し込まれるためのプラグとして存在することだけが、よろこびに導くのだ、と快楽の傀儡どもは大声で叫ぶことの羞恥心を知らずに、自らを正しく保つことだけが、清潔であり、この生活を快活に変えるなどとうそぶく馬鹿どもの鳴き声が反響し、重複し、氾濫している。