昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

怠惰


 空疎な自己を取り巻くロジカルな現状に困窮していく存在は、自らの価値観をたしなめるばかりで、確かなものなど推考できずに、そこですぐさま消え入るだけの本質から、適応できずに、敵意を剥き出しにし、憎むことだけが、ここでの正しさを扇ぎ、何かを示唆するのだ、と段々と迫る幼稚なリズムから、理性をたずさえずに、ただたむろするほどに遠ざかる価値は、観点を疎外させ、最たる意味を浪費するだけに終えるような無価値なものを探し、緩慢な消費から、生じる由縁におとずれる擦れなどを感じ、感覚を損ない、相似するだけにうとましくつきまとい、司る由縁などは、追憶に馳せるものや、物陰に潜むアンニュイなものや、問答を重ね、印象にとろけ、代償を求めるだけの裁断から、閑散とした主体に隷属するだけの風景や、悠遠に潜む感情的な派生を集めるだけの理想などは、理智に至らずに、何かを細分化し、文化を用い、何かを利用するための憂いなどを謳う。一定の行為に引っかき回され、引きずる思いなどがレジスタンスに変わり、大きな抵抗や、そこで提要されるものに反するほどに、自らの過ちに気付かずに、何かを批判的に乗り越えられずに、能動的な死から、監視され感覚を奪われるだけの幼稚なギミックから要理は損なわれ、生じる由縁は、行動に従事するための摂動からリンクするほどに苦しむための絶え間ない軋轢を続け、つたない歴史は、汚いものこそ、崇め正すべきだ、と自らを美化するような余韻から、陰惨な形へと収納され、能動できずに、ただ受け取るものだけが、受け入れる価値のように思い返すような人波にさらわれ、さいなむ記憶に臆するだけの無価値なものを崇める健全な理由から、輪唱されるものへと引き戻され、悽愴を歩き、あいまいな日々に縫い付けられる似たような自分と乖離できずに、憐憫に浸り、いびつな言葉を掛け合わせた呪詛から、情感すらもすたれるような街並みにイデオロギーだけが迫り、狭い価値に集合していく意識的な横溢から旺然と長ける瞬間に現れるときめきだけが、ここでの恋路を高次なものに変え、構造的なものから排除され、カタトニーへと至る前に至らぬままに分裂し、そこでの自己などはすぐさま廃棄処分にすべきであり、誰かが着せた正しさなどは、誰にも似合うはずもなく、そこで感じる恥じらいや、恥すらも感じない者が示す尺度などを飛び越え、幼稚なリズムから理性はただとがめられるためだけに絶えず交信を続け、つたないままに規則を守りながら、そこで摩耗するために保たれる均衡などに強制的に現れる世界的な折檻から、緩衝することすらも不潔なのだ、とテクノロジーの呪いから、こじれる後先に憤懣を重ね、不満足から、くたびれた理想から、輪唱されるものへとコアを破棄し、破壊的な論理から、感触すらも損なわれるだけの印象に陰る硬質な思いが根底を覆すような要理へと導くような途端に介するものが利己的なものを超越し、そこで超克されるものだけが、本質的な正しさへと至り、行き渡るものが今に染みわたり、猥雑な途端に介する間に理解とは超越するためにそこで散るものであるし、そこで息吹き、また馳せるために果てるのだ、と言い放つ間に背反を続け、つたない意味にチルするよりも、いぶかるほどに、居続けることへの脱力感や、達する間に現れる達観などが、何かを見下すための位置や価値を用い、物事を席巻するためだけに圧壊するためのコードを生み出し、恒常的な苦しみを参画し、監視し合うために何かを幼稚に偽装し、犠牲的なものを孕ませ、悪意を充填し、退廃的なものを持ち上げ、もたらされる苦しみや、空疎に結われる時折に背負う義務的なものや、セオリーや静穏なものを打ち砕くための法で囲われた途端に介するものとは、理解を含まずに、理性を奪うための理想を絶えず巻き込み、自らが持ちかけるものだけが、正しいもののように思っていても、外から与えられる影響や、強要されるだけの意味が緻密なものを損ない、そこかしこに隷属し、物事の奴隷として、隷属し続ける価値は、今をむしばみ、無神経なままに飛び交う意思は、今に飛躍できずに、拓かれたものを用いずに、求められるほどに長閑なものを奪い、能動しているようで、受動的に攻め入る依存的な運命論者が生み出す戦争的なものから、生まれる疑念は、何かの犠牲を謳うほどに、何かを奪うための言葉を吐き散らし、背徳を謳いながら、自らがいちばん理性を保ち、理想を追求する者のように示すような誤りに気付かずに、自らの正しさに酔い痴れるほどに、飽き足らない者として、求めるだけの理想こそが、理性を正すのだ、という快楽主義的な傀儡として指定されるだけの意味にとどまり、自らが応じるものだけが、あたかも正しいもののように扱うことを正しいものとして崇める。