昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

体系に与える多幸感


 膨らむ由縁は悠遠をも飲み込み、そこで捕食されるためのルーツや、襤褸を着込み、観点を疎外させるための概念が吐き出す理想論的な諦観を前衛的に巻き込むような創造性や、制度をひるがえすために、この生命とは原典を捨て、原点をも掻き乱すために対面にダメージを与え、精練される時折に基礎を埋め込むだけの帰路から離れ、蔓延る悪意や、うやむやにされる現在にやましい原生を用い、証拠を用い、この場で屈従するための理論を用い、モチーフとされるものや、元手になるためになれ合うべきだ、と協調的なほどに補足されるものなどは定型に収まるだけの退屈で怠惰なものであるし、そこで独占的に支配されるための婚姻などは、関係に軋轢を与え、そこにあったはずの愛も、何かに合わせることで、自らを愛することを全体性に至らせずに、ただ体系的にそぐう形を愛するためだけに愛とは、愛として名付けられた途端に愛するということは機能化し、拡充されるための愛は、持ちつ持たれつともたれかかる先々で幻想をたくわえ、惑乱し、惑溺するためだけにあいまいな愛は、深まることを知らずに、そこで埋めるための愛などに引きずられ、卑近なものとして間隔を広げるだけのためらいを生むための運命論や、差別化されるために攪拌される半径や、そこで経過するものや、景観を汚す者を生み出すためのバンダリズムや、硬化する意識は、いびつな観念を生み出し、絶えずシンクロし、確かな愛をたしなむために、ただ愛するということの刹那に嬲られ、互いを多幸感に導くための昇華に至らずに、資本的なものを謳い、提携関係に至るための愛は、今にも敗残するためだけに、互いを崇めるための理想を用い、何かを愛するというよりも、そこで愛されることだけを目的に毒されていく形式から愛は形骸化し、外観を汚さぬための名ばかりのものを信仰することだけが、自らを愛することのように思うべきだ、と諭すだけの司法は、帰巣すべき愛を持たずに、保たれるべき愛を用いずに、ただ一途であることは、いびつな愛を形成し、自己愛に耽るほどに不潔なものに至り、至らぬ自分を憎悪するだけに至るような偏りを生み出し、忿怒に至るルサンチマンへと変化し、均衡を保てずに、同調する者を巻き込み、自らの憎悪を多面になびかせるほどに嬲られる精神は、たぶらかされ、確かにあったはずの愛も、今にすたれ、自らに疲れ、長じる由縁に引き伸ばされるだけの自己顕示欲から、権利を謳うだけの白昼夢や、空疎な理論をかかげるほどに、理想とはほど遠く、そこで愛するべき瞬間も純化できずに、そこからエクソダスできない者どもの理屈を着込み、自らの足取りを重くさせる。
 出来事とは偶然性を孕んで、そこで賭けを繰り返す。生命とは、瞬間的な死を背負うよりも、瞬間的に生きるための跳躍を続ける。途端に現れる今などは、意味を占うよりも、そこで恨み辛みを綴るよりも、主観を汚すための情報をまとうよりも、「そこで増やされるだけの知識などは、所詮、そこでの知をたしなむこともできずに、何かを説き伏せるための快楽に耽るだけだ」と低劣な者を批判しても尚、ここで拘束されるだけの姑息な理想から逃れずに、敗者として、配下に下るだけの関係性に制度を付着させ、空疎な自分を恨み、時運に恵まれるために空の胸ぐらをつかみ、培うことを知らずに、ただ脅し、手に入れることだけが、キャピタリズムの中では正義として崇められているだけに満たないような未熟な正義をかかげるほどに、価値観は崩壊し、解放を謳うだけの短絡的な自由の需要として、ただの物質として対価を求めるほどに瞬間的に粛清されるだけの運命の中で拘束されるだけの自らに屈従するほどに、ここで従事する意味から逃れられずに自由を求めるだけの家畜として運命を呪う。能動的である事だけが、君を解放する手立てである、と宣言するような余波から、マルクス的な理想を離床させずに、ただ偏りを生み出すだけの暴力などは、自らの質量に耐えられずに圧壊するだけに至り、未熟な自己を育てることを知らずに、惰性で示すものなどに加勢するほどに、権利を求め、権力を用い、何かを支配するよろこびに気配は、外形を整えるために呪い続け、つたない意識は、秩序を求め、蓄積される苦悩や、空疎な自分を屠るための規律から、記号化されるほどに暗鬱なものを重ね、悔悟をため込み、自らのバランスを保つために何かをとがめることから、当該するものへと進化すべきだ、と信用は何かを騙すために大義を用い、懐疑的なものを抑圧するための信用から脳内に送られる信号は、そこで確かなものだ、と認識していることに誤りを見出せずに、そこで正しいとされるものだけが、正しいものであるという誤りから抜け出せずに、惰性なままに信用する現在から逃れられずに、今に敗残し、意思を奪われ、今を従え、矛盾を加速させ、性差を生み、差別化を進め、侮蔑する先々で分裂する意識は、何が愛かすらもわからずに、ただ愛することの技術に溺れ、自らを横暴な者に変化させる。