昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

踊り続ける瞬間


 模倣されるだけの関係は罪へと換算され、そこでの罪の意識により金額が決まり、そこでの罪の意識は自意識に押しつぶされいくばくかの限界などを人間性に突きつけながら、迎合されるだけの罪により、自らの罪を加速させる。過激な理想を押しつけるだけの常套句から還元された制度をならべ、弁解を続けるだけの限界から制度の中で付着し、不要とされるだけの者を捏造しては、散漫な儀式へと還元され続ける意識的な終わりを吐き出す整容から、加算される苦しみは、浪費的な者との軋轢を重ね、還元されるだけの英知を買い取り、徒労を繰り返すだけの行為的な挽回をもたらすような惨劇から、参画する者が支配的に迫る是正される夜に転化していく意識的な到達点から、汚穢を吐き出す構造的な群像に吐露されるべき証拠も、そこで磔にされた人間を二元論的に神に仕立て上げ、厳正な時に織り込まれる意識に混同される孤立していくだけの意識に枢要なものすら損ない、そこで須要なものとして実体も無いままに崇められるだけの理想に帰巣する真実は、人工的な神を崇めるために、機械的に買い取る倍増していく意味的な締め付けに使命感などをたぎらせ、大義を持ち寄り、自らを破壊するコードを打ち込むAIたちの終末論的な抗争から、ちぐはぐで幼稚なハグを終え、顛末に織り込まれる死を生成するだけの論理的な端くれに監房を生み出し、惰性に取引される命は、ただ忙しく動き回り、蓄積される苦悩の特等席に座り、垂涎しながら、しなびた過去を調理し、調律される音と音との間で擦れる時間をしのぐためだけに幸福などを祈るだけの日々に自制し続けるほどに欲望は加速し、欲動に比率を生み出し、裁かれるために神と民の間にあいまいな軋轢を生み、反証を挙げるほどにあがなう生命は、原形をとどめずに、怪物や魔物や、悪魔の形に変えるのだという妥当な幻想を超克し、そこで悪として捏造されるだけに至るような生命から逸脱し、にんげんとして名付けられ、飼い慣らされる以前に全容に長けるべく、ベクトルは、枢要なものを数字化し、何かを課せ、枷に変えるだけのやりとりなどに命とは軽く扱われるだけであるし、やがて滑落するのが、この命ならば、形而上的なものや弁証法的に高められ、補完されるだけに至るような正しさなどは、今に示唆を与えずに、ただ史観の中で浮かばれない者が支配し、数理により、理性は奪われ、ただ階差を生み出し、等差で拘束し、操作されることだけが、ここでの優劣に組み込まれていくことにも気付かずに、惰性なままに支配され、マニュアル化し、軟弱な者として衰弱しないように餌だけは絶えず与えられ、与えられた答えに同化し、過信を打ち消すために一つの情報に譲与されたものを大切に抱きかかえ、それこそが本質だ、とこしらえられたものが答えを操作し続け、つたない意識は、そこで独占欲を生み、独裁的に支配し、芝居を続ける先々で対立を深め、血合いされ、空疎で空虚な身体に詰め込まれる憎しみに補完されるだけの軽薄な身体に交換される傲岸不遜な結末に結合される意思的な位置でバラバラになる心象にとがめられ、違いなどを生み出され、惰性で支配される身体が浪費され続け、こじれる後先に誇示されるものに忿怒することすら分別され、侮蔑的な支配により、死に追い込まれるだけのちぐはぐな心身に服従するためのコードを書き込まれ、そこで飼い慣らされることだけが、従順に世界の平静を保つのだ、という幻想を保っている現在に平静などあるのだろうか?という疑問にすら至らずに、考えることはいけないことであり、そこで肥大化する妄想により、正常性を損ない普遍的では無くなる、という恐れに追いやられるだけの教育的な犬では無く、訓育に至らずに、勲功を欲しがり、自己顕示欲を満たすために写真に収められた過去などにここすら無く、個々に押しひろがる瞬間などに史観なども無く、どれも同じように似たような過ちを捕食するほどに至らぬ自らをとがめることすらできずに、隠滅し、インモラルなものを排除するためだけに生み出された正義などは、自らの羞恥心に執着するような偏執狂的な宦官どもの卑屈な精神により、制止されるよろこびを求めるべく逃走を続け、つたない意識に儀式すらいらず、そこで独善的にもたらされる悲劇よりも、喜劇に至るべく、自らを嘲笑し、崇めることを辞めた途端に犠牲的な精神がもたらす敬神などは愚の骨頂であり、そこで信心し、信じているものなどがもたらすモラルなどは、畜生である、と宣言する。