昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

緩慢な正義


 上限も無く孕むものが精悍な時を産み出し、さえずる時折に軋む思いが連動し、動機を浄化させ、確かな思いへと帰還させ、快活な道理へと導くのだ、と真理を謳うだけの創造性も無い宗教的な権化がカタルシスへといざなうほどに、補完され続けるものは、ここでの正しさを混濁させるだけであり、データに不吉なものを植え込み、根を腐らせるだけに至り、いたわることを謳う社会の不潔さに誰かの死を業火に変え、その灰燼が降る夜に交換される乖離した感情や、情報に汚され、慧眼を持たずに、ただ外観を汚すためのファッショナブルなファシズムから、配備される間に高慢な愛は、概念を吐き出し、懐疑することも無く、ただ現れるものを受け入れるほどに経過していくものは、その場での偏りを生み、場面でハミングするものや、そこで嵌め込まれるものが光景で隔てられ、その場にとどまることが正しいことのようにうながされる間に背反し、快活な動機を生み出し快感を飛び越え、邪推するよりも、砂利道を裸足で歩き、生意気なままで居て、徒に消費されるだけの今朝がけだるさを吐き出し、排気ガスを吸い込み混濁する意識は、懐古するだけに至り、そこでの至らぬものを形式的なものに変え、備蓄されるものだけが、今を苛むだけに至ることを知らずに、いたわることだけに専念し、宣言されるものが物事にこびへつらい、平衡するほどに、迎合されるものに変わり、のんびり生きることを忘れ、何かを食い散らす貪婪さが朽ち果てるのだ、と謳うものなどは駆逐されるべきである、と戦列に並ぶだけの暴力性から制度は鞍替えを続け、つたないままに介する間に売買を続け、つたないままに配される間に関する思いは、感覚を損ない、相似するほどにその相似するものを恨むことだけが、物事に段階を与え、何かを超越するための手立てを与えるなどとうながすような体たらくな保身に血抜きされた空虚な心身を用いた者が率いる規律などが律する間に矜恃は損なわれ、そこかしこで屈従するだけのにんげんとして背くことは、いちばんの悪である、と正義の表が、自らの悪意を隠すために何かに悪を背負わせる間に誓言として扱われるものが聖なるもののように持ち上げられる間に緩慢に作用する正義などは、懶惰なものであるし、やがて何かは勝つために価値を用いては、もたらされる罪を飛び越えるために何かを倒錯させ、等差を生み、何かを踏み台にしながら、しなびた精神にうらぶれたままに裏切りを綴るだけの惰性なにんげんとして回線を混濁させ、開示されるものに浸るほどに、死を漁り、偽善的で独善的な者としてシステムの死神として、快眠する者を脅かすためだけに虚言を吐き続ける。
 たちまちに織り込まれる生は、死から逃げ惑いながら、自らの間取りに配される甘美な物から、モゾモゾと現れる不感症的な敵意から、適宜する者へと変換されるためのためらいを生むてめえに打ち勝てずに、屈従する。従属するほどに、確かさとは足枷に変わり、懐疑するよりも、同調し、自らの考えを捨て去ることだけが、ここでの正しさとして機能するためだけに自らを未熟なままに水増しし、妄りに現れるものをあたかも正しいもののように崇めるべきだ、と加勢する意識は、加算されるままに物事を統合し、当為するものだけが正常なもののように応じるべきだ、と支配的に迫る気配は、背景にそぐうために当為するのだ、と問うことすらも不潔なものであるのだ、と渇する間に現れる抗いからも離され、恒久的な孤立から、恒常的な憤懣を吐き出すだけのあいまいな現時点に関するほどに、露骨な支配は、炯然と現れる自らの正しさこそが姑息なものから解放をめざすのだ、と惰性な自由は、完成されたものを呪うがあまりに、何かに同意することに反し、暴力的な効力へと引き込まれ、引きずられる意識は、何かに隔てられるほどに魯鈍なものに変化し、そこで怯える限りに懐疑的なままで、適齢期などを謳い、魯鈍な者として、そこで効力を放つものだけを正しいものとして崇めるために配備されたものだけを正しいものとして認識する誤りから抜け出せない。
 あらゆる正しさは、そこでの効力を保つためだけに威光を放つ。蔓延る悪意を囲うために備わる法に補完されるだけの関連性から、練熟せずに、そこで廃するだけに逸するような抵抗から、諦観へといざなうだけのトラウマから、模倣するほどに脳内に快楽物質をまき散らし、ラストシーンにそぐう者として意味に屠られ、自らを誇示するためにいじらしく何かを屠る間に縫合される思いは、いぶかることを知らずに、いびつなままに愛する創造的な無垢さに無実を投げかけるほどに、罪の意識に苛まれ、自らに罪をかぶせることだけに遷延するような意識的な罪を滅ぼすためのコードや、隔世の感を伝うたゆむだけの景色は、何かを担うための正義を用い、何かをモチーフとすることで安心感に浸るほどに、自らの正しさからは懸け離れ、用いられる正しさに偏りを示し、自らを正しくさせようとするほどに、悪意は氾濫する。