昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

全否定する夜


 今行っていることに迫る猜疑心や、観点を疎外させられるだけに断続する風景に摩耗される精神は、自らの気配を攪拌し、宇宙へと蜜月にでかける帰路や、そぐうために記録されるだけに際限を生み出し、現存するものにもたらされる苦しみを往復し、克服できないセオリーから枝分かれになり、担う意味も、そこで似合うほどに惜別を重ね、偶像崇拝におちいり、偶然に出会うものだけを愛し、脱ぎ散らかした意識は、濫觴するものを憎悪することだけに専念し、厭世観をたくわえ、対峙する自己との訣別を終え、倦厭しているものに巻き込まれ、代償を求めるだけに低劣な思考から諦観をつのらせ、最たる意味を喪失し、応じるだけの答えを往復し、プラトニックな一貫性から主体性が履き違えるものが機械的に整合され、契約を終えるためだけに奪われる精神は今にうなだれ、誰かに束縛されるほどに即席の自由や、そこで求められる理由へと法則的に巻き込まれ、姑息なものにおちいる限りに陰る精神は、聖地などを謳い、用いられるものが与えるギミックや、一貫したものを喪失し、損なわれる精神に補われるものが即座に転換していく先々で対立を深め、軋轢を用い、モチーフとされるものを恨み、絶えず背信し続ける先に法の終わりが見え、汚穢でしかないものである、と気付くころには、終わることを思うほどに横溢する憎悪は、他者へとむけられ、自らの未熟さに気付かずに、起動するものが際限なく、自らを攻め入ることを他者に相互させ、合成されるだけの日々や、そこで行いを正すべきなどとうながすだけの台詞をうながす正義などは、何かを犠牲的に加工し、禍根へとみちびき、出し抜くものをおとしいれ、そこに罪を与え、自らを動きにくくするような製図から逃れられずに、燃やし尽くすべき現在に比率を与え、ヒリヒリする精悍な時折に気負うだけの意味に堕落し、フラクタルであるほどに同族嫌悪におちいり、堅持するものが邪魔をし、邪悪なものへと転化していく意識的な終わりから散漫な儀式へと超過していく意識は、加算されるものに超克されているようで、何かを隔てていた自らを解除したのは自らの位置からの力の関係であるのに、そこで加算される位置から見つける意味などに制限を与えられ、姑息な者が嫉妬するためだけに絶えず送り込むデータを巻き込んでは、自らを混濁におとしいれるための儀式を続けるような協調性などが生み出す正常こそが狂気を与え、そこで境域を生み出し、興じる運命に同情を重ね、動機を不純なものに変え、徒に消費されるだけの現在に権限などを謳い、論難を用いては悲観的に至らせるための道筋を与え、傲慢なものが呼び覚ます動乱から、乱獲されるだけの精神的な歪みからリズミカルな依存性が制度を踏まえ、何かを踏み荒らすことだけに専念するような法からの解放者や、トリックスターがうごめく森羅万象を折り重ねるだけの静謐な夜に垂涎し、唾液まみれにするだけの余波から、揺動されるための真実などは死に訴え、退廃的な呪詛を続け、綴る意識は、今に引き込まれ、自らに欺瞞を生み出し、不満足を謳い、用いられるものすべてを憎悪するころには、好転すべき現在も、ジンクスなどを謳いながら、口唇期を引きずりながら、卑近な者へと改ざんされるだけの行列にならび、そこで求められるものにとどめられるほどにアレルギーを重ね、悔悟に至り、浸る今に悲観するだけに至るような清貧な夜に潜む空疎な者が示す悪意に閉め出され、打算されるだけの軽率な場面を旋回し、整合されるために迫る月日に鬱積するものや、問答するほどに怪訝なものを生み出し、清潔感を求めるほどにもよおすものが漏れる夜に混同していくものが等位を求め、何かを疲憊させるための等差から定めを生み出し、汲み取る意味も、不浄なものである、と儀式的なもののために神に貶められるだけの絶え間ない体系から携帯するものなどは、短絡的なものであり、そこで退屈なものへと変化し、無限性を忘れ、原生するものに吸い込まれ、姑息なものを押収し続け、つたない意識は、汚いものを捜索しては、自らに倦怠感を与え、絶えず無情なものである、と偏見を重ねるだけの権限などが自らをさまよう。
 魂胆を損ない、貪婪なままにさまよう幼稚な日々のゾンビとしてマゾヒズムをかかえ、観点を損ない、相似するものへと酷似するほどに行為は、混沌へといざなわれ、同化するほどに同一性とは、何かに制限を与え、自らを苦しめるものを苦しめるためのルサンチマンを生み出し、打算される先々で対価を求め、退廃的なものに整序されるものや、制限を生み出し、泥濘に嵌まるほどに拘泥していく意識は、支配されることにより、よりよいものが生まれるものだ、と物語の中で散漫な動物として、或いはダレるだけの奴隷として、光景をさまよう放牧されたむしばむための家畜として、懐疑的であるほどに、自らの意志を屠り、縫合されるために増やす傷を傍観するだけのマゾヒストとして、一過性の事実を枢要なものとして崇め、そこで崇めることにより倍増する快楽に依存するだけの者として生きることが、生きることのようにうながされることこそを否定する。