昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

多寡


 不吉な予感がする、と君はいつも自分を信じられずに、何かがうながす言葉だけを即座に受け入れ、同化することだけに長けるから、自らの首を絞め、使命感などをたずさえながら、体系的なものに経過していく自分だけを正しいものとして認識するほどに自らを非道なものに変換し、争い合うことに生まれる悪とは、そこでの正しさを正しいものに変化させるために絶えず偏りを生み、寡占されるだけに至る独占的な者が示す欲動から、揺動される先々で戒律を生み、対処しきれぬ心情は、信心が足りない、とうながされ、些細なものに即され、モニュメントが語るものや、カタルシスをうながす物陰に潜む空疎な支配者から精読をうながし、自らを毒性のものに変え、物々しい風景に虐げられ、従える意識は、何かに屈従するほどに屈辱に体制へと組み込まれ、体系化するほどに経過していく意識は、迎合されるものや、そこであらがわずにうながされるままに即席の自由をかかげ、不埒に断続する将来などを補足するために十全としないものを持ち上げ、もたらされる是非に用いられる苦しみを解消させるためのプロパガンダをまき散らし、蓄積する苦悩や、そこで追跡されるだけの意識は、惰性なもので組み上げられたものを補足するための正しさをまといながら、まともさを演じることだけが、ここでの正しさを加速させるような事実に枷を嵌めるのが世界の役目であり、そこで大人として支配することだけが、大人としての役目である、とアクメに耽るような快楽主義的な偶像から、偶然をよろこばずに、確かなものだけが、ここでの正しさを運び、正しいものへとうながすのだ、と惰性にみちびかれるだけの快楽的な傀儡として、体制に補完されるだけの関係性だけが制度を用い、新たな快楽を流用し、何かを専横し、洗脳し、譫妄に至らせるような負荷から、不満をさえずる鳥たちのギミックや、棄民として灰色の月日をまさぐるだけのアナーキーな日々に鍵すらも捨て、どこでも住まいに変えるような漂流者として、あらゆる欺瞞を捨て去る多面になびく分裂的な者として、何にも適任せずに、敵意すらも用いずに、もたらされるものに反するよりも、関するという意味を捨て、概念を突きぬけるような遊牧民として域を破壊するための家畜よりも、すべての草木を食い荒らす外来種として排除され疎外されるだけの排外主義に凭れるだけのレイシズムに耽るだけの惰性な域から抜け出し、切り取られるだけの現在に楔を打ち込み、「自らを儀式のサクリファイス」として散漫な意識に磔にされるために多面に現れる不安を解消するための大義を用い、懐疑的な日常にひれ伏し、悲恋に揺らぐよりも、悠遠に潜む価値観の家畜として与えられた餌を、与えられた分だけで捕食し、空疎な自分を崇めるために正しさをとがめずに、示唆されるものだけを物事の始まりとして不吉な者をとがめるための排除を勧めるよりも、そこで慟哭によじれる者に同情するよりも、そこで価値として崇められるものに這いずるよりも、介する間に理解すらも生まずに、不満をうながすだけの分子として、分立する者として、史観にうごめく愚行で未だにかかずらうだけの意思などは、そこでの正しさに支配され、そこからの正しさを生み出せずに、ただ支配的な景観に利用され、流動できずに、制度に付着するパラサイトとして措置されるだけの名ばかりのものを崇めるだけの理想などは、理性を制し、そこで詠じられるものだけが、物事の正しさを生み出すのだ、と惰性にみちびかれ、そこで堅持するための理由に捕食されるために待ちわびるようなマゾヒズムにおちいり、リリカルに至らずに、浸る痛みに加速する苦悩だけが、自らの生をよろこびに変えるなど、というペシミストがうながす犠牲心的な神話から生み出された正しさなどは、ただ自らの苦しみを美化し、苦しむことだけが、正しいことにみちびくという幻想から抜け出せずに、何かに同じような苦しみを背負わせ、自らの苦しみを解消するなどという馬鹿者の卑屈な精神がよじれる隙間に正しさを押しつけ、自らを堅持するための理屈を捏ねているだけに過ぎず、そこで償いを求める黒々とした感情を正しい、とうながすような者の価値こそをひるがえすために我々はあたかも存在しているかのように法に囲われる以前に、ここで雇用されるためだけにためらいを生み、何かの行列に並ぶために何かに倣い、自らを虐げるだけに至らせるような制度から、国家というものを持たされた瞬間に我々は純化することを忘れ、循環することを忘れ、循環させられるだけに至り、純粋であるかのように演じることに浸り、そこで獣性をたくわえ、惑乱させられ、悩乱に軋むような宣伝の最中に忠誠を誓うことだけが、正しいことのように認識させられた過ちをうながす神こそを打ち砕き、自らの正しさに帰還し、逃げ惑い、誰にも掴まらぬように荒んだままでも懶惰なままでも自らの正しさをも超えて進み続ける。