昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

逍遥


 あまりにも空疎だ、と論理的な孤独に馳せる瞬間的な記録から、記憶の奥底に配される愛憎や、肉片をかじる獣性の記憶や、短絡的な衝動に巻き込まれるだけの凍てつく経路に緩衝していく痛みは、散漫な儀式を飛び越え、意識に迫る愚弄や、流浪する意識は、自由を思う以前に、ここに現れる自由などは、何かを利用し、何かに軋轢を加え、わずらわしいもので今を従え、何かを虐げるために絶えず構造的なものを邁進させ、そこで恒常的に現れる憎しみを想定し、殺伐とした思念が今に背き、仕向けられるものに支配されるよろこびから、揺動される深夜にもとづく不安などが毒づき、散漫な意識は、退廃的なものを内心に育て上げ、現前に猛る思いは暗鬱なものに支配され、示唆すべき瞬間からエクソダスできずに、出来合の真実や、そこで圧壊していくだけの日々にあいまいな毎日は、理智に血を浴びせ、惨憺たるものを加工し、過剰にうながされる快楽の子供として主を崇めるだけの奴隷として、ドレスアップされた虚飾の街を憧憬するほどに偏りを示し、何かに勝ち誇ることだけが、そこでの価値になり、何かの糧を求め、体系化していく意識に携帯するものなどの重さや軽さに支配され、そこで査定されるための芝居を続け、つたない意識は、機械的に浪費し、牢屋に入れられ、嵌め込まれる映像や画像に縫い付けられるセンチメンタルな偽装から、理想を供給するほどに保持する罪の意識から儀式的に旋回する意識は善悪の是非を求め、何かを是認するほどに保持するものに過剰な愛を求め、偶像崇拝を続け、追従するほどに迫る完治しない苦悩から空洞化する意識に嵌め込むべき偽装されたものから犠牲を生み出すために絶えず迎合され、契合されるだけの今に堕落し、フラクタルに帰巣する真実は、やがて緩慢に作用するものだけを崇め、哀感にひしめく逆流し続ける彼方からあふれる胃液に溺れる横暴な価値がやかましくカタストロフを叫ぶころには、魂胆とは、ただ悪意を呼び覚まし、何かを予防するよりも、呼び覚まし、現れる価値にあらがわぬように、逆らうものすべてを悪として認識するような価値を想定し、凄絶な時折にひしめく酩酊する真実の趨勢に寂れたものを施し、抱擁される月日に願いを生み出すことすら、何かを奪うことを呼び覚ますのだ、と惰性にみちびかれる宗教的な保身から、補正される真実などは、公平さを欠き、今に占領され、何かを対比し、悲観することだけに席巻され、切片をつなげ、つぎはぎになった正しさを担った平衡するための正義などは、そこでの権力を保つためだけに自らを正当化し、形容されるものを掲揚し、そこで管理されることだけが、家畜としての役割だ、と抑圧し、元の場所へ戻すための笛が鳴り響き、それに従うことだけが、原則として、あらゆる普遍を売りつけるケチな偶像の気配をたぎらせ、自らを専横するための安定剤として、あいまいな毎日に道標を与えるのだ、と妥当な者がうながす普遍性が打ち出した制度に支配されるための目録を受け取り、傲慢な拷問を意識に続けるための償いの意識などが監査を続け、淵源にひしめく本質的なよろこびを呼び覚ますために絶えず抑圧される精神は瞬間的な解放が呼び覚ます短絡的な快楽のための傀儡として脳内で循環する苦しみにさまたげられるよろこびに揺動され、動向とは、関係に関税を生み出し、貸与された身体を緩衝させるための快楽を求め、朦朧とする意識は素養のものまで抑圧し、よくあることへと変化し、自らを出さぬことから動機とは生まれるのだ、と惰性な者が生み出すあたかも枢要なもののようにかかげられるものなどは、加減を知らずに、そこでの力を使い切り、何も残らぬように、そこでの絶対性だけを生み出し、今にためらいすら生み出さずに、そこで正しいとされるものに支配される。あらゆる原理とは、論理を持たずに、ただ攻め入るだけに終える。過程すら持たずに、そこで現れる正しさなどは、正しさに肉迫せずに、ただ現れるものをそのままに受け入れることだけが絶対的な価値に近付くのだ、と加勢し続けるマジョリティーなものにうながされ、流されるままに生きることが、流れのままに生きることのように示唆することに支配されるための自由などは、自由に至る以前に自由に従属し、自らのしあわせを求めるほどに自らのしあわせを押し上げずに、ただ押し流されることが、自由のことのように認識するような誤りに迫る語弊や誤解や、悔悟から介在するものへと走り去るような嬉嬉とした笑顔が灰燼に帰する前に戻ることも進むことも、啜ることも、荒むことも、ここでは何ら価値を持たずに、ただ現れるものを愛する由縁すら持たずに、ただ現れるものを現れるものとして認識する以前に帰り、戒律が乖離させるための論理から放たれ、そこで施錠される言葉から放たれるための儀式を破壊するための原生に帰る。